ユーモアのセンスがもつ意味

2018-08-20 07:17

ブログの書き方としては、いろいろあるのだろうが最近心がけているのは「笑える要素を探す」である。怒りはいいとしてそれだけで終わってはいけない、と考えてはいる。そうはいっても読み返してみれば自分にそれができていないのは明白。だから目標である。

0歳から25歳くらいまで、詐欺に騙されたり、ホームレスをしていた時があって。そこで毎日ブログを書いていたんです。

食べるものがない、頭が回らなくなってきたって、普通に考えたらキツいじゃないですか。でも、それをブログに書くのは、ネタとしていいじゃないですか。滑稽というか。

一歩引いて自分を見た時に、コメディにして、それをブログにアウトプットして、エンタテインメントにして書いてたんです。どんなに悪いこと、バッドなことがあっても、コメディのネタになったので、結果的には悪いことが起こらない。

引用元:日本全土に大感染『カメラを止めるな!』爆発的ヒットはこう生まれた(柴 那典) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)

「カメラを止めるな!」の監督のインタビューである。当事者にとって悲劇でも一歩離れればよくて喜劇。大半の場合は「どうでもいい」ことである。

Sense of humorの大事さについてはこのブログでも何度か書いて来た。思うに現実は直視するとして、現実の出来事には「他人事」として考える視点が必要だと思う。そればかりだと自分の感情の持って行き場がなくなるが、他人の視点をもつことでよりよく対処できる可能性が高まる。

そして「自分を笑い飛ばす」ということは、自分を「他人事」としてみることである。これがSense of humorが重要な理由だと信じるに至った。

先日「スターリンの早々狂想曲」という映画を見た。極めて真面目に作られた映画で、起こっていることはほぼ事実。ベリヤという秘密警察の長が恐ろしい性犯罪をすることまでちゃんと描かれている。

しかし映画自体は「ブラックコメディ」ということになっている。あまりに陰惨で悲惨な事実も、コメディの皮をかぶせて笑い飛ばすしかないし、それは可能なのだと思う。

と書いているそばからこのエントリーのどこにユーモアがあるのか、ということになるのだが、この年にしてようやくこの悟りを得たことを笑ってください、ではダメですか。いや、それしか思いつかないもので。