革新に関する矛と盾

2016-11-02 06:53

新しいMac Book Proに関してあれこれ議論が巻き起こっているようだ。それに対するこの言葉を読もう。

We demand Apple innovate, but we insist they don’t change anything.

引用元:How Apple could have avoided much of the controversy

訳:我々はAppleに革新を要求する。しかし同時に何も変えてはいけない、と主張する。

おそらく革新に対するこうした矛盾した態度は我が国特有というわけではない。しかし「和をもって尊しとなす」の我が国ではこうした矛盾はより深刻な形で噴出する。つまり

「従来の良さと革新性を両立させる」

あまりわけのわからない製品ができてしまうのだ。

どこかの記事で読んだが「パナソニックらしいPDAを作れ」という経営者の指示でゴミがたくさん生産された。SONYでも新しいものに対する反応は「それはSONYの4文字にふさわしいものか?」という拒絶と決まっていたと聞く。親愛なるデンソーも「それには技術がない。デンソー流ではない」というのが口癖だったな。

なぜこうした禅問答が日本企業にはびこるかについては興味深い研究対象になると思うのだが、今の所糸口がない。一つには最初にあげた

「革新を求めるが、同時にあらゆる変化を禁じる」

という矛盾した態度を隠すためではないか、とも思う。偉い人は無知無能を隠すため、禅問答的な指示を出す。そして現場では血液凝固材を一生懸命生産し、ゴジラの口にホースを突っ込むのだ。それで「日本の強みは現場力」と言われてもねえ。

話を戻そう。革新は常に失敗、批判と手を携えてやってくる。皆がにっこり「これでいいね」と同意できる革新などないのだが不思議なことにこれを大声で主張する人はあまり見ないな。なぜだろう。