甲子園を目指して

2015-07-30 06:52

前の会社で働いていたときのこと「インターン志望ですが」という電話をうけた。大学名は東洋大学だという。私は

「ああ、あの駅伝の大学ですが」

と答えた。

失礼なことだと思うが実際そうだからしょうがない。箱根駅伝以外学会で東洋大学という大学名を聞いたことがないのだ。かくしてスポーツというのは経営上大変重要な概念になっている。それは米国においても同様だ。

ただ

この点において日米で著しく違うのは、日本は「スポーツしかできない青年」を量産するところにある。いつか日本人の金メダリストのドキュメンタリーをやっていた。彼と競ったアメリカ人選手がいるのだが、その人は弁護士になっていた。つまり彼はスポーツだけやっていたわけではないのだ。StanfordのFootballチームもAcademic All Americanとかごろごろいるのだよ。

先日こんな記事を読んだ。

「君たちは親元を離れて、ここに来て厳しい寮生活をしている。それだけでも、大きな価値がある」と話しています。

引用元:野球留学校の実態:前編「野球留学=ほぼ逃げ道がない」

これは大リーグ養成ギプスと同じく「つらいことは鍛錬になる」というそれこそ野球脳的な考え方だ。そうやって育成された野球エリートたちの哀れな末路は誰もが目にしている。

ずっと野球しかやってこなかったので、まだ手探りですけど…。

引用元:【球界ここだけの話(250)】元楽天・一場さんが生きる第2の人生…夢は「甲子園」 (2/2ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)

彼の人生において「野球という大きな価値」はなんの意味を持ったのだろう。

私が子供の頃はスポーツ=野球だった。いま少し離れたところから野球を見る時、そのいびつな構造が目につく。甲子園に出場すればNHKがもれなく全試合放送してくれる。その広報効果は学校関係者にしてみれば喉から手が出るほど欲しいものだろう。それがいつまで続くのかはわからない。プロ野球の中継はほぼ消滅した今、そうした「習慣」が続いているのはかなり変なことのように思えるし、「野球しかしらない」少年兵のような人間の量産を見直してもいい時期ではないのか。