MVNOとはなんなのか

2014-07-31 07:35

私が最初につとめた企業は、今とは似ても似つかぬ重厚長大企業である。多分1年前くらいに

「俺はSIMフリーの端末にMVNOのSIMをいれてるから月1000円だよ」

と同期の友達に言った。すると

「それって合法なのか?」

と聞かれた。

というわけでMVNOである。この4文字にはいろいろ苦い思い出もあるのだがそれは放っておいて、とにかく私はIIJのSImでご機嫌である。未だにMVNOは普及していないらしいが、普通の人は携帯電話3社が横並び料金でしかもどんどん値上げしている(しかもきっちり利益を上げている)ことに疑問をいだかないのかな。

というわけで先日MVNOに関して秀逸なたとえを見つけた。

いまから10年経っても3キャリアを利用しているひとは、いわば「海外にパックツアーで行くひと」
に似ています。

via: ■「ドコモauソフトバンク使うのは、パックツアー旅行に行くようなものだ。」な時代へ。 | ふじさわブログ(元 iPhone愛用中ドコモ店員のブログ)


今でこそパックツアーも安くなったが一昔前はものすごく高かった。そして我々は「そういうもの」と思ってその料金を黙って払っていたのだ。(20年くらい前は、日本とアメリカで同じ路線の航空券を買うときにものすごい価格格差があった)

もちろんパックツアーだって悪くない。自分で航空券買ったり、宿を手配するのは面倒だ、という人もいるだろう。しかし確かに今自分でそういうことをしている人は、3キャリアなんかつかわないでMVNOを使うべきだと思う。

前にも書いたが

これまでキャリア各社は、2年契約などを前提として端末価格を割引き、月々の通信料でその代金を回収していた。しかし、SIMロック解除が義務化されると短期間で他キャリアへ乗り換えられてしまうリスクが高まるため、キャリアは端末の割引額を下げざるを得なくなる。もしそれで端末購入時の価格が大幅に上昇してしまうと、ユーザーが価格を重視してMVNOへと流れる可能性はある。

via: 「MVNOの影響は大きい」--KDDI田中社長がSIMロック解除を語る - CNET Japan


結局見かけの代金が安いだけで、元以上の金はちゃんととられてるんだよね。JTB窓口のお姉さんの給料とかさ。

そう考えると、日本のキャリアというのは「朝三暮四」を地でいっているのかもしれん。そしてユーザはそれにまんまとだまされている、と。



報道するのだ

2014-07-30 06:58

メディアとメーカー(というか企業)の関係というのは「持ちつもたれつ」なのだろうな、とぼんやり想像することがある。人の世の中であるからみんなと仲良くすることは基本である。

でもって多分お互いにわがままを聞いてもらうこともあると思うのだ。それゆえ時々だが驚くような「大本営発表」が[広告記事]でもないのに登場したりする。

最近SonyのPC事業が独立したらしい。それ自体はどうでもよいことだが、驚くのはその発表会の記事の量である。

あまり興味を持っていなかったのだが、RSSリーダーの見出しをつらつらみていても、やたらと記事が目に入る。では何か面白い発表でもあったのかと思ったらどの記事を読んでも

「みんなでがんばっていいものを作ります」

としか書いていない。

「よりよい商品」とは、何か固有の要素だけで生まれるのではなく、いろいろな要素がつながり、一連のスムーズな流れが生まれることで、結果、素晴らしい商品として結実するのではないでしょうか。

via: 本田雅一のクロスオーバーデジタル:新VAIOは“次世代プロセッサ搭載PCの完成形”を目指す――関取社長ロングインタビュー (4/4) - ITmedia PC USER


あるいはSonyという名前はメディアの方々になにがしかの郷愁の念をかきたてるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

さて同じく「不思議な記事」が頻発するMicorosoftのSurfaceである。

この個性の異なる3つのデバイスの中で、毎日の持ち歩きにどれを選ぶかといえば、もっとも柔軟で多岐にわたる利用スタイルを許容するSurface Pro 3になるんじゃないかと、少なくともほぼ1週間の利用ではそういう気分になってきてはいる。

via: 【山田祥平のRe:config.sys】寝かせたい、触りたい、立てたい、打ちたいを叶える全部入りタブレット「Surface Pro 3」 - PC Watch


こちらもやたらと「好意的」な記事が多い。のだが、その記事の隅々にライターの方達の本音が見え隠れする。

ただし、クラムシェルノート相当として利用するには物足りない部分がまだまだ多いと感じるのも事実。確かに背面キックスタンドやタイプカバーの進化によって、従来よりクラムシェルノート的な利便性は向上してはいる。しかし、拡張ポートの少なさやキーボードの使い勝手の悪さなど、妥協しなければならない部分が存在している以上、クラムシェルノート的な使い方をメインとして考えているなら、通常の軽量ノートPCを購入した方が幸せなはずだ。また、高負荷時に高温となりサーマルスロットリングが頻発する点も、ノートPCに対して劣る部分だ。

via: 【Hothotレビュー】日本マイクロソフト「Surface Pro 3」 ~薄く軽く液晶が大きくなったWindowsタブレット - PC Watch


結局今度の3も「どっちつかずの中途半端な製品」ということなのだろう。となれば、しばらくたつと「SurfaceはiPadよりも売れている!」というすてきな記事を読むことができるかもしれない。

いずれにせよ、こういう不思議な記事の分布から、きっとメディアに影響力が多き人とそうでない人がいるんだろうな、とぼんやり考えている。何の確証がある話でもないけれど。


