たった4,411人の死者

2014-04-01 07:17

このネタも何度か書いたことだがあれこれ見返していてこういう記事を見つけたので再度掲載。

“If you look at newspapers from American cities in the 1910s and ’20s, you’ll find a lot of anger at cars and drivers, really an incredible amount,”

via: Murder Machines: Why Cars Will Kill 30,000 Americans This Year | Collectors Weekly


適当な訳:1910年、20年代のアメリカの新聞を見れば(事故を起こした)車それにドライバーに対する怒りの記事があふれていることに気がつくだろう。

つまるところ、我々が何を「悲劇」とするかは客観的な事実ではなく感情によるものなのだ。全日本交通安全協会のサイトを見てみるとこんな「さりげない」記述がある。

死者数が最も多かった日は7月31日(火)と11月1日(木)の25人

via: 平成24年中の交通事故死者数 - 一般財団法人 全日本交通安全協会


一日に25人もの人が命を失う。しかも年に2日もだ。考えてもみてほしい。例えばこれが「スマホを使うことが原因で死亡した人の数」だったとしたらどれほどの騒ぎが巻き起こるか。

しかしそれが「交通事故の死亡者数」となると誰もが「ああ、そうですか」と気にも留めない。私が幼いころはそれでも「交通戦争」という言葉があったが昨今これに類するニュースを見た記憶が無い。

とこんなところで書いていてもなんの効果もないと思うので「前向きな提案」をいくつか。まず最初に引用した記事にもあるように「そのように多くの事故を引き起こす物が、どのように社会に浸透し”あたりまえ”になったのか」というプロセスは大変興味深いものだと思うのだ。将来同じようなことが別の何かに対して起こらないとは誰も言えまい。

もう一つ。米国で一度だけ見たCMで未だに忘れられないものがある。かわいい赤ん坊、あるいは子供のビデオが数秒映しだされ

John Smith(仮名): Killed by drunk driver

という黒地に白のテロップが映し出される。それが数回繰り返される。

「交通事故で死亡」などと書くとどこか「風呂場で転倒して死亡」といったように主語が曖昧になってしまう。Killed by drunk driverという表現は強烈だし間違っていない。子どもたちは明らかに「殺された」。何か日本語でも同じような表現ができないか、と思うのだ。