音楽という奇妙なもの

2017-08-15 07:20

あれこれの商売ネタを考え「これはこのようなメリットがあるからユーザはお金を払ってくれるはずだ」とか考える。そうした検討に疲れてふと考える

「音楽とは一体なんなのか」

音楽が産業として成り立つことがまずおかしい。だって音楽聴いても多少気分がよくなるだけではないか。ではなぜ人はそれに金を払うのか。しかもその額は半端なものではない。(AKBは音楽ではない。念のため)

もう一つ。音楽を演奏するための記号は、音符としてデータ化することができる。それは表層として正しいのだが、じゃあ音楽というのは音符なのか、と問われるとそうではない。映画アマデウスで、モーツァルトが書いた楽譜をみ、それを頭の中で音楽に変換しサリエリは敗北感とその美しさに打ちひしがれた。コンスタンツェはそれをみて無邪気に

「それだめですか?」

と言っている。つまり音符が音楽になり人間に認識されると、それはある種の感情を巻き起こすのだ。しかしなぜそうなる。おかしいじゃないか。我々は短調を聞くと悲しくなれ、とかいう教育を受けたわけではない。ではなぜそうなるのか。

さらには長い楽曲というのがどうして成立しうるのか。昨今の「人工知能」(笑)を使えば、バロック音楽をそれらしく作ることはできる。しかし長い音楽を構成をもって作ることはできない。これは文章も同じだが、ある程度の長さを構造をもったものの模倣にはまだ全く手がついていない。では人間はなぜその構造を認識できるのか。一旦聴いたフレーズは頭の中にある程度記憶として残っているようだが、そこらへんもさっぱりわからない。

そう考えると

「音楽」というものの得体の知れなさに絶望的な気持ちになる。そんなことを頭の片隅で考えているので

人間の脳の言語能力を超えて、もっと大きなかたちで人間存在を表現する何かのモデルを探し続け、多くの人がわけもわからずその一部を「人工知能」と呼んでいたが、彼にとってのそれは音楽だったのではないか? 

引用元:人工知能は「音楽」なのかもしれない:“AIの父”マーヴィン・ミンスキーが残した謎|WIRED.jp

こういう一節を読むと、なにやらヒントがあるかと一生懸命読むわけだ。しかし何が書いてあるのかさっぱりわからん。しかしあれだよね。AI(笑)が文章の構造も音楽の構造も理解できないことは間違いない。でもって音楽の方が、抽象化されているぶん、研究対象として取り組みやすいんではなかろうか。というか両者に同じ問題があるということは、言語の文法とか実は巨大なジョークということにならないだろうか。

というわけで、シンギュラリティ信奉者には、少し長さのある音楽とか文章をコンピュータに作らせて欲しいものだがそもそもシンギュラリティ信奉者にはそうしたロジカルな議論は意味を持たないのであった。