デザインするのだ

2014-07-29 06:47

毎度のことであるが、自分が過去に書いたブログのポストを見返すのは楽しい。「最近おれはこんなすごいことを考えた」というものが実は数年前に言っていることの退化版なんてのはしょっちゅうである。

先日過去のポストを見直していて、こんな引用を見つけた。

NBO ははあ、だから「頭で考えてしまう」タイプのインテリは必ずしも反応しなかった。

糸井 「わあっ」は、なんというか、ボディで、全身で、その対象物に出会ったときに、思わず出てきてしまうんです。言葉とか理屈を超えて、凄い、うれしい、欲しい、と思ってしまう感覚。でも、本当に欲しいもの、本当に好きなものに出会った瞬間というのは、そういうものじゃないですか。

NBO たしかに、わあっ、なんなんだこの商品は! 俺に買われるためにできたのかっ、というモノに出会っちゃうこと、あります。

糸井 マーケティングなどが発達しすぎると、どうしてもお客さんのニーズや好き嫌いだけを徹底的に分析して、モノを作ろうとしがちです。でも、それをやりすぎると、もしかすると一番肝心な「わあっ」がどこかにいってしまったりするのかもしれません。

via: iPad、「アバター」から前川清まで――イトイ式「売れるモノ」の法則:日経ビジネスオンライン


「俺に買われるためにできたのか!」というのが、まさに「声にできないユーザの欲しいものを具現化した」というやつではなかろうか。

論理的に考えることはよいことだ。物事を磨くのには役に立つ。しかしこの場合対象にしているのは、わけがわからない人間というものだ。それが心の底で本当にほしがっているものを形にすること。それこそがデザインなのだと思う。

そのうち表のブログでちょっと書くが、この「デザイン」という言葉は広く使われすぎていて、意味がなくなってきている。

「脚本家」

「演出家」

「振り付け師」

「美術。大道具、小道具」

なんかの言葉に置き換えたらどうかと思うんだけどね。演劇とかミュージカルというのは、見ているユーザの心をゆさぶることで金をもらっている。その世界がどのような役割を求めて、どのように進化してきたのかをしるのは、今「デザイン」という言葉に押し込められている厄介な話を整理するのに役立たんかなあと思っているのだが。


交渉するのだ

2014-07-28 07:00

昨日のNHK大河ドラマ黒田勘兵衛でこういうシーンがあった。秀吉が明智光秀と対峙しようとしている。しかし「大義名分」がほしい。というわけで何の実力もない織田信長の3男を迎え入れる。そこでは

「信孝(三男)様がいなければ、何もできません。」

もちろんこれは全部方便なのだが、信孝氏は「まかせておけ!」と力強く宣言する。交渉ごとはこうでなくてはならん。今朝こういう文章を見つけた。

1つ目。どのような交渉においても、「他者」が最初で「あなた」は二の次、です。2つ目。交渉においては、感情が論理よりも重要です。3つ目。提案をしなければならないときは、相手側のスタンダードと基準を見抜くようにすること。4つ目。誰が正しいか、誰が勝つかは重要ではありません。自分の目的に達することだけが重要なのです。

via: グーグルの交渉力を磨いた男、スチュアート・ダイアモンドの交渉術 Page2 « WIRED.jp


この内容には全面的に賛成する。というかもっと若い時期にこのことを知っていたらなあと思う。先日書いた「非業務コミュニケーションの必要性」とかね。

ちなみに上記の2項目目

「相手のスタンダードと基準を見抜くこと」

というのはかなり難しい。それぞれの組織はそれぞれの価値基準で動いており、やっかいなことに組織自体はそれを自覚していないので、これは「見抜く」しかない。デンソーの人たちが、「惑星トヨタ」にすんでいることを「見抜く」までにはずいぶん時間がかかった。

もう一つ重要なこと。上記の4番目にあるように「重要なのは、勝った、負けたではなく自分の目的に達すること。さてここで問題です。

「自分の目的」

とはなんでしょう?


日の丸アカデミック村は今日も平和です

2014-07-18 07:19

大学の先生という世界は一つの村社会を形成している(ちなみにNTTとかトヨタも村というか独自の国を形成している)その中では権力者の意向に沿うこと、お互いを助け合うことが何よりも優先される。

小保方リーダーの博士論文について、調査委は報道向けに配布した資料の中で、「多数の問題箇所があった」「内容の信ぴょう性および妥当性は著しく低い」と痛烈に批判している。それにもかかわらず、なぜ「学位取り消し」にはあたらない、という結論に至ったのか。弁護士でもある小林委員長は記者会見で、次のように説明した。

「学位の取り消しは一つの法律行為なので、その要件に合致しなければ、たとえ心情的にはおかしいと思っても、取り消すことができない性質がある」

via: 早稲田はコピペしても「博士号」が取れる?小保方さんが「学位取消」にあたらない理由 (弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース


まあ、こういう結論になるんだろうなと予想は誰もがしていたと思う。理由はわからないが、小保方氏には議員先生の強い支持があり、日の丸アカデミック村の親方たる文部大臣が意味不明の言説を繰り返しているところから、早稲田大学はこの結論以外出せなかったのだろう。

