主観をどう扱うか

2012-11-07 07:22

というわけでまた渡邊氏からコメントをいただいた。忙しいところありがたいことです(お前は忙しくないのか)

私なりに渡邊氏のコメントの肝となる部分を抜き出せば

僕は「主観」は難しいから極力「主観に変わる方法」を探しているのです。だから「いわゆる主観」は扱いようがないというのです。結局、「立場と姿勢の問題」ということで落ち着かせるのがいいのかもです。

ということになるだろうか。なるほど渡邊氏のスタンスは理解できた。

「UI開発失敗の本質」を書いていて思ったし、このブログにも何度も書いたことだが「主観」とか「感情」とかいうものはここ数十年ブラックボックスのままなのだな。あやしげな「感情を8っつに分類する」とかいう話が声高に語られ続けてはいるが、そこから何もでてきはしない。(論文は別だよ)

従ってそれを抜きにして考えたい、という姿勢は理屈が通っている。

問題は

人間が使うインタラクティブなシステムを考えようと思えば、そのループに「主観」というわけのわからないもので動く人間が必ず入ってくる、ということだ。

量子力学が導くいくつかの結論はどう考えても馬鹿げている。しかしそれが力をもつミクロの世界においてはその存在を無視しては現実を説明することができない。


同じように「扱いようのない主観」というものに触れずに現実を扱う方法があるか?渡邊氏はその道を模索している、ということだろうし、私はあっさり

「ありません」

と思う。これはそれこそ「主観」の違いであり、どちらが正しいとか間違っているという話ではない。

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自己顕示欲に溢れ、知性に恵まれない人間が大臣になると、それまで丹念につみあげ、検証されてきた定量的なロジックがふっとばされるのがこの世の中の現実というものだ。

そして私はそうした「大臣」を賛美する人間と結婚したりしたわけだが、これも世の中の現実というものだ。というわけでなんだか書いていて物悲しくなってきたのでこのへんで終わる。