KPIと鬼速PDCA

2018-06-06 07:04

一時「KPIとPDCA」を大変嫌っていて、あれこれ調べた。昨日こんな記事を見かけた。

エホバの証人がやたら来るのは、一ヶ月にどのくらい伝道活動をしたかを報告するシステムがあるから。
日本人はこの数字上げに関して世界一熱を入れている。他国の信者が驚くくらい。
互いに愛し合うことより数字入れることの方がわかりやすいし、記録として張り合いやすいからかな。

引用元:日本のエホバの証人が「信者が増えない国ランキング」1位になった理由 ※追記あり

KPI(伝道活動の時間数)が設定されると、その値をあげることが目標になるのは多分どこの国でもあることだとは思う。問題はなぜ「他国の信者が驚く」くらい日本人はそれに熱中するのかということ。

昨今次々と明らかになっている「品質の不正問題」にある根っこも同じだと思う。品質と納期をKPIとして設定される。それが無茶なものだったらとりあえず適当に数字をごまかしてKPI達成。こう考えるとあれだね。日本が共産主義になっていたら、きっと「200%超過達成」とかが頻発し、共産党からお褒めの言葉がくだされ、そして国はとても貧乏になっていたと思う。

問題は

そもそもそのKPIは妥当なものなのか、というフィードバックループが欠ける点にある。伊藤正徳が帝国陸軍の最後の中で繰り返し行っていた「航空優先主義大いによろしい。しかしそれに頭を突っ込みすぎるところに問題があった」と。問題はその頃から存在していたのかもしれない。

米軍がフィリピンに侵攻してくる。今や時代は航空機。というわけで飛行場を作ろう、と一生懸命作った飛行場はあっというまに米軍のものとなった。こう書いていて何かが変だと思う。「まあそれはそれ、これはこれ」で曖昧に濁すのは日本人のお家芸のはずなのだが、なぜ設定されたKPIを金科玉条のごとく突進してしまうのだろう。

もちろん

この特質は悪いものではない。きちんとしたKPIを設定し、状況に応じて変更する人間がいれば。それがいないところに問題があるのか。とかぼんやりしたままいつも通り投げ出すのであった。