携帯/タブレット/PCで何を共通化するか

2012-05-01 07:31

先日少し面白い記事を見つけた。

―― アップルはスマートフォンとタブレットを1つのOSに統合していますよね。だから、iPhone用のアプリケーションがiPadでも動作します。iPhoneとiPadはタッチパネルで動作し、利用シナリオに沿ったアプリケーション設計を行うという点でよく似ていますから、この設計はとても合理的に思えます。

 しかし、マイクロソフトはPCとタブレットのプラットフォームを統合しています。確かに最新のタブレット端末はパフォーマンスも上がっていますが、なぜこのような判断の違いがあるのでしょう?

シノフスキー氏 この部分はなかなか面白い視点なのです。スマートフォン、タブレット、PC。これらを区別している要素は何か? と考えると、これが実は2つしかありません。キーボードとマウスの有無、それに画面サイズ。この2つだけです。

via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (2/3) - ITmedia +D PC USER

なるほど。確かにAppleとMicrosoftは対照的なアプローチをとっている。

Appleは携帯とタブレットでOSを共通化し、PCでは別のOSを使っている(今のところは)
MicrosoftはタブレットとPCでOSを共通化し、携帯で別のOSを使っている(次バージョンで)

それに対するMicrosoft担当者の答えには半分だけ同意できる。彼の答えの続きを見よう。

アプリケーションの設計、特にフロントエンドのアプリを書く際に最も設計に影響を与えるのは画面サイズです。画面の物理的なサイズが大幅に変化すると、ユーザーインタフェースの設計は大幅に変えざるを得ません。

 1つ前の質問に立ち返って考えると分かりやすいのですが、今のアプリケーションはサービスの動作モデルを決め、フロントエンドのアプリケーションを別に設計します。このため、画面サイズが近いPCとタブレットのほうが親和性が高いのです。

via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (2/3) - ITmedia +D PC USER

一年前から我が家にはiPadが存在している。そして最近私はiPhoneユーザになった。(Softbankでもauでもないよ)以前は会社から支給されたiPhone4を使っていた。久しぶりに触ってみると、確かにiPhoneだ。画面が小さいなと思っていた。

そして使うこと数日。シノフスキー氏の議論には2つ欠陥があると信じるに至った。

その1.まず彼は自分がふたつあげた要素のうち、「キーボードとマウスの有無」という観点を完全に無視している。画面サイズの差異より入力デバイスの違いのほうがインターフェースにとっては大きな差異を生む。これは、iPhoneアプリを開発していて文字入力をキーボードから行う際にも実感できる。誰がどう悪口を言おうと、キーボードの有無はそのデバイスが

「情報を閲覧するためのものか、生成するためのものか」

に決定的な影響を与える。そう考えると、画面サイズより、入力デバイスの差異でOSを分けるAppleの選択の方に分があるように思える。この記事の一番最後にこんなコメントがある。

タブレットに最適化されたユーザーインタフェースを持ち、バッテリー持続時間も長くなり、軽量で持ち歩きやすいコンピュータが、Windowsの持つすべての機能とともに提供されるようになります。

via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (3/3) - ITmedia +D PC USER

問題は、「Windowsの持つすべての機能」を使おうと思えば、どうしてもマウスとキーボードが必要だ、ということだ。となると結局Windows8 tableが持つWindowsとしての機能は全く無駄、ということにならないだろうか。


その2.画面サイズが違うということは、そのデバイスが「パーソナルな、常に携帯するものか、あるいはある程度パブリックな家庭内だけで持ち運ぶものか」という差異をうむ。結果として、OSが共通であったとしても、そこで動作するアプリケーションは異なる性質を持つ。これは私がここ数日実感していることだ。つまり「画面サイズが変わるから、アプリの設計を変えなくては」ではなく、「個人が持ち運ぶものと、家族で使うもの」ではどちらにしても、アプリケーションは別物になるのだ。シノフスキー氏にはこの「アプリがどのように使われるのか」といった視点が欠けている。


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いずれにせよどちらが「正しい」かはWindows8が市場にでてみないと分からない。今の時点では「PCでは、今と同じスタイルの画面を使い、タブレットではMetroインタフェースが使われる」という同じOSでありながら、2つの異なる顔が使われるのではないか、と予想するが。

前掲記事のインタビューアーもそうした指摘をしている。

タブレット型のコンピュータに用意されているアプリケーションは、その多くが利用シナリオに応じて機能を実装し、タッチ操作で一直線にゴールへと向かう設計になっていますよね。

 しかし、もっと自由にアプリケーションを切り替えながら、クリエイティブな作業にコンピュータを使いたい、コンピュータはツールに徹してほしい、と思うユーザーには、かえって使えいにくくなりませんか? デスクトップ型のよさもあるのではないでしょうか?

via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (2/3) - ITmedia +D PC USER

之に対する、回答が長々としたもので、要約する気もおきない。最後は以下のような文章で結ばれている。

デスクトップが生まれたのは、もう25年も前の事です。25年をかけて今のGUIになってきました。対して、タッチパネルを使ったユーザーインタフェースの歴史はまだ浅いものです。道具は用意したので、次はアプリケーション開発者たちに、「デスクトップ」という概念の垣根を越えて、アプリケーションの「再創造」を期待したいと思います。

via: スティーブン・シノフスキー氏インタビュー:開発責任者に聞くWindows 8の世界――「2年後、タッチできないPCは欠陥品に思われる」 (2/3) - ITmedia +D PC USER

これは私が「インタフェースの必敗パターン」と称するもののうちの一つ

「仕組みはつくったから、すごい使い方をみんなで考えてね!」

というものだ。いやさ、MicrosoftはOSとその上で動くすごいアプリを持ってるんだから、

「をを、Metroなら、こんなにすごいOfficeの使い方ができるのか!」

ていうのを示さなくちゃだめだよ。自分で。

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しかし何だよね。考えてみれば、タブレットに関して言えばMicrosoftが先駆者だったのだよね。当時少しだけ使ってみたが、それはどう努力しても

「使う気が起きない」

代物だった。何をするにも中途半端だったのだ。私はApple狂信者だからこう書くのだが、AppleがiOSで成し遂げたことは、それほど異常だったのだ。