野球狂の詩

2016-07-11 06:40

多分私が20代から30代のどこかで転換が起こったのだと思う。子供の頃は暑くても、運動している時には水を飲んではいけないと教わった。汗をかいてより疲れるからだと。

この因習はどこかで消えた。今や水はがっぽがっぽである。そして誰もが知っている通り暑いさなかに水を飲まないのは馬鹿げている。しかし昭和の時代にはそれが「常識」であり「賞賛されるべきこと」だったのだ。

このような変化にどのように対応するかはスポーツの種類によって異なるようだ。私がみたところ野球には昭和の雰囲気が色濃く残っている。

体験会を再録する。まず「集合! ちゃんと並んで!」。複数の年配のコーチの厳しい言葉が響く。その後も「順番守って」「君はまだだよ」。そんな声かけばかり。列が整わないと、ボールを投げられないしバットも振れない。実際に野球に触れる時間は短かった。

 一方、後に参加したサッカー教室。若いコーチは「僕の名前はバナナ。バナナコーチと呼んでね!」。大受けだ。その後のミニゲーム。何とコーチは動物の着ぐるみで登場し、見事なドリブルシュートを決めた。お母さんたちも大喝采だ。

引用元:【乾坤一筆】失敗のたび指導者が罵声…野球少年は減少 (1/2ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)

電車の中の風景も大きく変わった。その昔は皆電車に座ってスポーツ新聞を読んだものだ。今やそんな人はごく少数。読者の減ったスポーツ新聞があまりつぶれないのも驚きだが、彼らはどうするのだろう。かつてのパートーナートの結びつきをより強めるのだろうか。

懲罰の意味が込められた続投に終わりは見えない。131球を投じていた7回に打順が回っても代打を送らない。8回無死一塁でプロ初ボークを犯すなど背番号19は気力、体力ともに限界に近付いた。スタンドがどよめいても指揮官は不動。「責任を持って、何球投げようが何点取られようが。10点取られても本当に投げさせるつもりだった」。さすがに160球を超えた8回で替えたが、本気で“懲罰完投”させる予定だった。

 もっとやれるはず―。期待の裏返しだ。「正直、予定では10勝に行っていてもおかしくない投手。普通にやっておけば。それがチームの借金につながっていると言ったら、全部を背負わせ過ぎかもしれないけど、それくらいの責任はね。感じないといけない立場」。手遅れにならないよう今、やる必要があった。

引用元:初回四球で鬼に…金本監督 藤浪に“懲罰”続投161球 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

こうした昭和的な愚行を美談に仕立て上げるのがプロのスポーツ新聞執筆者というものだろう。しかし平成も三十年になろうという今、この文章を読み、どうしようもない空々しさを感じるのは私だけではあるまい。

新聞記者の筆力をもってすれば、インパール作戦の失敗を前線の将兵に負わせ、牟田口を「炎の指揮官」と称揚することすらできる。そんなことをして何になる?記事の供給源である監督の機嫌をとることができ、そうした嘘を読みたがっている読者の期待に応えることができ、ひいては社の業績に貢献する。プロでなければこういう文章は書けない。しかし彼らもきっとどこかで気がついているはずなのだ。こんなことは長くは続かない、と。