頭の中の地図の大きさ

2016-09-06 07:04

映画監督という人が、どの程度自分の中に映画の出来上がりを描いているのか。あまり詳しくはないのだが、例えば宮崎某の制作風景とか見ていると、ほぼ全て彼の頭の中に作品が存在していることがわかる。(頭の中にしか存在していないから、ハウルとか風立ちぬのようなトンデモ映画も作られるが)

シン・ゴジラでもこんな言葉がある。

庵野総監督はひたすらだれかの仕事を追い詰め、僕らが敷いたレールを踏みつぶしていく。「あー、レールがぺっちゃんこだよぉ……」みたいな(苦笑)。

 彼は大半のスタッフを敵に回したけれど、それくらいじゃないと、この作品のレベルに達することはできない。完成した作品の出来を見て、スタッフはコロっと(味方に)ひっくり返った。ああよかった、と思いましたね。

引用元:監督・特技監督を務めた樋口真嗣さんに聞く、『シン・ゴジラ』制作の裏側 (3/3) - ITmedia ビジネスオンライン

完成した作品をみれば、むちゃくちゃ言われたことも忘れ「ああよかった」となる。しかし途中でそれはできない。監督が言うことが理不尽に思えるから。完成図は彼の頭の中にしかない。逆に言えば、彼の頭の中には完成図が存在している。これは驚くべきことだ。

それとともに

シン・ゴジラに関する2次創作と呼ばれるものが、ネットに氾濫している。その質は高いものから低いものまでさまざま。そしてなんでも90%はクズなのだ、という定理が正しいとして、その90%を見ていると

「この人の頭の中の地図はとっても小さいんだろうな」

と思う。創作の母体がありながら、この程度の想像力しか持ち得ないのかと。

まだ見ぬシン・ゴジラが頭の中に入っている人と、そうでない大多数の我々のような人間。この頭の中の広さを可視化できれば、きっととても面白いことになるに違いない。

この「頭の中に完成図が描ける力」というのは実生活においてとても大きな意味を持っている、と思うことがある。蒼天航路にも劉備玄徳が「曹操は自分が作りたい国の形を頭の中に持ってるんじゃないのか」というセリフがあった。

しかし不思議なことにそういう言説をあまり見ない。そもそも「頭の中の地図の大きさ」などと私が勝手に言葉を作っている段階だ。これはどういうことなのだろう。