かくしてアカデミック村の平和は保たれた。「日本の大学の博士号は冗談」という事実は別に今に始まったことではないし、今回のことも半年もすればみんな忘れることだろう。

注意したいことだが「日本の大学の博士号は冗談」というロジックを逆転して「日本の博士号を持っている人は冗談」とするのは間違いである。早稲田で博士をとった人というとまず産総研の後藤さんが思い浮かぶが、後藤さんのやっていることが冗談、などという人間は小保方氏なみに頭がおかしい。つまるところ日本のPhDがあろうがなかろうがすごい人はすごいし、だめな人はだめ。日本のPh.Dはだめな人でもとれます!ということを誰の目にも明らかにしたことが今回の一件の功績か。

他の大学の先生のtweetとかみていると「うちは早稲田じゃない!」とか言っているが、おそらく早稲田の中では「うちは○○学部じゃない」とか「うちは○○研究室じゃない」とかやっているのだろう。こういう線引きというのはハタからみているとなかなか興味深い。

それはさておき

こういう「村社会の平和を保つ方法」というのは興味深いことなのだが、問題は「外からの攻撃」に弱くなってしまうことだ。日本軍という村社会が、その秩序を保つことに巧みであったが、戦争にとても弱かったことを思い起こそう。

今回の一件は、おそらく日の丸アカデミック村内部に何の変化も与えずに消え去っていくのだろうが(理研もおそらく何もかわらないだろう)、外から見たときはどうなんだろうね。少なくとも私は自分の子供が「日本で博士号をとりたい」といったら「金はださんよ」と言う。Ph Dとりたいならアメリカの大学に行け、と言うだろうな。


異なるプラットフォームで何を共通にするのか

2014-07-17 07:32

表のブログにこういうことを書いた。

Windowsはこうした「共通化」について一番極端だったといえるかもしれません。あのタイル画面をPCでもモバイル機器でも「どん」と正面に据えたわけです。このようにApple/Google/Microsoftがそれぞれ異なる画面上で何を共通にし、何を個別にしたかの判断はなかなか興味深いものがあります。

via: Google I/O 2014 PC画面のデザイン/腕につけたディスプレイ上のデザイン - 株式会社ネクスト エンジニアBlog


今日書きたいのは、なぜMicorosoftがそういう馬鹿げたことをしたのか、だ。

最近MicrosoftのCEOがこういう文章を発表した。

We have the right capabilities to reinvent productivity and platforms for the mobile-first and cloud-first world.

via: Microsoft’s New CEO Needs An Editor | Monday Note


Microsoftは"Productivity"にフォーカスするという。ではProductivityとはなんだ?

いろいろな定義があるのだろうが、私は彼らの言うProductivityとは

「全てのデバイスにWIndowsが乗っている世界を効率的に実現する」

ことなのだと思い当たった。先日Microsoftのカンファレンスに行って気がついたことだが、やたらと

「この開発ツールを使えば、Windows Phone,Windows Desktop, Android,iOS全てに共通アプリを作ることができます!」

とやたらと強調していた。なるほどそれは偉大なことだ。しかし彼らはあまりにも「異なるプラットフォームに一発アプリ開発」を訴求しすぎる。そして異なるプラットフォームでは異なった操作方法が必要なのではないか、とかそういう考慮はしない。

同じ思想に基づいて彼らはあのMetro画面を全てのプラットフォームに共通とした。なぜならそのほうが「効率的にソフトウェアを開発できる」からだ。その結果については問わないらしい。

実際、前述の Thurrott 氏ソースでも、また業界きってのマイクロソフト番として知られる Mary Jo Foley 氏 (参考リンク先) がマイクロソフト筋から得た情報として伝えるところでも、マイクロソフト内部では Windows 8 を「Windows Vista 2.0」的な失敗作として認め、次のWindows Threshold ではできるだけWindows 8と距離を置くことで Windows 7からの乗り換え層の取り込みを狙っているとのこと。

via: マイクロソフト、次期Windows『Threshold』に新スタートメニューを導入。スタート画面を置き換え - Engadget Japanese


結果はこんなことになった。誰も「ソフトウェアの生産性向上万歳!」と叫んでくれなかったのだ。ぼんやりとだが、新生Microsoftの「生産性第一」ポリシーに私は漠然とした不安を感じる。先日ある会社に打ち合わせに行った。相手の会社からの出席者は(ちなみに私の会社もそうだが)全員Mac Bookを持ってきていた。誰が強制するわけでもない。普通の会社ではMicorosoft製品を使わなければならない。それはユーザにとってではなく、会社にとって「都合がよい」から。もちろんそれはMicrosoftの側からみれば「人々の生産性向上に寄与しています」ということになる。

しかし誰もMicrosoftは好きじゃない。Windowsマークをみる度に「うげっ」となるのは私だけではないと思う。仕事を思い出すからだ。これで彼らはやっていけるのだろうか。



インターネットは多様性 を殺す

2014-07-16 07:03

すいません。また「ウケ狙いのこそくな題名」をつけてしまいました。しかし言わんとしているところとそう外れているわけではない。

先日のシンポジウムの講演内容。

70億人がインターネットにつながることで、創造性や才能、デザインや感性といった個々人に依存するものがWeb上で表現される可能性が生まれ る。

また、ありとあらゆるモノがネット接続することで、多種多様なデジタルデータがネットに流通する可能性もあり、その数は想像できないほどの大き い数になるだろう。

「創造されたモノはWebに流通し、シェアされ、多くの創造性や感性が尊重されつつも改善されることで、個人で創造していた今までとは違うモノ が生まれるはずです」

via: 「イ ンターネットの父」村井純氏、未来のモノづくり《ファブ地球》構想を語る - エンジニアtype


繰り返しになるが、この言説を聞いて「げっ」となるのが、これは村井氏が「インターネットの父」だったころのあおり文句としては正しいが、今はそこから何十年もたっている、ということだ。

従って私としては、「実際にCGMコンテンツを共有できるサイト」を運営しているこの人の言葉により信頼を置く。

川上 完全にウソですね。クリエイティブの楽園なんかにはなりません。オープンなマーケットで、みんながコンテンツをつくれるようになるほど、コンテンツの実質的な多様性は減るっていうのが僕の持論です。数が多いということは、ある解にむかって自動的に収束していくってことですからね。

— 実質的な多様性が減る、とは?

