今そこにあるフレーム問題

2012-05-22 06:43

今日は短く。私はほとんど使わないのだが,WindowsとかMacで何もない画面の部分をデスクトップというのだそうな。

でもってこれは「机のメタファー」である、とかなんとか。時々そうした前提にたった学生さんの研究を目にする。

しかし

いいかげんこの「メタファー」というのは忘れてはどうかと思うのだ。iOSをみてもらえばわかるが、Appleはあのアイコンが並んだ画面を「デスクトップ」とは言っていない。iOSでは基本的に「ファイルアイコン」を目にすることはない。フォルダだのディレクトリとも無縁だ。

私はこれは正しい選択だと思う。どうしたってフォルダはフォルダじゃないし、デスクトップはデスクトップではないのだ。

先日こういう記事を読んだ。

わたしがこれまで最も感心した話は、オヤジBさんがワープロソフトを使っているとき、削除したい部分を範囲指定し、ドラッグしてゴミ箱に捨てようとした話だ。もちろん、ゴミ箱に捨てられるのはファイルとフォルダだけで、文字列は捨てられない。Bさんは何度も試し、たびたびPCを再起動したが、らちがあかない。だれかが「それは無理だ」と教えてあげたのだが、Bさんは「文字を小さくしたのに」とフォントサイズを下げたのにゴミ箱に入らないことが許せなかったようだ。この話を20世紀末に知人から教えてもらったとき、MacとWindowsの別なくGUIの致命的欠陥を知った。メタファーは難しいのだ。

via: 本当にあった脱力PC話: 論駄な日々

この場合どう「常識的」に考えても正しいのはオヤジBさんである。なぜゴミ箱があるのに文字が捨てられないのか。内部的にどうのこうのといいだすくらいなら、そもそもゴミ箱という「メタファー」なんぞ使わなければいいのだ。

おそらくメタファーを使うとき、「記号接地問題」もいっしょに抱え込んでしまっているのではないだろうか。このオヤジBさんにとってみれば、「実態のあるもの」がなぜ捨てられない、と思う。それはつまるところ、対象物が接地していないからなのだが、そんなことを書いてもあまり何の役にもたたんな。