デイリーポータルが面白い理由

2015-04-24 07:36

最近デイリーポータルZについて考えることが多い。企業が「広報」として公開するような文章とデイリーポータルZに乗っている文章の差異はなんなのか、と。

差異はなにか?まずこの意見。

つまり、これから相手を動かしたいと思うのであれば、相手の感情を理解する必要があります。

こういったお客さんが抱えている感情を「インサイト」と呼びます。

ひとことでいうならば、インサイト=本音です。この本音を理解することが非常に大事です。

引用元:コピーライティングはインサイトが重要。コピーライターの言葉が刺さる理由 | こぴたつ

ささるコピーを書くには、相手の「本音」を理解する必要がある。

思うのだが、大人になるというのは「建前」との付き合い方を覚えることでもある。赤ちゃんなら周りの状況がどうであれ「気に入らないことがあれば泣く」でよい。しかしそれが使えるのは赤ちゃんの間だけ。大きくなると可愛くないので誰も面倒を見てくれない。

かくして建前が重要になるのだが、困ったことにそればかりと錯覚してしまうことが往々にして起こる。結果はゴミのような文章というかメディアのできあがりだ。有名人が乗っており「ほら、こんなこと知ってると得だろう?」と送り手だけが建前で考える情報があり、「受け取り手が読みたい」ではなく「送り手が読ませたい」情報が大量に続く。

こういうゴミメディアを作ってしまうのはただ一つこの問いが足りないからだ。

 −−極端や過激さに走らずに、大事なことを考えることは難しいと思います。糸井さんなりの方法はありますか。

 糸井さん 「ほんとうかな」って聞くだけです、自分に。「ほんとうにそう思う」って他人にも聞くけど、自分にもものすごく聞くようにしている。ちっちゃいことでも「ほんとうかな」って問うようにしています。そうするとね「ほんとうじゃない」ことが結構ある。

引用元:キーパーソンインタビュー:糸井重里さん・後編 「ほんとうかな」と自問する力 - 毎日新聞

建前というのは「ほんとう」じゃないことだが社会的にそうせざるをえないと自分で決めつけていること。

デイリーポータルZに乗っているのは「ほんとう」の内容が多い。他人がどう思おうと「俺はこれが面白くてしかたがないんだ!」というのが伝わってくる。つまりあそこに書いてあることは書き手にとって「ほんとう」のことが多いと思う。

ただここが微妙で難しいところなのだが「本当に自分が面白いと思ったこと」の中にも「それが他人にとっても面白いもの」とそうでないものが存在している。

例えばYoutubeを見ると「オタ芸を打ってみた」という動画が数多く存在する。その動きを見ているといつも何か奇妙な気がする。踊っている彼らは自分自身の動きに陶酔していることはわかる。それは彼らにとって「ほんとう」のことなの、、、だろうか?あの自分に閉じた激しい動きが本当に彼らが目指しているものなのだろうか?

何が違う気がする。おそらく彼らは別の何かを欲しているのだが、そこに行くことを諦め「自分たちが作り上げた居心地の良い空間」に安住することを選んだような気がする。つまり「オタ芸」を見る時に私が感じる「違和感」は彼らに「ほんとう」がないことから生じているのではないかと思うのだ。

などと他人の姿勢を批判するのは簡単だが、自分で実行するのは難しい。思えばこの「ほんとうかな」をちゃんと問わない時に大きな失敗をしたことが多い。「うーん。まあいいんじゃない?」というやつだ。自分に対してこれをやるとかなり悲惨な結果が待っている。というわけでジタバタしよう。自分が何を「ほんとう」と思っているかは考えてもわからず、実際にあれこれやってみて初めてわかるのだ。