川上 例えば、「小説家になろう」っていう小説投稿サイトがあるんですけど、そのランキング上位の小説の設定がほとんど一緒になってたりするんですよ。だいたい転生もので、主人公が生まれ変わって、別の人生を歩んで、活躍するっていうストーリーです(笑)。

— ユーザーの願望が(笑)。

川上 投稿されている小説の中には本来多様性があるはずなんだけど、ランキング上位に来るものは全部似たようなものになる。ニコ動だって、いろいろな作品が投稿されていますが、何かが流行るとそれ一色になりがちです。参加数が多いってことは、逆に実質的な多様性を減らす効果があるんです。

— じゃあ、みんながクリエイターになるってことは……。

川上 逆にクリエイティブの自由度が減るってことです。いや、個人が何をつくるのも勝手なんですけど、人気になったり売れたりするものの自由度は減っていきます。

via: 【第8回】いま、好きなアニメをつくれるのはジブリくらい。|川上量生の胸のうち|川上量生|cakes(ケイクス)


こうした「時代遅れの言説」に文部科学省が乗っかる図柄。

いや、いいんだよ。高い目標を掲げて、それに向かって進むのは。問題は「現実をふまえた上で」その主張をしろ、ということ。川上氏が主張しているような「現実」をふまえた上でそれを克服しよう、という姿勢が先日のシンポジウムでは全くみられなかった。20年前の「インターネットがもたらすバラ色の世界」をかたり、それに対して「もちろん問題もありますが、自分たちがやっていることが解決になります!」という自己完結した主張のようにしか見えなかった。

いや、私は年寄りだ。他人がやっていることに文句を述べる暇があれば、自分はどうしたいかを考えなくてはならん。

この「誰もが”表面上ほしがっているもの”ばかりが投票で上位にくる」傾向を打ち破るためには何が必要なんだろうね?参加者のマスを集めながら、かつ多様性を確保するにはどうすればいいのだろう?


ドラマが面白い

2014-07-15 07:11

気がつけば民放のTVをほとんどみなくなっていた。結果としてCMで何が放映されているか、とか全く知らないのであった。

しかし日英両国の公共放送を見ているだけで十分満足な昨今である。まずBBCのSherlockが面白い。ベネディクト・カンバーバッチというのは 変な顔をしている(本人が言っている通り)そして彼が演じるホームズもとても嫌なやつである。

なのにみているととても面白い。最近知ったのだが、こういう"Reaction"ムービーがたくさんあるのだな。

でもって「総統閣下」までもSherlockについてあれこれ熱弁を振るっている。いや、すばらしい。

いや、英国製品だけに感心している場合ではない。久しぶりに家族でみている大河ドラマ黒田勘兵衛がこれまた面白い。特に前回の終わりで、

「実は信長が光秀に殺されたんだよねー」

と毛利側の安国寺恵瓊にバラすところには驚愕した。

この二つのドラマに共通する面白さは

「誰もが結末を知っている物語をどう脚色するか」

ではないかと思う。シャーロックはモリアーティと相打ちになって滝壺に落ちる。そのシーンをそのまま再現する、というのは芸がない。誰もが何度も やったことだ。であれば、どうする。なぜ光秀は信長を殺したのか。正確なところは誰もしらない。しかし過去のドラマでは「細面のインテリ」として描か れがちだった光秀を小太りのおじさんにし、それにふさわしい動機を与えた。

いや、人間の想像力にはいつも驚かされる。最近つくづく思うのだ。探す気になれば、このように興味深い作品はいくつもある。くだらない作品について 文句を言っている時間があれば、そうした面白い作品を探すべきだ、と。この年になると実感することだが仮に健康が保てたとしても残り時間はそう多くな い。

「存分に生きた!」

と言えるだろうか。


COI-T「創造的生活 者シンポジウム」に半分くらい参加したよ

2014-07-14 07:15

というわけで表題のシンポジウムに参加し た。こういう

「お国が指定したプロジェクトに大学と企業が参加する」

というのは過去に何度か見てきた。情報大航海とか情報大爆発とか。

いつも思うのだがこういうプロジェクトはだいたいこんな経緯をたどる。

・大学の偉い先生が、「今はこれが必要です。このプロジェクトをやれば日本の産業にも寄与します」と言う。
・その実プロジェクトに参加した人は「それぞれ勝手な研究」をやっている。遠大な目標となんの関係があるのか首を傾げざるを得ないものばかりでてく る。
・発表会とか報告会をやって、そのたびに「こういう風に偉大な成果がでたのです。」としゃべる
・後に何も残らない。リセットして別の先生が別の構想を述べる。

シンポジウム会場にはいったところ、文科省の人の挨拶の終わりだった。そのあとも「重鎮」の挨拶があったがそれは省略。しかし時間を使うからには、そ れに見合った内容をしゃべってほしいと思うものだが。先日中学の説明会にいって痛感したのだが「全く内容のない言葉を、丁寧に並べて時間を稼ぐ」とい う才能が確かに存在し、校長と名乗るからにはそれに熟達していなければならんのだな。そんなことをちょっと思い出した。

