Me Factor in文芸 それと inエンジニアリング

2012-07-04 08:20

先日こんなことを書いた。





彼は数十年の間に



「自分の感動の大切さ、とそれを客観視することの重要性」



のバランスを取ることを学んだのではなかろうか。ホンダの車は確かにすばらしい。しかし

ガソリンを1/4ガロンしか積めないのでは誰も買わない、という客観的事実を。



というところから、夏目漱石の言葉を思い出したり、とかあれこれ話は続くのだが、今日はこのへん。



ごんざれふ から引用


例によってそのまま忘れてしまおうかと思っていたのだが「あれはどうなったのだ」とご指摘をいただいた。私が思い出した漱石の言葉を以下に引用する。





 これほどまでに芸術とか文芸とかいうものは personal である。personal であるから自己に重きを置く。自己がなくなったら personal でなくなるのはあたり前であるが、その自己がなくなれば芸術は駄目である。

 あなた方に尊ぶことは、自己でなくして腕である。腕さえあれば能事了れりというてもよい。工場では人間がいらないほどあっても、その人間は機械の一部分のようなものである。mechanical に働く、機械よりも巧妙に働く、腕が必要である。が、われわれの方は人間であるという事が大切な事で、社会上よりいうときは御互に社会の一員であるけれども、われわれの方は貴方がたに比べて人間という事が大事になる。



夏目漱石 無題 から引用

最初これを読んだ時「なるほど」と思った。工学においては、腕が大事であり、Personalなことは2のつぎである、と。

初代Macintoshケースの裏側には、開発に携わったエンジニアたちのサインがはいっていたと言う。このことがニュースになるのはそうしたことが珍しいからにほかならない。そして確かに工場で組み立てた人たちの名前を我々が目にすることはない。

じゃあそれは一般的な話か、と言われればどうだろう。例えば最近「開発者インタビュー」というのがいろいろな会社のサイトに掲載されているようだ。

★森澤プレジデント語録

「やっぱりそれだと、触れた時の手のひらにフィットする、あの感触は得られない。
世界最小・最軽量というテーマもあると思いますが、今回は音を感じさせる事に徹しました。 」

「ずっと手に持っていたい、思わず触れたくなる、そんな気持ちは数値では表現できないものじゃないですか?
Aシリーズではスペックでは測れない魅力に挑戦してみたかったんです。 」

via: 最強のデザイナー森澤を称える! pt.2

音楽との新しい関係を生む、"小さなタマゴ"

小気味のよい動きが、音楽を盛り上げる。聴きなれたはずの音楽も、新鮮な感覚で向き合える。オーディオプレイヤーの新しい価値を提案する「タマゴ」、それが"Rolly"です。明らかにソニー製品とわかるクオリティは、デザイナーたちの強い意志のあらわれ。そこに到達するまでの試行錯誤の日々をデザイナーが振り返ります。

via: Sony Japan | Sony Design|Activity|Feature Design

それに対しては、こういう意見もある。

インタビュー読んだけど開発者がごちゃごちゃしゃべりすぎ
音楽を楽しむのはこっちなんだから、開発者はごちゃごちゃ言わなくてもすごいと思わせるハードとソフトをつくりゃいいの
見栄えのいい、耳ざわりの企画書作ることばっかりに没頭してる典型みたい

via: 最強のデザイナー森澤を称える! pt.2

そして実際上記に引用したソニーの製品は全く市場に受け入れられなかった。となれば得意げにPersonalを主張したところで「なんなのか」ということになってしまう。

AppleにはIveがいるが、彼以外のデザイナーの言葉を聞いたことがない。しかしその製品は世界中で受け入れられている。言葉が表にでてこなくても、そのPersonalな主張はデザインの結果として世の中に表れる。

彼らはスティーブ・ジョブズが好んで使った「テクノロジーとリベラルアーツの交差点(the intersection of technology and liberal arts)」という表現についての話題をしばしば持ち出した。

via: ただのガジェットではない、グーグルの未来への切り札 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

リベラルアーツではPersonalが大事であり、テクノロジーでは文字通りテクノロジーが大切、ということなのだろうか。このへんうまくまとまらないのだが。