戦艦大和の最後

2013-07-29 06:46

先日本棚にあった本をぱらぱらとめくってみた。

進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の途だ。日本は進歩を軽蔑してきた。わたくし的な潔癖や徳義にこだはって、真の進歩を忘れていた。敗れて目ざめる。それ以外にどうして日本が救はれるか。いま目覚めずしていつ救はれるか。俺たちはその先鋒になるのだ。新生にさきがけて散るのだ」 彼、白淵大尉の持論である。

戦艦大和の最後 p31

進歩が唯一の方法ではない。しかし進歩が激しく、ゲームのルールがどんどん変わっていくような業種では、進歩しなければ死が待っているだけである。

日本の携帯電話事業は、まさにそうした死の瀬戸際にある(正確に言えば、とっくの昔に死んでいた企業がようやくその現実に直面している)

携帯電話を作っていた大企業がいかに誇りと自信に満ちていたかは私はよく知っている。しかし彼らの自信は、自らを変えていくことによるものではなく

「わたくし的な潔癖や徳義にこだはる」

ことによって生まれていたものだった。

ルールが何故決められているのか。それにはどんな意味があり、どこでそれを順守し、どこでそれを無視すべきか。そうしたことを忘れ、「潔癖や徳義」の名の下、会社のルール遵守を強制する。それによって生まれる「美しい書類の山」と「ゴミのような製品」を私たちは何度も目の当たりにしたはずだ。

平和な今であれば、「iPhoneキラー」「iPhoneは売れていない!5年後はiPhoneだってどうなっているかわからない!」という大本営発表を繰り返せばいいと思う。しかし戦争中自分たちが到底及ばない兵器に、仲間や家族たちが殺されていく現実に直面していた人はどう考えただろうか。

白淵大尉の言葉は、現在衰退しつつある日本の大企業に等しく当てはまる。「勝利」が続くと、こうした自己欺瞞に陥るのはどうも日本の伝統芸のようだ。

もちろんこうした傾向がすべて悪いとは思わない。うまくいく部分もあるのだ。地道にひたすら努力を重ねなくてはならない部分では依然として日本企業の強さが発揮されることもあるだろう。

そして徹底的に負けたあと、そこから立ち上がるのも日本の伝統芸としていいのではなかろうか。私が生きている間にそうした姿が見られるといいのだが。