そのあと研究リーダーとプロジェクトリーダーが何かを言う。ここについては細かく問わない。なんといっても彼らは役所からお金を取ってこなければなら ないのだ。そのために必要な言説もあるだろう。しかしこの時点で何かがひっかかっていた。

「3Dプリンタさせあれば、受動的な消費者も能動的な創作者になれる!」

という主張(私はそう聞こえたが)がひっかかるのだ。プロジェクトリーダーの言葉を聞いているうち大躍進政策の土法炉を思い出す。あの無謀な計画も 「農民が自らの手と熱意で鉄鋼を作り出す!」とかなんとか景気のいい言葉で飾られていたのだろうな。消費者は自分が何か本当に欲しいのかわからないか ら消費者なのであり、デザイナーはそれを汲み取って形にすることでお金をもらっている。この構図を全く無視した言説に私は滑稽なほど反応するらしい。

マスプロダクションもいいけれど、個人のニーズにあった少数多品種生産もいいんじゃない?それは結構。では実例を挙げて下さい。反例をあげましょう か?日本の家電メーカーは女子向け、初心者向け、大きいもの、小さいもの、キーボードがついているもの。実に多種類の「ニーズにあった」スマホを作り ました。それは世界共通一種類しかデザインがないiPhoneにすべて吹っ飛ばされました。はい、論破。いや、ここで突っ込んだら負けだ、と自分に言 い聞かせる。

さて、お待ちかねのライトニングトークである。偉い人が何をぶち上げるかは別として、私の興味は実際に担当する人たちが何をつくるか、だ。このライト ニングトークは実に興味深かった。実はこの研究を実際に行っている人たちのスタンスは3種類に分けることができる。

立場1:プロかアマチュアかを問わずクリエイターがお互いに協調し、競い合う環境を整備する基盤を作るのが重要


立場2:ユーザが自分の感性を入力すると、あーら不思議あっというまに「自分だけのすごい製品」が3Dプリンタから出力されます!


立場3:インクルーシブデザインに近い立場。すなわちユーザ自身も設計のループに参加する

20年前ならともかく「インターネットでみんなつながったたんだから、誰もがクリエイターだ」などという言説をなぜ21世紀も10年以上たった今振り 回せるのか不思議である。3Dプリンタを除けば、音楽、イラスト、動画の分野でそうした仮説は随分前に唱えられ、それがどこまでいけるか、いけないか は現実によって示されている。ニコニコ動画は数々の名作を生み出した。そしてカラオケの分野に個人が作った作品がでてくるなんてのはインターネット以 前は考えられなかったことだ。しかしそれはあくまでもそこで止まっている。いまだに初音ミクは紅白に出られない。(私はでるべきだと主張しているが)

立場2の「感性を入力すればあっというまに製品が」ついて是非期待したいのは、早期に多少反則がまざっていても構わないので

「ユーザ自身が、自分の感性を反映させた製品を作ったら、本当にすごく愛着がわきました」

というチャンピョンデータを示してほしいのだ。あの貝殻のようなケースを本当に

「売っているものより、自分がデザインしたこっちのほうがいいわ」

といって持ち歩く女性がいるのなら、是非その人の声を紹介してほしい。それが「受動的消費者が創造的生活者になる」という仮設の大元であり、The Riskiest Assumptionだ。それが実証されない限り、アルゴリズムをいじろうが論文を通そうが、すべて虚構にすぎない。私が経験で得た知識からすると

ユーザの声を聞く
ユーザに絵を描いてもらう

のはいずれもユーザ調査の古典的な誤りだ。そうした私の思い込みを覆す例を提示してほしい。いや、これは私だけの思い込みではない。立場2は先日 Google I/Oで聞いた「間 違った計画を完璧に実行する」で挙げられた「これをやってはいけない」のオンパレードである。具体的に書こう。


ユーザの言うことに耳を傾けた:声どころかユーザ自身にものを作らせようとしており、それが「よいもの」という 仮定に基づいている。

一番重要な仮説を検証しなかった:前に書いたので省略

自分が得意なことをとにかくやる:遺伝的アルゴリズム得意です!感性情報定量化得意です!3Dプリンタ得意で す!


しかしながら私がここで挙げた点は言いがかりにすぎない。この人たちは自分で事業を起こそうとしているのではなく、文科省の予算を獲得してプロジェ クトを遂行しようとしているのだ。根本が異なれば戦術が変化するのも当然。私がここで何を書こうが、このプロジェクトが継続してリソースを獲得できる か否かは全く別のロジックで決定されるんだろうな。

立場1、3に関してはそうした現実をきちんと踏まえており、確かに成果が見込めるとは思う。それはリーダーたちの大言壮語とはだいぶ距離があるが、リ ソースを獲得するための戦いには必要な戦術なのだろう。

そのあと実際の研究のデモ発表を見た。自分が書いた絵がそのまませんべいの上にプリントされるシステムを体験させてもらった。椅子に座って、さああな たが好きなものを描いてください、といわれても浮かんでくるのはこんなもの。これが普通のユーザというものだ。(自分をもって他人を律してはいかん、 という批判はお受けします)

創造的作品

ちなみにこの「遠隔地にいる孫が、じいちゃん、ばあちゃんに絵を描いたせんべいを送る」というこの構想は、うまくできていると思う。じいちゃんばあ ちゃんにとって孫が書いてくれたものは、必ず一番だからだ。

