一番恐ろしいもの

2012-06-26 07:07

先日こんな記事を読んだ。

ストレス・アット・ワーク(Stress@Work)と名づけられたAndroidアプリは、FacebookやTwitter、SMSなどのメッセージの内容が不愉快なことでショックを受けたりストレスを感じたりすることを避けるために、内容によってメッセージを分類して色で表示する。好ましいメッセージは緑、ネガティブだったり危なかったりするメッセージは赤、中間は青で分けてあるので、中身を読む前に心の準備ができるし、後から読むことにもできるし、読まずに捨てることもできる。

via: 開封する前にメッセージが不快な内容かどうか教えてくれるアプリ from WirelessWire News « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

一見良いアイディアのように思える。しかし私見ではこれは現在以上のストレスをユーザに与えることになるだろう。

というか、こうしたソフトを使わなくても似たようなことはいつもやっているのだ。題名、あるいは最初の数行だけみて後は見ない。捨てるわけにもいかずずっとそのままにする。論文採択のメールなんか大抵そうする。本来もらったコメントを読み、それを反映しなくてはいけないのだが、どうしても読むことができない。(私は小心者なのだ)

しかし

経験からこうした方策が「とてもまずいものである」ことを知っている。之をやると、想像だけが頭の中で膨らむ。そして「残りの文面」に書かれていることが限りなく恐ろしいことのように思えてくる。自分の中でも「あれはまずかったかな」と思っていることがつぎから次へと頭に浮かび、それが全て列挙されているのではないか、と怯え続けることになる。

もちろん

本当にその「想像通りの内容」がメールに書かれている場合だってあると思う。しかし経験からしてそうしたことはない。勇気を振り絞って読んでみれば

「なーんだ」

という内容に思えることばかりだ。つまり一番恐ろしいものは、自分が想像した「現実」であり、本当の現実は常にそれよりマシだ、という定理を経験から導くことができる。

これは別に今に始まった話ではなく、古来「幽霊」と言われるものも人間の想像力が生み出したものだし、それが大変恐ろしいものであるのも理由のないことではない。


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これはメールなどの間接的な媒体を通じて行うコミュニケーションでは常につきまとう問題でもある。文面から

「これはものすごくまずい」

という雰囲気が感じられることがある。もちろん本当にそうした場合もあるだろう。しかしそうした場合常に必要なのは「実際に(可能なら)顔をみて話す」ことである。そしてほとんど全ての場合で、現実の相手は、メールから想像されるよりも悪いことにはなっていない。

頭ではわかっているけど、それができないんだよねえ。。