年を重ねること

2014-12-04 07:02

というわけで私もよい年である。最近黒田官兵衛を見ているから戦国時代の武将の没年をよく見るのだが、当時だったらとっくに死んでいるころだ。

年をとるごとに体力は衰え、目はかすみ、長距離の出張がこたえるようになってきた。いかんともしがたい。しかし良いことも少しある。

10代の内にとか,20代の内にとか,30代の内にとか何かの切れ目に対する言い知れぬ焦りってのはあるよなぁ.SNSで凄い人,成功事例,幸せな話ばかりが見えてくるようになったから余計にね

引用元:Satoshi NakamuraさんはTwitterを使っています:

私自身はこういう「焦り」をぼんやり思い出すだけだ。そして今なら自信を持って言えるのだが、こういう⚪︎⚪︎代のうちにというのは全部Fake。嘘偽りのデタラメである。ちなみに生物学的なやつは別だよ。出産とか子作りとかね。

もっと言えば⚪︎⚪︎代とか⚪︎⚪︎世代とか真顔でいう人間は、少なくともそういうことを言っている間は相手にする必要がない。なぜなら馬鹿だから。私が言っても説得力がないと思うので、例をあげよう。

1920年代の終わりから1930年代の初めまで、アイゼンハワーの軍歴は停滞した。階級も16年間、少佐のままであった。

(中略)

以降、マッカーサーはアイゼンハワーの細かい失敗を指摘しつづけ、嫌になったアイゼンハワーが転任希望を出してもそれを握りつぶし続けた[3]。その後、1936年に、ようやく中佐に昇進した。

引用元:ドワイト・D・アイゼンハワー - Wikipedia

第2次大戦で、欧州の連合軍最高司令官を務め、大統領にもなったアイゼンハワーである。彼が生まれたのは1890年だから、少佐から中佐になったのが46歳の時。現在の基準でいってもどう考えても「⚪︎⚪︎代のうちに」に該当するとは思えない。

人間には個人で頑張ってなんとかなることと、それではなんともならないことがある。ところが社会的な評価とか地位というのは恐ろしいほど後者に属する。神様がふるランダムなサイコロで結果はどうとでも変わる。ちなみに16年少佐をやったアイゼンハワーは中佐になった4年後には大将になっている。彼自身その間に大きく変化したということはあるまい。(地位に相応しい成長を遂げたとどこかで読んだことがあるが)つまり「うだつの上がらない万年少佐」も「欧州連合国最高司令官」もサイコロの目ひとつで決まる話なのだ。

とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。

引用元:僕はもうプログラミングしなくていいんだ

間に合わない間に合わない、と言い続けるのは詐欺師だけだ。⚪︎⚪︎代のうちになんていい続けている人間はおそらく本を売ったり講演料が欲しいのだと思う。世の中には成功話が溢れており、それらはいずれもカッコしい殺し屋のサメだったり海中を弾丸のように泳ぐマグロだったり、するどい槍をもつカジキだったりする。

それらが気になる時はこの生物を思い出すと良い。

タツノオトシゴ属 Hippocampus

ポットベリード・シーホース
Hippocampus abdominalis

引用元:タツノオトシゴ - Wikipedia

いつも水族館に行くたびに思うのだ。果てしない進化の果てがこれか。適者生存の原則に従ってこいつは生き残ったわけだが、一体何がこいつに負けたのだ。そこらに尻尾でつかまってぴろぴろしているこいつが進化の果てにある姿だとすれば、サメでもマグロでもクジラでもカジキでもない私が大きな顔をして生きていてもいいではないか、と。