WISS2017雑感

2017-12-13 07:32

WISS2017というワークショップに行ってきた。

このワークショップはいろいろと特徴がある。それについては別の長い文章を読んでもらうとして、今年もいろいろ興味深い点があった。

プログラムをみてもらって伝わるかどうか。今年は

「裸の要素技術」

「よくわからないアプリケーション」

が多い登壇発表だった。「裸の要素技術」とはなんだと言われれば例えば「こんなことできます。何かの入力に使えると思います!」というやつだ。こうした技術に関しては

「この技術の使い方を考えるのが面白いところ」

という意見もあるが、私は反対の立場を取っている。裸の要素技術だけあっても何にもならない。要素技術はそれを生かす使い方と組み合わせてワンセットなのだ。マルチタッチとかピンチ、ズームは何十年も前に発表されていたが、それはiPhone,iPad登場以前には世間になんの影響も与えなかったことを思い出そう。あれほど画期的な技術にしてこうである。

特にCHIなどでも「こんな入力方式があります!」と誇らしげに語るものの90%は「そりゃスマホの全画面一番いいところを全部使わせてもらえればなんとでもできるわな」といいたくなる。もちろん可能性としてはそれがすばらしい新しい可能性を開くこともあり得るのだが、不幸にして過去10年以上そうした例を見たことがない。そうした裸の要素技術と、売れる製品の間のギャップについては認識どころか考察された例すらないと思う。

プレゼンテーションに関して言えば、津田塾大学の栗原さんは今年も見事だった。しかし若者はどうしてああ

「しゃべる内容をスライドに書く」

のかなあ。それも含め「なーんでこんな面白そうな話をこんなにつまらなくしゃべるかなあ」という年寄りの嘆きは今年も継続であった。

会場横で、研究室の先輩or教官相手にプレゼンの最終練習をしている学生さんをよく見かけた。つまりみんなちゃんと努力しているのである。しかし自分のプレゼン準備をしていて気がついたのだが

「しゃべる内容をだらだらスライドに書く」

というのは、なーんとなく皆がそういうものだと思い込み継続されていることなのではなかろうか。そろそろプレゼンテーションはどうあるべきか、と考察してもいいのではないだろうか。実際国際会議のCHIとかでは美しく印象的なプレゼンを時々見ることができのだが、今回はそうした例がなかったように思う。人間とのインタラクションを考える研究をしている人間の集まりとして、最後のプレゼンももう少し考えられてもいいのではなかろうか。

---

では全く面白くなかったかといえばそうではない。いくつも印象的なことがあった。NECがデモしていたのが「タンブラーの傾きからそれが空になりつつあることを検知する」デモである。確かに飲み物が空にならないと大きく傾けることをしない。ではそれがなんの役にたつのか?「タバコ部屋コミュニケーション」の威力はあまねく知られたことである。海外ドラマFriendsではあまりにそれが強力なため、タバコ吸わない主人公が無理してタバコ部屋に行く、というエピソードがあったように思う。

しかし今やタバコ部屋自体が絶滅しつつある。ではどのように職場においてカジュアルなコミュニケーションをとるのか。新しい場所は「水汲み場」である。あるいはコーヒーがおいてある場所か。タンブラーが空になりかかっている人を誘って「コーヒー行かない?」と誘うのである。そう考えれば、アメリカを舞台にした映画やTVでコーヒー置き場がコミュニケーションの場になっているという例を見たことがある。確かにこれは面白い。

もう一つ面白かったのは、企業デモでのチームラボである。彼らは普通の企業展示のように最初はビデオを流すだけにしようと思っていたとのこと。しかし会場の様子をみて

「これはデモを作らなければ」

とその場で作り始めたのだそうな。不幸にして私自身のデモと時間が重なっていたので彼らの成果は見られなかった。しかしこの

「デモを作らなければ」

と思わせるのが、WISSという場の力であり、楽しさだと思う。文章の前半でうだうだ書いているが、そうした楽しさを満喫した上で文句を言っているのだからいい気なものである。

One more thing..

私が三菱重工を退職したのは20年以上前である。その時の三菱重工を考えれば、WISSという場から一番遠い企業のひとつだったと思う。

今回その三菱重工から参加している人がいるのには本当に驚いた。その人と夜の宴会タイムに話したのだがとても楽しかった。世の中は変化していないようで変化している。企業も人も少しずつでも変わることができるのかもしれない。