多様性への信仰

2020-10-02 07:28

今回の文章は年内公開を目指して鋭意執筆中の「デザイン思考ではなくアート思考を推す理由」の原稿から。

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例えば「デザイン思考」ではこういうことがよく言われる。
「デザイン思考を実践するメンバーには多様性が必要である」そしてよく以下の図が引用される。

多様性の効果

この図を引用したWebページの文章を以下引用する。

SDMでも20代から60代までの年代の人が集い、ビジネス経験のある方はその業界がメーカー、サービス業、シンクタンク、金融、建築、マスコミ、コンサル、省庁、教育、経営者だったりと多岐にわたっています。医者の方や、お笑い芸人の方もいらっしゃいますね。また国内外の大学問わずに連携を強め、院生は海外の教授のもとで研究を行う人もいるほどです。いろんな人が一緒になって学ぶという、非常に楽しく刺激的な場ができています。こうした多様性が新しさを生むんですね。でも大事なのは、多様性のある人が集まるほど意見も幅が広く、受け入れられる余地もあるということです。

引用元:【第3回イベントレポート】「イノベーションを起こすために必要な学びとは」慶應SDM 前野隆司氏 – 一般社団法人21世紀学び研究所 – OS21プログラム

多彩なバックグラウンドを持つ人間が一緒に楽しく頑張ればイノベーションが生まれます!と慶應大学の教授が言っている。

いつも思うのだが、こういう人は「イノベーションを生む(はずの)方法」については語ってくれるが、自分たちが実際に生み出したイノベーションについては語ってくれない。ここで前野教授は「多様性が新しさを生む」と楽観的に言い切っている。

すごい。じゃあいろいろな部門から人を集めてブレストをしよう!と「デザイン思考」を売りたい立場の人-私の考えでは前野氏はその一人だ-は主張する。私はそういう主張を聞くたび

「じゃあうちの近くにある保育園と老人ホームから人をつれていきましょう。多様性に富む人を集めればイノベーションが起こるんでしょ?」

と心の中でつぶやく。

かけてもいいがそう主張する人の多くはこの図の元ネタ-論文を読んでいないと思う。(実は私が見つけられたのもその要約版だが)図を説明抜きに読めば、チームメンバーが異なるフィールドから来ている場合、平均してアウトウプットの質は落ちる。しかしごくまれにすばらしいアイディアがでることがある。

では「すばらしいアイディア」とは何か?元論文で挙げられているのは「行動経済学」。古典的な経済学では人間は合理的に判断し行動するものと想定していた(だからよくみる需要と供給のカーブが交わるところで価格がきまる)心理学者は人間は認知バイアスのために完全に合理的な判断などできないと考える。

この二つの異分野のアイディアを結合することにより人間は合理的な判断をしない場合が多いという前提からスタートする行動経済学が生まれた。そしてこの新たな学問領域はノーベル賞の受賞に輝いた。これは確かに「異なる分野の人間が強調することで生まれた素晴らしいイノベーション」。よしじゃあさっそく近所の老人ホームと保育園に相談に、とはならない。

ではどうすれば成功の確率を上げることができるのか?ここからが肝心なところだ。

(勝手な訳)研究によれば、失敗の確率を減らす方法はそれぞれの専門-それがどれだけ離れていようとも-において「広い」よりも「深い」専門知識を持っている人間を集めることである。そうした専門家は分野を超えて協力するのに消極的なことが多い。しかし創造的シナジーの可能性に気が付くことができる人たちでもある。なぜならそれぞれの分野が立脚している仮定や現象についてよく理解しているからだ。

Another way to reduce the chance of failures, my research suggests, is to bring together people with deep, rather than broad, expertise in their respective disciplines—no matter how distantly related their fields. Such experts are often the most reluctant to collaborate across disciplines, but they’re also the most capable of seeing potentially valuable creative synergies between fields because of their thorough understanding of the assumptions and phenomena in their areas of expertise.

引用元:Perfecting Cross-Pollination

世の中にはたくさんの「専門家」がいる。しかしそれぞれの分野について深く知っているともに、「そもそも自分の専門分野ってどんなもの?」と他人に対して平易に説明ができる人は滅多にいない。しかし異分野の人間を集めて創造的な力を発揮させるためには、そうした自分野に対する深い知識、客観的な視点が必要とされるのだ。

先ほどの「行動経済学」を(勝手に想像して)例に取ろう。凡庸なそれぞれの分野の研究者は
「ああそうですか。(心の中で:なんなんだこいつらは)」
でおしまいである。

そもそも(古典的)経済学とはどういう仮定に立脚しているか。それゆえの限界はないのか。そうした問題意識を普段から持っている「専門家」だけが「心理学」との協力から新しい可能性を見出すことができる。

そうした「事実」を抜きにしてグラフだけ引用し

「多様性があればイノベーションが生まれます!」

と主張する態度は不誠実だと思う。雑多な人間を集めた集団を日本語では「烏合の衆」と呼ぶ。烏合の衆からイノベーションが生まれる?私はそんな意見には賛成しない。

多様なバックグラウンドを持った人との議論は確かに楽しく、かつ有益な場合がある。しかしそれには条件がつく。Flemingが主張したように、そうした人たちが自分の専門分野に深く精通しており、かつその分野のどこに限界があり、どういう仮定に立脚しているかまで考えが及ぶ人でなければならない。それでこそ異なる分野の専門家から学び、新しい着想を得ることができるのだ。