日本的ものづくり論

2019-06-11 07:24

某大企業内で展示会をやった時「これはどのようにして設計したのですか」と言われた。私は

「勘です。これがいいと思ったからです」

と言った。若い二人は顔を見合わせて「それではいけない。ちゃんとこれが最適という説明ができないと」と言った。

私はそうですか、と言って笑った。まあ若いからそれでいけると先輩に言われたんだよね。でもね、理屈なんて何とでもつくんだよ。そんなものに意味はない。

おそらく日本の大企業のほとんどはこのロジックで暮らしていると思う。合理的に説明がつき、美しいパワーポイントを作ってゴミを製造する。つまりはこういうことである。

日本の多くの企業で今起こってるのは、マーケティングが主人になってるんですよ。マーケティングが「何を作るか」を決める。人間がそれに従って働くっていう構造になってて、人間がマーケティングの奴隷になってるんですよ。

私はコンサルタントとして外から入っていって、いろいろなプロジェクトに関わりましたけども、「こういうデータは置いといて、〇〇さんはどういうものを世の中に出したいんですか?」って言うと、みなさんキョトンとします。問われたことがないんですよ。考えたことがないんです。

引用元:日本企業はマーケティングの奴隷になっている アートを軸に、サイエンスを道具として使う時代のビジネス論 - ログミーBiz

まず「いいもの」を作る。ここで「いいもの」というのは心の底から自分たちが「これは世界一だ」と思えるもの。その次に売り方を考える。このあたりまえの順番がほとんどの企業で忘れられていると思う。

思えばソニーがウォークマンを出し(最近のゴミのほうね)「これはiPodよりいいものです。売り上げでiPodに勝ってます!」と言っていたところが最後の華だった。あそこまではまだ「音楽機器を作らせればソニーはAppleより上だ」という幻想を持つことができた。

今やそういう幻想を持つことすらできない。そしてなぜそうなってしまったのか説得力のある説明をみたことがない。ということはその問題は今も存在しているということである。私は確信している。日本人がバカな説明にうつつを抜かし、決断する度胸をなくしたからだ、と。