私的イノベーションのジレンマ

2017-02-03 06:57

先日リクルート関連のイベントで五人の学生さんを相手に講演した。「シンプルにすることこそが難しいんです」といったら相手はちょっと怪訝な顔をしていた。学校ではこういうこと教えないんでしょうか。

でもって

「私的イノベーションのジレンマ」すなわち「新しいものをどんどん提案してくれ、と言われて出したアイディアが全部わからない理由でボツにされる」

というのを説明したが、「ふーん」という反応だった。これ社会人でないと理解できないのでしょうか。

技術やプラットフォーム先行のアウトバウンド型で、茫漠とした「アイデア」を社外に求めて、オープンイノベーションという名のもとでアイデアソンやハッカソンに期待をかけるところもあるように見受けます。
ただこういう場合、多くは失敗しているように見えます(ここでの失敗とは、結局何も生まれなかった、という失敗です)

引用元:オープンイノベーションと闇イノベーション – Medium

話はシンプルで「なんだかすごいアイディア」がアイディアソンやハッカソンから生まれていると思っているような企業はこの「私的イノベーションのジレンマ」に陥っていると断言してよい。つまり足りないのは「アイディア」ではなく、「アイディアを育てて事業にするだけの決断」。つまり私が言うところの革新の第2問。

少し説明をしておく。企業や団体が「新しいアイディアで大儲けしたいなあ」と漠然とイノベーションを夢見ているとする。ほとんどの場合これは認識されていないことだが、この漠然とした夢の中には二つの問題がある。

第1問:新しくてすごいアイディアを形にする

第2問:それをサービス・製品としてリリースするためのリソースを確保する。

この二つの問題は全く性質が異なる。ほとんどの大企業は第2問を解くさいに「既存事業の来年度計画」と同じ尺度を当てはめて殺してしまう。つまり

・関係部門の合意がすぐとれて

・リスクが(心理的に)0で

・がっぽり儲かる

というやつ。こんなことが保証できるのは詐欺案件以外にないのだが、不思議なことにほとんどの大企業は「海のものとも山のものともつかぬ新規アイディア」にもそれを求める。そういった態度を取り続ける限り、新人に「若い人の自由な発想に期待する」とハッパをかけようが、外部から人を呼んでイベントをしようが何も変化が起こることはない。

断言してもよいが「新しいものを作る」時に他人との議論は有益な場合が多い。それは

「議論しているうちに、自分で問題や、解決策に気がつく」

ことが多いからである。この「気がつく」は「他の人からアイディアが出される」場合も含む。しかしそれはあくまでも「私が取り組んでいる問題にアイディアをもらう」のであって、「なーんかないっすかー」と思っていたらすごい教えをいただいた、というものではない。

というか「なーんかおもしろいっことないっすかねー」とか言っている人間は何を聞いたとしても行動しない。客観的に見れば妥当と思えることを言ったところで「それやばいっすねー。そのうち考えるっすー」といってそれっきりである。何が言いたいかといえば「なーんかおもしろいことないっすかねー」とか言っている人間ははなかっら自分で何もする気がないのだ。

というわけで個人的にハッカソンというのは大嫌いである。結局声が大きい人間がその場を取り仕切りゴミみたいなものができておしまい。学生にやらせる「グループディスカッション」というのもそういうものだ。先日学生さんたちがやったのも声の大きいのが一人いたが、彼が喋る内容には全くなんの印象も受けなかった。そのあとの宴会であまり発言しなかった人がぽつりと言った言葉が面白かったのだが。