「自分が使いたいものを作る」ことの穴

2012-07-09 06:56

製品やサービスを作るとき、「対称性の有無」について考えることが必要である。対称性がある、とはそのサービスを製作者自身が使う(あるいは想定される)場合。非対称とは、自分が絶対に使わないサービスを設計することを言う。GREEとかDeNAはそのたぐいだと思う。また先日「麻酔医」の人にあった時「自分で麻酔を体験することはありますか」と聞いたら「麻酔は絶対安全というわけではないので、それはやりません」と言っていた。ワインバーグの本で読んだが、外科医自身が大きな外科手術を体験すると患者への接し方が変わるとかあったような気がするが。

さて、対称性をもった開発で知られる(と私が勝手に思い込んでいる)Googleである。先日こんな記事を読んだ。

Google+のユーザが男だらけなのはどうしてか?という質問に対しての答えだ。

「私の仮説では、そのコミュニティの起源となる"種"がかなり大切だと思います。Polyvoreの場合、それはファッションフォーラムです。Google+の場合は実際、グーグルの従業員たちでしょう。彼らはほとんどが技術者で男性です。彼らが自分の友人を招待して、そんな風に拡大してきたのです。フェイスブックの場合は大学、マイスペースはおそらく音楽です。大事なのはそのルーツで、グーグルの場合、これがズレていたのです」(リー氏)

via: 女性目線で語られた、Google+が男だらけの理由 « WIRED.jp


専門的なことはさておき、Google+とFacebookを触るとき、両社の違いは明らかである。機能が云々ということを除いてもテイストが全く異なるのだ。Google+は何よりもGoogler達が使うものなのだろうな。

Nexus Qには今のところそうした「対称性を有するがゆえの壁」が指摘されている。(本当のところは、それが実際い売り出されるまでわからない。)

このデバイスが最も有効に機能するのは

「大勢の人が一箇所に集まってパーティーかなんかをしているとき」

である。


ブリットは1970年代によくあったレコード・パーティのことを持ち出して、ポイントを伝えようとした。70年にはよくティーンエイジャーが自分のレコードを(牛乳のケースに入れて)持ち寄って、誰かの家で一緒に聴いたものだった。


via: ただのガジェットではない、グーグルの未来への切り札 « WIRED.jp

これは確かに単なる製品ではなく「新しいライフスタイル」の提案でもある。米国で70年台に行われたというレコードパーティーの21世紀版を意図しているらしい。そりゃいくらネットが発達しても、直接顔を合わせて騒ぐことは代替できないからね。

しかしレコードパーティーとは違った「制約」がこのデバイスには存在する。

Perhaps the best explanation is that Google is simply taking a page from one of its biggest competitors and building a device that would be most at home at Google itself.

via: Google Nexus Q review | The Verge

最初の文はうまく訳せないが、二番目の文

「Google社内ではうまく機能するデバイスを作り上げた」

このデバイスを使うためには、まず第一にGoogle Musicに音楽をアップロードしておく必要がある。次に、対応したスマートフォンを使ってそれを制御しなくてはならない。

Googleで働いている人間が集まるオフィス、あるいはパーティーなんかはこのデバイスにとって理想的な環境だ。つまり「Googleで働く人間」のために作られたようなデバイスなのである。問題は、Googleの社員の数は限られていることだ。

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Googleはネットワービス企業としてスタートした。そして新しい分野への取り組みが最初から成功するとは誰も思わない。

しかし、アップルがお得意とする、ユーザーに製品への強い欲求を抱かせ、それを買ってもらうことについては、グーグルはこれまで何度も乗り越えがたい障壁にぶつかってきた。

via: ただのガジェットではない、グーグルの未来への切り札 « WIRED.jp

これが成功への第一歩になるのか、あるいは失敗の歴史に新たなページを加えることになるのかはまだわからない。