他には予想通りというか「一体この研究のどこが、全体テーマと関係あるんですか?」という研究がごろごろしていたが、それについては問わない。そう いうものなのだろう。少なくとも共創プラットフォームには何がしかの成果が期待できそうだし。

私がどう主張しようが、このプロジェクトは成功する。そして大学は「明治大学はこんな野心的なプロジェクトを成功させました!」ということになり、 文科省は「日本の競争力強化のために産学官連携のこんなすごいプロジェクトを成功させました!」となり、参加した研究者の皆様は「こんなすごい成果を だしました!予算ももらえました!」となる。みんなハッピーなわけだ。その金はつまるところ「ハッピーになっている閉じたサークル」の外から来ている のだけど、その人たちには何かお返しがあるんでしょうかね?


パチンコ屋(以下の集団)にDNA情報を預けたい人手を上げて!

2014-07-10 07:17

前にも書いたが、私はDeNAという企業に「コンサルタント」マインドを見る。つまり

「KPIさえよくなればよい」「二枚舌当然の前」

という考え方だ。彼らの人材募集要項が「犬が好きなこと」とか「そばが好きな人」とかだったころは彼らを応援していた。圧倒的なYahooオークションに挑むBiddersとかすごいじゃないか。しかし物を買おうにも欲しいものがなかったので実質的な応援はできなかったのだけど。

そのDeNAはいつしか「モバゲー」なるものに活路を見出し、「東大生あこがれの企業」になったのだそうな。そしてこんな記事を見るようになる。

コンプガチャはガチャという1回300円の「電子くじ」によって特定の数種類のアイテムを全部そろえると、ゲームで使用できる別のアイテムを新たに入手できる仕組みだ。射幸性が高く、消費者庁は「景品表示法上禁止される行為、つまりカード合わせの方法を用いた懸賞による景品類の提供に該当する」(松原仁消費者担当相、当時)と判断。7月1日から規制が始まった。

via: 焦点は“コンプガチャ後”の戦略 グリー、DeNAの正念場 | 企業 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト


彼らは任天堂とは明らかに異なる論理でゲームを作っていた。すなわち「金儲けの手段としてのゲーム」である。その金儲けに対する志の「純粋さ」はおそらくパチンコ業以上であっただろう。

さて、いろいろあってパチンコ業がうまくいかなくなったDeNAは他に活路を求めているようだ。そして「綿密なマーケティング」の結果こんな道を見出したらしい。

MYCODEはインターネットを主体としたサービスになるが、そのセキュリティ面について深澤氏は「遺伝子情報は“究極の個人情報”。その保護を会社として最重要視している。具体的には、情報セキュリティマネジメントシステムの中で、物理的なセキュリティや人的な取り決め、プロセスなどを厳しい基準で徹底している」と語った。

via: DeNAの遺伝子検査、「最高クオリティのめどがついた」と南場氏--ラボも公開 - CNET Japan


頭のいい人達だからそこらへんは抜かりがないだろうね。

こういう時代になると、なんらかの手段で個人の情報をインターネット企業に預けなくてはならない。問題はどこに預けるかだ。

私はAppleを信用している。(あくまでも比較級の話だが)私が狂信的なApple原理主義者だということ以外にも理由はある。すなわち

「個人情報を悪用して金儲けすることを、AppleはCoolと思わない」

という確信があるからだ。それは彼らの製品、サービスを見ればわかる。

さて、そういう観点で考えましょう。

金儲けさえできれば、子供が犯罪に巻き込まれようが、他のゲームをまるごとコピーしようが、射幸心を煽りまくって散財したユーザが不幸になろうがそんなことは一切気にしない企業に自分のDNA情報を預けたい、と思う人いますか?

あなたの健康管理に役立ちたい、とか耳障りのいい言葉を流暢にしゃべるけど、その実金儲けにしか興味が無いことを過去に実証してきた企業に自分のDNA情報を預けたい、と思う人いますか?


iPhone Airがカーナビにトドメを刺す

2014-07-09 07:47

というわけで、注目を集めようと「言い過ぎ」の題名をつけてみました。しかし本音でもある。

何度か書いていることだが、5.5inch iPhoneについては不思議なことに情報がほとんど出てこない。4.7inch に関しては、モックアップから、詳細なCGイメージからなんでもそろっているというのに。

5.5 inchはiPhone6ではない、という噂は以前にもあった。私は「それはiPad nanoではないのか」と書いたがそれはさすがに間違っているらしい。こんなニュースがでてきた。

約4.7インチのバージョンはiPhone 6として登場し、約5.5インチのバージョンはiPhone Airとして登場するとの噂が報じられている。

via: blog of mobile » Blog Archive » 次期iPhoneはiPhone 6とiPhone Airの2機種が登場か、中国キャリアは4Gでネットワークテストを開始


なるほど、と思いはするが問題は「Airというからには本当に軽くて薄いんだろうな」という点である。5.5inchのディスプレイを持ちながら、iPhone 5Sより薄くて軽いなどということが可能なのだろうか?そもそもこの5.5inchモデルはなんなのか?こうした根本的な疑問は残ったままである。

しかしそれがなんと呼ばれるにせよ、おそらく日本で急速に普及することは間違いない。そして日本でカーナビ専門機を使う人間の数は激減するだろう。5.5inchあれば、カーナビ画面として使うのになんの問題もない。しかもカーナビとして使うために必要な追加コストは数千円である。

誰が10万円も出して「カーナビしかできない機械」を車に取り付けるのか?

