「きらきら」と「これだ!」

2018-02-28 07:27

免責事項:私がここに書くことは、私が雇用契約を結んでいる企業で行われていること、語られていること、実態、その他とにかくなんであっても関係ないのです。全く関係ないことを可能な限り強力に主張します。


ビジョンをかかげる企業は多い。しかしほとんどの企業は「ビジョン」なるものが「きらきらビジョン」という美しくなんの役にも立たない妄言と、苦痛を伴い社員に制約を課し、そして運がよければ成果をうむ「これだビジョン」であることに気がついていない。などと私のようなチンピラが書いてもなんの説得力もないので、権威の言葉を借りよう。

戦略と呼ばれるものの大半は、実は目標になっている。「事業展開する市場すべてで1位か2位になりたい」というのは、その一例だ。これでは何をすべきか伝わらない。伝えているのは、どんな結果にしたいか、ということだけだ。それを実現するための戦略が、さらに必要である。

引用元:戦略は単なる目標ではなく、限られた数の明確な選択肢である | HBR.ORG翻訳マネジメント記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

「世界平和」はビジョンではなく、それは単なる妄想、スローガン、寝言の類。それについていくら社員に会議をやらせ、「腹落ちしましたか」というアンケートでYesという答えが集まろうが、それにはなんの意味もない。

マーティンが目指した新戦略は次の3つである。(1)(玩具ではなく)完璧な縮尺模型をつくる。(2)(子どもではなく)大人のコレクターをターゲットにする。(3)(大人に子ども時代を思い出させるため)郷愁に訴えかける。

引用元:戦略は単なる目標ではなく、限られた数の明確な選択肢である | HBR.ORG翻訳マネジメント記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

これこそが「戦略」であり「ビジョン」。子供にも夢を与えたいよね。子供の心を持つ大人にもアピールしたいよね。そうだよね。鉄道模型で世の中を平和にできたらいいね。こういう寝言を言っている間は、何も起こらない。そうではなく

「数ある選択肢の中から、我が社はこれで行く」

と明確に宣言し、実行にフィードバックすること。これこそが私が考えるビジョンであり、戦略だ。

我が国にはこの「きらきらビジョン」と「明確だが、その意味については滅多に顧みられないKPI」を語ることで役員としての給料をもらっている人がたくさんいる。結果は東芝である。「売上目標が達成できないなんて聞いてない!」と部下をどなりつければ仕事ができると評価される組織のできあがりだ。

つまるところ、この「きらきらビジョン」と「一方的なKPIの強制」というのは上位者の無能を表すものであり、不思議なことに日本の組織ではそれが許容されることが多い。何度も書いているが、私の最近の関心はなぜ我が国ではそれが許容されることが多いのか、である。

最近の仮説は「基本が今の位置を守ることにあるのか。あるいは動き続けることにあるのかの違い」である。つまるところ農耕民族と狩猟民族の違い、あるいは常に外部からの侵入に対処しなければならない国と、島をまもってりゃいいよね、という国の違い、とか。ただこの点についてはわからないことだらけである。