Cheap Trick

2014-04-10 07:18

STAP細胞なるものが世間を賑わしている。この話は発端からして違和感があった。違和感としか表現しようのない何かがあった。

その分野について何もしらないこともあるし、「論文の不正」と「STAP細胞の存在」は切り離して考えるべきだ、という主張にも一理ある。そう思って状況を生暖かく見ていたのだが。

小保方「私自身200回以上作成に成功している。今回の論文は最適条件を出したのではないというものでした。最適条件を示していけるような論文を準備しているところだった。研究が止まってしまった」

via: 【小保方氏会見速報(2)】STAP細胞の作成「200回以上成功している」 | THE PAGE(ザ・ページ)


「嘘のつき方」というのは年をとると学習できるように思う。些細な事情をさして「それが問題だ」と話をそらすなどなど。私の中ではこのコメントでこの一連の騒動はGame over。Thanks for coming.

不思議に思うのは、なぜこれだけ安っぽい「自分が信じる物だけが見える人」を理研が持ち上げたのか、という問題である。論文がAcceptされたと聞いてからの理研のプロモーションの仕方は尋常ではなかった。研究の内容ではなく、それ以外のところばかりが取り上げられた。もちろん「馬鹿な大衆」ども相手にはそうしなければならない、という事情はわかる。しかしそれがあまりにも低俗だった。

理研は「不正は一人だけが行ったもの」として幕引きを行う構えである。私はこの姿勢は間違っていると思う。世の中にはアカデミックの研究者という人たちがおり、その人達はムラ社会を形成し、その中で暮らしている。(そうでない人もいる)

このような状況において研究論文に疑問を示す研究者は、研究者コミュニティからも「コミュニティの和を乱す人物」として敬遠され、アカデミアの外に追いやられるリスクが高くなります。研究者の世界は狭いものです。誰かの研究結果について公で議論するのはカドが立つため、円滑な人間関係を維持しづらくなります。

via: 研究者が沈黙する理由 - むしブロ


このコメントをどうとるかは人によって様々だと思うが、その率直さを歓迎したい。ムラ社会ではムラの平和を守ることが最優先なのだ。

その「ムラ理論」ではこうした幕のひきかたは許容されるのだろう。私は納得しないが、別に私は理研に寄付もしてないし。

今回「博士論文」の不正が発覚したことで冷や汗をかいている「博士」も多いことだろう。もちろん立派な「博士」もたくさんいるが「一体なぜこの人が博士号をとれたのか」と不思議に思う人はその何十倍もいる。とはいえ審査するのも追求するのも「ムラ」の中の出来事だからそのうちウヤムヤになるだろうが。

ただ「博士号」というものに対しての不信感が高まったことだけは疑いようがない。まあこれも実世界ではあまり関係ないか。立派な博士に聞けば「いや、私は、私のまわりではまじめにやっている」と答えるし、実際そうだろう。しかし前述の事情により、ムラ社会では自浄作用が働かないのだ。