この文章を書きながら、最新カーナビのサイトをあれこれみてみた。ここ10年での変化のなさには驚くばかりだ。日本のメーカーでカーナビ開発に人生を捧げた人たちには気の毒だが、いたしかたない。彼らは10年にもわたって業界を革新するチャンスを与えられていたのだが、何もしなかった。残業はたくさんしていたが何もしなかったのだ。


車載情報機器の生きる道

2014-07-08 06:57

かつてはカーナビと呼ばれていたものは、その存在価値を失いつつある。気がついていないのは日本のカーナビメーカーだけだ(彼らは「そんなことはわかっている」と答えるだろうが、何もしていないのだから気がついていないのと同じだ)

とはいえ、車に乗るHMI(この言葉を目にしたことがない人も多いと思う)がなくなるわけではない。車に密着したローレベルの機能は残ると思う。その上の「インフォテイメント(笑)」は全てスマホがカバーするのだ。そしてほとんどの車載情報機器 別名「かつてカーナビと呼ばれていたもの」はスマホにタッチ入力情報を送信し、スマホ上で作成された画面を映し出すだけの箱になる。つまるところあれだ。みんなディスプレイオーディオになるわけだ。


There’s a video playing on your car’s dashboard, and it looks like an Android app:

via: From Android Auto to OnLive: how video is becoming the secret glue of connected devices — Tech News and Analysis


車載情報機器は長年「車の買い替えサイクルと、情報機器の発展スピードのギャップ」に悩まされていた。最新式のカーナビといっても、その車がお払い箱になるころには骨董品と化している。かといってそう簡単にアップグレードするわけにもいかない。

いや、ソフトウェアをモジュール化して、入れ替えられるようにする、という戯言は何度も聞いたが、実現する姿を見たことがない。この問題もようやく解決される。スマホとその上のアプリはどんどん進化する。車載情報機器はただそのストリームを映し出せばよいのだ。これでも問題は起こるだろうが(多分ストリームの情報量、期待されるレスポンスタイムはどんどん上がると思う)前述の「ギャップ」が今より改善されることは間違いない。

というか、もはや「スマホがあればカーナビなんていらないよね」と気がついているのは私のような偏屈ものだけではない。

7/6「ナビにしてナビにあらず」



via: 7/6「ナビにしてナビにあらず」 | PSI!WEB


カーナビメーカーの人達はよーく考えたほうがいいと思うのだけどね。こんな一コマ漫画すらでてきている、ということを。


日本企業のスピード感

2014-07-07 06:58

こんな記事を読んだ。

AGLのようなオープンソースプロジェクトによって共通プラットフォームの開発を加速させなければ、車載情報機器の開発期間はどんどん長くなっていく。そうなると、進化を続けるスマートフォンに取って代わられることになるだろう。今必要なのはスピードだ。

via: 車載情報機器:車載Linuxのオープンソース活動は携帯電話機の轍を踏んではならない (1/2) - MONOist(モノイスト)


この

「いつか将来スマホにやられてしまうぞ」

という現実離れした考えはとこからでてくるんだろうか。ちょっというと

現実-前線から遠く離れた東京においてはこのような計画が検討されていた。

「十二月三日、大本営陸軍部ではレイテ決戦指導に関し、第二課長(作戦)服部卓四郎大佐が梅津参謀総長につぎのように報告した。(中略)

「決戦時期ニ於テハ」三個大隊レイテ湾逆上陸に到っては、正気の沙汰とは思われない。

こ れらの案は刊行本「大本営機密日誌」にも、戦後服部大佐自ら書いた「大東亜戦争全史」にも現れることはない。レイテ決戦強行の責任は専ら南方総軍に転嫁さ れるのだが、空想的な机上作戦を推進して、無益な犠牲を重ねた責任が実は大本営第二課にあったことを、これらの文章は明瞭に示しているのである。」

レイテ戦記 中巻 P415-418)

この計画が立てられた12月上旬と言えば、レイテにおける米軍と日本軍の戦力差が実在兵力数にして17万以上対1万以下(レイテ戦記 中巻 P465 第27図)に開いていた時期である。

via: 失敗の本質の一部


戦力差が17:1に開いている時期に「逆上陸を敢行だ!そうしないと負けてしまうぞ。」とか「作戦を練っている」ようなものだ。現在の車載情報機器とスマホの戦いは1944年12月時点でのレイテ決戦と同じような状況だと思うのだが。

こんなFoundationとか生ぬるい集団を作って安心しているくらいなら、とっとと「すごいプラットフォーム」を出せよ。っていうか今でてないともう勝負にもならん、、とかこういう団体で言うと嫌われるんだろうな。日本的組織では現実を見つめてもかまわないが、それを発言するのはご法度だ。「周りの人が傷つかない」ことなら行っても構わないけどね。


デザインの方法論

2014-07-04 07:07

大学のセンセイがデザインを語る。

“日本の産業が発展するためには、コモディティ化しやすい製品ではなく、顧客価値の観点から製品を含めたトータルなサービスとして開発し、新しい価値として提供していくことが必要。速やかな開発のためにも、ロジカルに発想し、ロジカルに設計し、ロジカルにマーケティングを行うことを考えて欲しい”

via: デザイン人間工学--魅力あるサービス構築のために(5/5):企業のIT・経営・ビジネスをつなぐ情報サイト EnterpriseZine (EZ)

