インタラクション2013に行ってきたよ(その3)

2013-03-06 08:27

というわけでまだ続きます。

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脳の活動部位による分類を用いた動画同時視聴のための基礎検討

動画の種類によっては、右脳を活発化させるもの、左脳を活発化させるものがあるのだそうな。

では「右脳を活発化させる動画と、左脳を活発化させる動画を同時にみられないか?」

ということをやった研究。結論としては「それだとかえって見づらい」とのこと。
そもそもそんなに同時視聴させてどうするの、とも思うが聞いていて

「脳の一部しか使っていないのにはわけがあるのかもしれん」

と思った。というか今回「動画を同時に視聴させる研究」が複数あったように思う。そんなに動画をみてどうするのか、とか考えないのかな。


レビュー文を対象としたあらすじ分類手法の提案とあらすじ非表示システムの開発

今回論文賞受賞。初めて日本語でデモをみることができ「なるほど。これは確かに有効だ」と実感できた。

ネタバレというかあらすじの隠し方に工夫があると面白いかなと思った。例えば「集中しないと読めない」といった文字の表示方法とか。文字がかすんでいるとか、ものすごく線が太っているとか。そうやれば、読み手が集中力に強弱をつけることで、ネタバレ防止ができる。

とても5種類のアルゴリズムを比較するようなガッツと能力がないひとはそういうことを考えたりするわけです。


ライブビデオストリーミングにおける肩乗りアバタTEROOSを用いたテレプレゼンスシステムの提案

人間の肩に、小さな鳥のようなアバター(つまりはカメラ+マイク)がのっている。それが写すものを見ている人の多数決で決めよう、という試み。

なんどか発表を聞いたことがあるのだが、「デバイス原理主義」に落ちているのが残念。そもそもそれをやるとこんな面白いことがあるんですよ、というのをそろそろ実例で示してほしい。それを真面目にやれば「多数決」という安直な決め方はしないと思う。


引出しジェスチャを用いた遠隔ポインティング手法の試作

手元にある画面で、遠くにあるディスプレイ上の物体を選択する試み。
手元画面でまず指二本をおく。その指の間に第3の指を弓矢のようにひきしぼると、遠くのディスプレイにカーソルが、、というもの。

実際にやってみると50肩を患っている人間には、「2本の指の間に別の指を」という動作は敷居が高い。別に指の「間」ではなく「指の延長線上」でもいいではないかと提案したが、年寄りの戯言とと聞き流されてしまった(嘘です)


とまらないかざぐるま: 身体運動による発電の体験から電気の価値を考えさせるエコデザインの開発と評価

これはおもしろかった。電気をつくる厳しさを教えるため、まず風車をもって子供を走らせる。風車が回転したことで作られた電気で今度は風車を回す。すると一瞬で止まってしまう。

電気を作るのはこんなに大変なのですよ、とわからせる試みとのこと。

聞いているうちに、走って電気をためるところまでは一緒だが、たとえばそれを3DSにくっつけると「ためた電気の時間分、3DSが使える」とかのほうがわかりやすいのではないかと思いだした。10分走って、DS10秒かよ、とかのほうが子供に理解してもらえると思うのだが。


色付き文章の動的表示から受ける認知効果

前にもみたことがある「指でなぞったところだけ文字が読める」というインタフェース。今回は「段落ごとに、文字に色をつける」という提案。

これは正直どうかと思った。そもそも段落ごとに色をつけるというのが大雑把すぎる。文章というのは段落でそんなにきっぱり色分けできるようなものなのだろうか?

次に色がけばけばしく、「あざとい」と感じた。やっているとこに、文章というものに対する敬意が伺えない。ケータイ小説とかこんな感じで表示するといいんじゃないだろうか。

もとのコンセプトは面白かったが、ちょっと迷走しているのかもしれない。

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といったところで個別の感想はおしまい。今年も登壇発表、インタラクティブ発表それぞれに面白さがあった。

両方共「現状では未完成だが、想像力を刺激される」というものが印象に残っている。もちろんある程度まとまっていたほうが主張がはっきりわかる、という面もあるのだが、インタラクティブ発表はそこまでできあがっていなくてもいいのではないかと思った。

インタラクティブ発表の一つの捉え方として

「来てくれた人とディスカッションして、新たな気付きを得る」

というものがある。もちろんそれができずに、ただ自分の主張を繰り返す人も多いがまあそれはいいとしよう。

であれば必然的に研究は未完成でもいいわけだ。「これからどこに伸びていくかわからない」状態で示して、その後を考える機会にするとか。

そう考えれば、インタラクティブ発表は査読なしでもいいのではないかと思う。少なくとも去年のように「内容はともかく論文が6Pないと却下」という査読方針には賛成できない。

登壇発表は去年に比べると「マッドサイエンティスト」ぶりが減っていたように思う。これはそもそもの投稿がそうであったかもしれないし、査読で落とされたのかもしれない。よくわからない。

というわけで来年のインタラクションはきっとモアベターよ、とか言っている場合ではないのだが。