納得できるストーリーを作るのだ

2012-11-26 07:13

私はひねくれ者の上に、反社会的な人間なので

「納得できるストーリーを提示すること」

などと言われると

「そんなことはできません。この件は取り下げます」

という。こともある。たいていは相手が「納得」しそうなデタラメを並べ立てるけどね。



――ふつうの雑誌では、まず企画会議を通ってから取材に行って、それから記事になりますよね。


築氏■だけど、プレゼンっていうのは人を説得しないといけないわけじゃないですか。そのためには説得のための材料が必要になる。たとえば、いまニューヨークでこれが流行っていますよという記事がやりたいとするよ。でも、説得材料があるってことは、もう誰かが企画して雑誌などですでに形になっているということじゃない。それってもう二番煎じなんですよ。おもしろそうだけど、行ってみないとわからないから取材に行くわけでね。つまり、企画と会議なんて宿命的に合わないものなんですよ。だから、企画会議って根本的におかしい。




都築氏■結局、企画会議っていうのは、リスクの分散のためにやるんですよ。誰も責任を取らなくてもいいシステムなんです。僕が昔、企画を編集長のところに持っていったときに「売れるかどうかはわかりません」って言って、すごく怒られたことがあるんです。「金になるかどうかを考えるのは俺なんだ、お前は考えるな」って。


via: 企画会議をすると企画の9割はダメになるし、説得材料がある企画というのは二番煎じでしかない - ARTIFACT@ハテナ系

今あるものの「改善」であるとか既に存在している製品の「対抗製品」を考えるならこれでもよい。しかしそれでできることは果てしないRed Oceanでの殴り合いである。

会議をやるといろいろな意見がでる。それを取り入れると結局既存の製品AのA'ができあがる。もちろん最初からそれをやることを目指しているのであれば何の問題もないのだが、

「革新的な案をだせ」

とか言っておいて、会議したり投票したりするのは馬鹿げているとしか言いようがない。効果を証明するなどというのは、未来を保証するようなものでそんなことは誰にもできない。

だから引用した文章のように、その不確かさを認めた上で判断できる人間の責任が大きくなるわけだが、、たいていの組織では責任を負おうとはせんわな。

未来の予測は誰にも不可能なのだから、「納得できる合理的なストーリ」などというのはフィクションにすぎない。サラリーマンだから金を持っている相手が「納得」できるフィクションをでっちあげられる能力もとっても大切なのだが。