自分で考えなさい

2017-01-24 06:58

「思考のための検索インタフェース」など人前で発表した身としては「考える」ことについてあれこれ考えずにはいられない。最近読んだ仏教とかキリスト教シリーズで思い当たるのは

「そんなことはすでに誰かが考えてんだよ」

というあたかもAlan Kayが語るかのような言葉である。すごいぞーこんなこと考えちゃった、というのは大抵数十年かもっとすると数百年前に誰かが言ったことであり、それがぐるぐる回っている。

結局ゴータマも「自分で考えな」と言いたかったのではないかと思う。私が愛読する(社内でかしたら3冊とも数年たっても返ってこない。その男は経営者に気に入られているから出世するのだが、私にとっては”貸した本を返さない男”である)G.M.ワインバーグの本で、誰かが書いた推薦文に「結局筆者は自分で考えなさい」と言っている、というのがありそれが思い起こされる。

というところでそんなことはおそらく数千年前からわかっているのだが、問題はなぜ「広まるときは、”考える”が”信じる”に変わるのか」という問題。鎌倉新仏教は南無阿弥陀仏とか南妙法蓮華経とかとにかく唱えろになってしまった。あれかな。考えるのってしんどいことだから、結局

「これを実践すれば、たった3週間で生活が見違えるように」

のほうが受けるということなんだろうか。電車の中で見る「自己啓発本」もだいたいその類いだし。

考えようとしない人を考えさせるためにはどうすればよいか。WISS2018はこの路線で考えて見るか、ってWISS2017のネタの方が先なのだが。

それよりあれだな。「キリスト教に学ぶ最強の言い訳術!」という本でも書くか。スターリンを神と崇めてしまった人たちが、どうやってスターリンを愛の神に祭り上げたか。

「昨今コンプライアンスが声高に叫ばれ、ネットの上ではどんな大企業も簡単に”炎上”しそのブランド価値を損ないかねないリスクにさらされています。

しかし心配はありません。人類にはキリスト教という格好の教師がいます。傍若無人に振る舞い見方も敵も殺しまくる神をどうやって”愛の神”といいくるめたのか。キリスト教が数千年に渡って磨き上げて来た”言い訳術”をマスターすれば怖いものはありません!本書は聖書を素直に読めば”これはまずいだろう”というものをキリスト教がどうやって言い訳して来たかを豊富な事例とともに紹介。本書一冊読めばもう炎上も怖くない。企業関係者必読書!」

さあ執筆に取り掛かろう。