未来のTVの姿を(何度目かだが)考える

2012-07-10 06:52

今日書くことは今まで書いたことの繰り返しです。

TV業界というのは、水平分業モデルである。コンテンツを作る会社はいくつもある。でもってそれと多少オーバーラップするかたちで、TV局がいくつもある。でもって家庭におかれたTVというのは、できるだけ多くのコンテンツプロバイダ(TV業界ではこういう言い方をしないのだろうか)に対応して、ユーザに選択の余地を与える。

しかし

この図式は間違っている(キッパリ)。そもそもTVではなく、リビングに置かれた巨大なディスプレイだ、というideaは脇に置いておく。TVの前に座るユーザというのは、ボケーッと眺めたいと思っているのだ。つまり番組を選んで見たい、とは思っていないのである。

従って

TVを売ろうと思えば、TVセット以外のところに着目する必要がある。今やTV等どこでも製造できるのだ。IKEAがだした「家具としてのTV」はそのひとつの解。もう一つの解は

「コンテンツからTVセットまで一気通貫でのTV体験」

というものだ。

つまり「ユーザに選ばせたら負け」なのである。ユーザが行う最大限の操作は、電源を入れる、チャンネルをかちゃかちゃ「回す」(こういう表現を使うと年がばれるが)。それだけである。

どうでもよくない引っかかりを感じたのが、「コンテンツ探しが簡単」というやつ。テレビはコンテンツを見る道具なんだからと、コンテンツをたくさん見せようという仕掛けを考えているらしいテレビがよくあるが、テレビ屋の勝手な思い込みじゃないのか。

 一日の内でテレビを見ている時間というのは、放送とかVoDとか中身は変わっても、1日24時間の8%程度で増えも減りもしていない。このくらいの時間だと、一所懸命コンテンツを探さなくても時間は過ぎてしまう。だとしたら、テレビの製品機能でコンテンツ探しに血道を上げるのは無駄なんじゃないのか。

via: コンテンツを見せるのがテレビか: 無指向な嗜好

上記引用文の続きには「コンテンツを見るだけではないTV」という提案がなされているのだが、そこはおいておいて、この引用部分には全く賛成である。

「TV屋は、どんなコンテンツでも見せられるようにすればよい」

という考え方は間違っている。やるなら

「電源をONにすれば、"パナソニック提供のチャンネル"が見られる。気に入らなければ他のチャンネルも見られるよ」

ぐらいにしてもいいのではないか。


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振り返って考える。実家に帰ると、たいていディスカバリー・チャンネルばかり見ている。面白い。ヒストリーチャンネルとかも大好きだった。私はもと軍用機オタなのだが、その目からみてもそれらのチャンネルは面白い。

なぜ日本では、ああした「まともなコンテンツを作る」ケーブルTV会社というのは生まれないのだろうね。ディスカバリー、ヒストリー、ナショナルジオグラフィックとかさ。