この世界の片隅に

2017-06-26 07:15

Facebookから、私の知り合いが近くで開催されるイベントに参加すると知らされる。なんだそれはとリンク先を見てみる。グラフィクス関係の面白いシンポジウムのようだ。内容もさることながら、招待講演に「この世界の片隅に」の監督が出ることを知る。OMG.あの映画を作った監督の話が聞ける機会。しかしこの日は別の展示会に行くつもりだったからなあ。

そう思っていたが、同じグループにいる若者が私が行こうとしていた展示会に行きたいと言う。であれば年寄りは引っ込んでいるべき。もう講演に行くしかないだろう。

来たのは一橋講堂。昔某イベントで毎年来ていた場所。招待講演のみの聴講ということで、料金は1000円。開始10分前だというのにまだ空席が多い。どういうことだ。片渕監督の話が聞けるというのに。


-中略-


壇上に片渕監督が現れる。いろいろなサイトでみたあの姿が目の前にある、というのは少し不思議な感じがする。以下聞き取った内容と、感じたことを書いていこう。

監督は日大芸術学部での講師も務めているとのこと。そこで今日こんな議論をしたという。ドキュメンタリーといっても現実そのままではない。現実世界を映像のフレームで切り取った時点で、別のものになる。映像化できる時間も現実の時間の一部分でしかない。現実世界はドキュメンタリーフィルムの画面の外側、時間の外側にずっと続いている。

だから実写の映画といっても、それは現実ではない。作り手側の創作物。

アニメーションはさらに人工的。アニメーションといってもいろいろあるが、最近作られているもののように、対象年齢を高くすると、現実を反映したものが必要だと思う。ではアニメーション作品の中にどうやって人工物を忍び込ませるか。

昨日(講演は6月23日だったので、平成29年6月29日)昭和20年6月22日呉に対して行われた空襲について、実時間に合わせてtweetした。当時の一般の人にとって空襲警報が発令されてから解除されるまで90分以上。しかしその場面は映画の中では1分にも満たない。原作漫画でも9コマ。当時の人は1時間半もの間空襲の恐怖と向き合わなくてはならなかった。映画でも漫画でもそうした時間を直接体験してもらうことはできないが、Twitterを使うとそうした体験を拡張できるのではないか。

原作漫画には、19年2月、という章がある。年号がないことに注目してほしい。漫画の中の世界では昭和19年2月だが、漫画自身は平成19年2月に発行された。つまりこの漫画の読者は実時間の流れに付き合わされている。

このように漫画も映像もメディアを選べば、その枠を超えてリアルの世界に広がっていくことができるのではないか。

そう述べながら、監督は普通プレゼンで使われるパワーポイントではなく、PCの中から直接ファイルを開けて見せる。「私はみなさんのようにパワーポイントを使えないので」と言っているが、これは監督の「罠」だと気がつく。

PCの中から説明用のファイルを探す様子が画面に映し出される。それを見ている我々は、監督が講演中に示す画像以上に膨大な数のフォルダがあることを知る。つまり映画化されたものの空間的、時間的に外側にあった時代、背景について監督がどれだけの取材を行ったのかを聴衆である私たちに見せているのだ。我々はそのフォルダの山-パワーポイント上のスクリーンショットではなく、実際のデータ-をみながら監督の体験の一部を知ることになる。

監督は言う。こうやって調べて行くと、有名な火垂るの墓という映画で白い服を着た巡査がでてくるが、あの時代には夏であっても巡査は黒い服を着ていたことがわかる。なぜかというと、物資が枯渇し、白い服を洗濯することができなくなっていたから。

「この世界の片隅に」を制作するにあたり、このような背景を全て調べた。参考にした日本海軍軍装辞典をつくったのは、東宝の衣装部の人だった。なぜ映画会社がそんなことをするか。実はそのように時代の背景情報をまとめたデータベースが存在していない。だから東宝が戦争映画を作るにあたり、衣装部の人が独自に調査をした。

監督は「この世界の片隅に」を作るにあたり膨大な一次情報を調査し、まとめあげた。たとえば漫画でノリが屋外に干されているコマがある。実際にその場所に行き、同じ風景を撮影した。すると漫画に描かれている松がつい最近まで存在したことがわかった。このように築き上げた膨大なデータベースをこの後どうするか?このままだと古本屋行き。

講演後の質問で「集めた資料をたとえば広島原爆資料館に保存できないか」とか「この資料を利用してまた映画が作れないか」という声があがった。当然そう考えたくもなる。しかし私は考えるのだ。こうした地道な調査が映画を作る人によってしかなされない、というのはどこかがまちがっている。監督も「太平洋戦争の映画しか作れない人」になるつもりはない。もともと継承するつもりがないので、Excelで独自に調査したものをまとめた、と言う。こういう「本当の姿」の一次資料を地道にまとめ、公開することこそ国がやるべきことではなかろうか。

監督の話は続く。昨日フランスで、この映画のクライマックスは?と聞かれた。空襲のシーンかあるいは原爆投下のシーンか?監督はこう答えた。エンドロールで女性たちが再びスカートをはいたときだと。なぜならそこで、作りもの映画が我々の現実世界につながっているから。

監督はその前に女性の服装がどう変化したかを示した。大正15年の女性は現代に通じるような洗練された格好をしていた。それが戦争に向かいズボンやモンペをはくようになった。戦争が終わり、しばらくたってようやくスカートが戻ってきた、と。今の日本はその延長線上にある。

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娘が学校の課題で使うから、といってこうの史代氏が書いた本を借りてきた。様々な表現方法にチャレンジした興味深い本だった。この映画の原作もそうした試みの一つだったのか。

こうの史代氏がTVで言っていた。

「戦争を起こした人たちが愚かだったと習うけど、我々が知っている祖父や祖母は愚かな人ではなかったですよね」

我々は戦争について、今とは隔絶した別の世界のように教えられているし、捉えている。しかしそれはまちがっている。当時も普通の人が今と同じように笑い、喧嘩し、生きていた。つまり今とあの漫画・映画に描かれた時代は連続している。

そう示すため映画の制作にあたり綿密な調査を行い、浅く紋切り的な人物を描くのではなく、実際にあったこと、あったものに即した生活、人物を描こうとしたのではないか。だからあの映画は観客の心を揺さぶる。時代は違っても「人ごとではない」ということが感じられるから。

そしてふと考えるのだ。今インターネット上で触れたつもりになっている情報は「現実の一部を切り取ったもの」の集合体。ではどうしたらそうした切り取った情報にリアリティ-他人事ではない-という感じを乗せられるのか。そんなことを考えながら会場を後にする。