21世紀の帝国陸軍

2014-05-28 07:07

帝国陸軍について書かれた書物を読むと

「この人達は一体誰と戦っていたのか」

と考えることが多い。果たして彼らが殺そうとしていたのは敵なのか見方なのかわからなくなる。不愉快なほど頻繁に。

自らが作り上げた神話に「はまる」ことを再優先とし、いつのまにかその「幻想の維持」に全てのエネルギーを注ぎ込んでしまう、というのは別に我が国に限った話ではない。しかし彼らの特異な行動様式には首をかしげることが多い。以前私はこう書いた。

ここで先ほどあげた「信じる権利」を述べた「信念の論理」第一部 ウィリアム・キングドン・クリフォード に引用されている格言を掲げておく。

また、コールリッジによる有名な格言もある。

最初に真実よりキリスト教を愛する人は、キリスト教より自分の宗派や教会を愛するようになり、最後には何よりも自分を愛するようになる。

(熊とワルツを 付録A)

帝国陸軍の高級将校達は国よりも陸軍よりも命令を受ける兵士よりも戦闘の結果よりも何よりも幻想が支配する組織で出世し権力をふるえるようになった自分を愛していたのではなかろうか。虚構の幻想の中で美しく踊る自分の姿を脳裏に描いていたのではなかろうか。

via: 失敗の本質の一部


彼らはまず何よりも自分たちを愛していたのだと思う。帝国陸軍高級将校としての自分たちの姿を。それ故それを汚すものにたいして-特に「卑怯なふるまいをした」部下に-は自決を強要した。そうした態度は「帝国陸軍の憧れのまと」辻政信にしばしば見られた。


なぜ過去に自分が書いた文章を引用したかといえば、今朝この文章を読んだからだ。

そのことをいえば、社員以上に経営陣から危機感を感じたことがない。経営陣の危機感の欠如は、かねてから不思議でならないのだ。ソニーの役員を見ていて感じるのは、彼らは“ソニーの役員”を演じているだけで、“プロの経営者”の役割を少しも果たしていないことだ。

via: ソニー、なぜ“緩慢な自殺”進行?パナとの明暗を分けた危機感の欠如と、改革の学習経験 (Business Journal) - Yahoo!ニュース BUSINESS


帝国陸軍の高級将校が「元帥は命令する」だの「驕敵撃滅の神機到来」とか言いいながら、間違った命令を下し負け続けたのはなぜか。それは彼らが「プロの軍人」ではなく「帝国陸軍の高級将校」の役割を演じていたからにほかならない。

そしてその伝統は皮肉にもかつて「世界中から尊敬されていた企業」のソニーに継承されているようだ。

彼らは「世界のソニー」という幻想を作り上げた。そして今やその幻想を維持することに全ての力を注いでいるように思える。彼らはおそらく誰もよりも「ソニー」を愛しているのだろう。常に革新的な製品をつくりだし世界から尊敬された企業としてのソニーではなく、SONYという4文字を。