種目における発言の傾向

2021-01-14 07:22

いろいろなスポーツ選手、あるいは他の分野の人間がインタビューに答えるのを横目で見る。最近どうも種目によって傾向があるように思えてきた。

フィギュアスケート、それに陸上競技はなんというかあまり知性を感じる発言を聞くことが多くないように思う。私が面倒な男なので、それらの種目のインタビューは聞いていて苦痛だ。思うにそれらの競技は上手に演じることんあまり「考え」を必要としないのではなかろうか。

ちなみに最近ジョギングをしているのだが、ジョギング関連のYoutubeビデオをみるのも苦痛である。無駄な情報、同じ情報の繰り返しがあまりにも多い。これは関係あるのかないのか。

プロ野球は私が少年のころのあこがれのスポーツだった。しかし今インタビューを見ると「ヤンキーとチンピラ」に見える。それはそれで愛すべき存在なのだけど、憧れるといった気持ちはかけらも抱くことができない。

不思議なことにラグビーの選手は野球とはちょっと傾向が違うように思う。二つのスポーツに間にどういう差異があるかは私にはよくわからない。

さて、いきなり分野がかわる。将棋である。もちろんプロ棋士はたくさんいるからいろいろな人がいる。その中でもこの発言は興味深い。

総合すると、もちろんベートーヴェンは、自分がそのまま重ね合わせるには偉大すぎる存在ではありますけど、彼が切り拓いたアプローチ、プロセスというのもあるのかな、という妄想が僕にもあります。結局は人間の勝負であることに変わりはない中、別の勝負もできる道もあるかもしれないということに可能性を感じているところなんです。今までは真理から逆算して、可能性を狭い方、狭い方へと考えていました。将棋は完全情報公開ゲームなので、最善という一本の道筋を突き詰めることが真理を追求する上で王道のアプローチだと思いますし、自分もそういうことに憧れてやってきましたけど、それこそ藤井聡太さんのような本当の最適任者のような方も現れている。

引用元:ベートーヴェンと自分のこと 「最後の質問に」からの佐藤天彦九段 : スポーツ報知

浅い考えでイキがってこういう発言をする人も世の中にはいるが、佐藤氏はそうした人間ではなく、真摯に自分の考えを築き上げているように聞こえる。そりゃ将棋は頭で戦う競技であり、陸上とは違うよ、という意見もあろうが。

というわけで、最近はスポーツ観戦よりも将棋を見る方が楽しい。人間と人間との戦いという意味での将棋だ。いつの日か訪れてほしい引退生活にまたひとつ楽しみが増えた。