株価の無意味さ

2014-01-07 07:18

株価には何の意味もない、ということは多くの人が知っている。しかしそれに金が絡んでいるとなると、何故か意味を持たせる人が多くでてくる。

Appleにとって、2013年前半は意外と苦しい時間だったかもしれない。特に株価では、2012年に700ドル以上の価格を付けてから390ドル台まで落ち込んでしまった。競争の激化による収益性の低下が悪材料と見られたことはあるが、それでも競合他社とは比較にならないほどの高収益を確保することは間違いないと見られる。

via: 2014年のアップル、“顧客に愛される大きな計画”--松村太郎のApple一気読み - CNET Japan


実際株式会社の経営者は株価を気にしなくてはならない。株式公開しているのだから当然だ。あと株を保有している人間にとっては株価が上がったほうがよろしい。

しかしそれ以外の人間にとって何か意味があるのか?私が勤めている会社の株価は過去2年間に5倍になった。だから何だというのだ(以下記述を自粛)

などと書いても無能な人間が給料の安さを嘆いているだけだと思われるだろうからもう少しまともなデータを出す。Apple, Goolge, Amazonの株価比較である。

Apple,Google,Amazon株価比較

引用元:Wall Street vs AAPL in nine bar-charts

「株価収益率」がどうだから、割安だの割高だの語る人はそこらじゅうに存在する。しかしそれが何だというのだ?そうした人はこのチャートをみても、「Amazonの潜在成長力がどうのこうの」と語るのかもしれない。ではそうした曖昧で誰も定義しようがない言葉を数値に置き変えることができるのか?

前にもどこかで書いたが、2000年前後のドットコムバブルの頃には次々と新たな「指標」が発明され続けた。株価が理不尽な動きをしているわけはない。これは従来の指標が市場の変化に追従できないため、とでも誰かが言ったのだろう。それはバブルが崩壊するまで続いた。

株価というものに意味はないと思うし、それ自体に興味は持てなくても、それをめぐる人間の行動には興味を持たざるをえない。声の大きな「空疎な理論をわめきまくる」人たちと、黙ってしっかり儲ける人の組み合わせ、というのはいろいろなところに存在しているように思える。