大丈夫。わかってる

2019-04-22 07:31

先週「またも」高齢者による痛ましい事故があった。

2019年4月19日に東京、池袋の交差点で起きた事故は、一部報道によると約100m以上に渡って暴走し、母子が死亡、8人が怪我を負う惨事になりました。母子が乗っていた電動アシスト付自転車が真っ二つに切断され、衝突したゴミ収集車が横転しています。

87歳のドライバーは当初、アクセルが戻らなかったと話していたと報道されていましたが、警察がドライブレコーダーの映像を確認したところ、アクセルを踏みっぱなしで、ブレーキ痕もなかったそう。

引用元:高齢ドライバーのペダル踏み間違い事故を防ぐにはどうすればいい? | clicccar.com(クリッカー)

ここでは便宜上自動車には問題がなかったと仮定して話を進める。

このニュースを聞いてその前日に自分が書いていたことを思い返す。

この言葉を読んでいると、昨年なくなった父を思い出す。最近知ったことだが、父は末期ガンと診断される以前から自分の異変に気がついていた。しかしこの筆者と同じように「まあもう少し様子を見よう」と虚栄心をはっていた。そして人間は理由が大好きだから、「ラジオの仕事があるから」とどうでもいい理由をでっちあげる。

引用元:ごんざれふ

私の考えでは、こうした事象は認知症によるものではない。老齢による衰えと、それから目を背けることで自分の健全さを認識しようとする、高齢男性に特有のメンタリティがもたらすものだ。

話はまた父に戻る。父は死亡前日、昏睡状態になるまで頭脳はしっかりしていた。酸素吸入を受けながら、看護師さんに

「キリマンジャロの山頂ではどれくらい酸素が減るか知ってますか?」

としっかりした問答をしていた。

しかし今回の事故のようなことにならなかったのは、ひたすら幸運と母の懸命な判断があったからに他ならない。末期ガンと診断された後も

「おい、車で買い物にいくぞ」

と母に言っていたそうだ。それを断固として断る母の知恵(そしてその言葉を聞き入れるだけの父の知恵)があってこそ父は安らかな死を迎えることができたのかもしれない。

父と小田嶋氏(脳梗塞になりながら、ほったらかしておいた人だ)に共通しているのは、他人が同じ行動をしたならば必ずその危険性を指摘するだけの知性をもっていながら、自分の身に起こったことだと愚かな判断をする、ということ。

あるいは「おれおれ詐欺」にひっかかる心持ちというのもこれに共通するものがあるかもしれない。「わかっている。自分だけは大丈夫」というのは誰にでもある感情かもしれないが、高齢ドライバーの手にかかると恐ろしい事故に引き起こされる。