山岡氏は「一部の天才的なプロがブラックボックスで行っていた『つるかめ算』的なものを、『方程式』を用いることで誰でも解を出せるようにする」とデザイン人間工学を学ぶ価値について語る。

via: デザイン人間工学--魅力あるサービス構築のために(1/5):企業のIT・経営・ビジネスをつなぐ情報サイト EnterpriseZine (EZ)



今年このセンセイは和歌山大学を退官されたらしいのだが、かつて所属していた研究室の「プロジェクトページ」を見てみよう。

プロジェクト紹介

進行中のプロジェクト

  • データ処理PJ
  • 感性PJ
  • 歯ブラシPJ
  • インタビューPJ
  • 食品・調理PJ
  • N2(NewNEDO)PJ
  • SUMPJ
  • メンタルモデルPJ
  • 高齢者用インタフェースPJ
  • 芳香剤PJ
  • タスクパターンPJ
  • サインPJ
  • マーケティングリサーチPJ
  • イスPJ
  • GUIPJ
  • UTAPJ
  • 情報検索PJ
via: プロジェクト紹介 - デザインエルゴノミクス研究室(和歌山大学)


Just show me your portofolio.

Just show me the great service you developed.



数を制した者が勝つ!

2014-07-03 06:46

だいぶ昔のことだが、ある本でこんなことを読んだ。

「コンピューターの世界では、シェアが85%:15%という状況がよく出現する」

一時期のWindowsとMacがそんな感じだったし、現在のiOSとAndroidのシェア争いもそんな感じになっているようだ。

世界でのシェア


これを見ると、「をを、Androidのシェアはすばらしい。これはiOSに勝ち目はない」と思う。しかし不思議なことに状況はそうなっていないらしい。

Instead, most promising app startups with venture capital investments that we analyzed are either building apps for iOS and Android simultaneously or are still iOS-only.

via: The long-awaited switch to Android-first app development hasn’t happened yet - Quartz


多くのスタートアップは、iOSとAndroidを同時に開発するかあるいはiOSだけを開発しているようなのだ。

これは普通に考えれば全く理屈に合わないことである。いろいろな分析はあるだろうが、一つだけWWDC2013とGoogle I/O2014に参加して受けた印象から書きたい。

一言で言えば、それぞれのプラットフォーム上でアプリを開発する人を支援する熱意に大きな差がある。もちろんカバーしている範囲がはるかに狭い、という事情があるのだが、WWDCではiOS上のアプリ開発について実に細かい点までことこまかにセッションでの説明があった。

対するにGoogle I/Oは概要説明だけで終わりである。あるいはWWDCと同様の細かい説明は別の機会に、ということなのかもしれないが。

この2つのカンファレンスを比べれば、どちらの会社がより開発者の支援に熱心かは明白である。時々考える。iOSの開発ツールであるXCodeは毎年かなりアップデートされる。しかしこれほど直接売上に結びつかない費用もないだろう。

内部でどういうロジックで予算が決まっているのかは知らない。しかしWWDCで何度も見たiOSの内部の新機能を紹介するときの

"I think you are going to love this"

というドヤ顔と、それに対する聴衆の喝采はとても印象的だ。というわけで今日も私はApple原理主義者であり続けるのであった。


そういえばSmartWatchをみたんだった

2014-07-02 06:52

私が狂信的なApple原理主義者で、他の会社から発表されたものにはものすごいバイアスをかけて見ている、という事実が存在する。

それを認めたとしても、Google I/OでのAndroid Gear-Smart Watchの発表には全く心が動かなかった。というか「ふーん」としか思わなかった。

 In almost every example during Singleton’s presentation, simply accessing a smartphone—an activity Google says its one billion Android users already do an average of 125 times a day—seems like it would be a more capable and comfortable solution.

via: These are not the wearables we’ve been waiting for - Quartz


一日に平均125回もスーマートフォンを見る。それが時計をちらっとみるだけで済んだら素敵じゃないか?確かにそんなことを聞いた気がする。

その時間に、一人あたりの時間あたり単価をかければ経済効果が計算できる。そうやって「スマートウォッチ導入の稟議書」を作ることはできるが、消費者が2万円以上払うかどうか、というのは別の問題である。

一つヒントがあるとすれば、3種類のAndroid Gearの発売日が発表されたときの聴衆の反応だった。

・LGは今日から:パチパチパチ

・サムソンも今日から:パチパチ ざわざわ(微妙な反応)

・Motorolaは夏:えー(落胆の声)

実物を見ると、Motorolaのは明らかに他の2つより厚く見える。しかも◯い部分がでかい。それでも聴衆はMotorolaに期待しているように私には思えたし、もし私がつけるとすれば、Motorolaのそれを選ぶと思う。

This last bit, “simply aren’t cool” says a lot. It’s hard to master cool, hard to create cool. Apple may not always get it right, but their commitment to a cool design aesthetic runs very deep.

via: These are not the wearables we’ve been waiting for


Coolなウェアラブルとは一体なんなのか。まだその答えを見つけた人はいない。いや、もちろんAndroid GearはSonyのこの製品よりははるかにすばらしいと思うけど。

ホーム画面

背景やアイコンデザインはXperia™ スマートフォンに近く、直感的に操作することができます。

via: SmartWatch2 SW2 | ソニーモバイルコミュニケーションズ


Xperiaスマートフォンに近いので、直感的に操作が可能、って本気でそう信じているのか?そりゃそう説明したほうが社内で通りがいいのはわかるよ。でも実際に使ってみてそう信じているのか?