なぜKPI中心設計になってしまうのか?

2014-06-17 06:59

KPIなる便利な言葉が企業で使われるようになったのはいつからだろう。そして日本人の悪癖として「何か権威があるような言葉ができると、その意味も気にせずひたすらそれを追い求める」というのも過去数十年変わっていないような。昭和初期なら「国体明徴」だし、終戦間際なら「国体護持」だし、昨今だと個人情報保護かもしれん。

というわけで今朝うなずいたこの文章。

多くの企業が、顧客中心主義をうたい、「人間中心設計」を行っているように見えるが、実際には顧客である人間を見ておらず、「KPI中心設計」になっていると指摘。デザイン思考やHCDに対しては、「ツールとしての認識ではなく、企業文化という観点」で根付かていくことを考えなけばならないと語る。

via: 日本人としての「デザイン思考/HCD」の本質--関係性を再定義し、多様性を持ち越境する(2/4):企業のIT・経営・ビジネスをつなぐ情報サイト EnterpriseZine (EZ)


実のところそのKPIが有効か、とか短期的なKPIばかりみていると革新がでないよとかそういう議論は

「まあ。それはそうとして今日もKPIの確認から」

と朝礼をやるのが日本企業の平均点なわけだ。

これは「デザインとはなにか」という問題に関わることでもある。以前書いたように「良いデザインとヒット曲は似ている」のだ。誰もそれがヒットするかしないか事前に知ることはできない。

というわけで「良い、新しいデザインを作り上げる」というのは、新しい曲、新しい映画を世の中に出すのと同じくらい勇気のいることだ。そしてKPIの追求というのは、そうした勇気を要する決断から逃げる最も安易かつ安全な方法なのである。定量的に評価できる指標を設定し、毎日チェックを行っております。これ以上に「説得力のあるデタラメ」はあるだろうか。

というわけで今日もKPIの確認から朝礼を始めましょうか。考えてみれば、社会主義国にはこうしたKPIがいっぱいあって、日夜それをちゃんと確認していたのだろうな。