春の祭典

2013-04-15 06:42

New York沖で「やまと」が核攻撃のブラフをするときにかけていた音楽だな。(誰も知りません)

先日バレー+オーケストラの公開リハーサルを観た。アポロというのはよくわからなかった。長岡京オーケストラが各自てんでんばらばらの方向をみながらちゃんと音楽を合わせていたのが面白かった。とはいえ、数カ所出だしがずれたような気もしたが。

2曲目が春の祭典。事前のレクチャーで

「生贄に指名された少女は死ぬまで踊り続けなくてはならない」

という話しを聞いていたが、でてきたのは全員男性。これはどうしたことだ。

とか考えていたのは最初だけ。このような振付ができることに驚嘆した。何一つとってもありきたりの「これはこういう場面で」ではない。何をしているかわからないし、言葉で説明できないのだが観客の目を引き付ける。

そもそも人間にはこういう動きが可能なのか、という動きを織り交ぜながら。

帰ってから調べてみれば、これは歴史的にも有名な振付なのだな。

「東京・春・音楽祭」では、戦後のバレエ界を代表する重要人物のひとりと思われるベジャールの振付が踊られるのですけれど、その特徴、魅力は何でしょう?

via: 東京・春・音楽祭ー東京のオペラの森ー|春祭ジャーナル

舞台に小道具は一切ない。白い全身タイツを着用した男女だけがでてくる。(女性はおそらく上半身に下着すらつけていない)冬は動物も植物も眠っている時期だ。春がくるとそれらは目覚める。それは殺し合い、繁殖が始まるシーズンということでもある。春がピンクのやわらかな色で表されるイメージのはずがないのだ。

それをみていてこう考える。

もちろんどこで独創性を発揮するかはいろいろだ。ありふれた材料を使いながら思いもしない作品を作り上げる人もいる。しかしこのように「何一つありふれた動きを使っていない」作品にも驚嘆する。

ここでいきなり話が飛ぶ。

日頃iOSであれこれ作っている。iOSにはできあいの部品があり、それを使えばいろいろなことができる。しかし世の中にはそうしたものをほとんど使わずにものすごいインタフェースを作る人がいる。

新しい部品を作ることがどんなに難しいか。さらにはそれを組み合わせて一つの「作品」にする道のりの遠さは気が遠くなるほどだ。

しかしそれは時々私の前に表れる。この「春の祭典」がそれを示している。