「ブルーピリオドから学ぶアート思考」出ました

2021-03-17 06:13

というわけで、本来昨年中に出しているはずだった「みんなで仲良く「デザイン思考」結果を出すなら「アート思考」」ようやくKindleで出せました。


今の会社に転職してきたのは2019年の9月。それから「デザイン思考」と新しい会社に感じたフラストレーション。そして「ブルーピリオド」を読んだ後に感じる

「これなんだよ」

という気持ち。

その違和感について一年間あれこれ考え続けた結果を書きました。

要約すれば

「デザイン思考」は「みんなで仲良く凡庸なアイディアで合意するための手段」

「デザイン思考」ではブレストが強調される。しかし

ブレストは「頭の中の引き出しを外して逆さにする行為」つまり元から引き出しに入っていないものは出てこない」

「デザイン思考」ではプロトタイプを作りどんどん改良することが強調される。しかし

「最初に登り始める山を間違えると、どうプロトを作ったところで挽回できない」

では「登るべき山」を探すにはどうすればよいか。正しい山に登り始め偉大な製品を作りたいと思うならどうすればよいか。

「アート思考」を実践するべき。

ではそもそも「アート」とは何か?「こうあるべきという意思を形にしたもの」。令和二年の東京藝術大学油絵科の2次試験の問題はこれです。

「絵を描きなさい」

こう問われて、自分が考える「絵」とはこういうものだと主張し、それを見事な技で武装した人間が(多分)合格することができる。

最初に必要なのは「こういうものがあるべきだ」という個人の意思。

iPhone登場以前の日本において、家電メーカーはユーザの声に一生懸命耳を傾けユーザによりそっていました。お風呂でワンセグみたいという女性が多い。だから防水機能つけました!もっと軽いケータイが欲しいという声がある。薄く、軽くしました。とかやって開発されたガラケーはiPhoneという「意思」の前にゴミと化した。あれほどユーザ中心の設計を行なったのに。

日本の家電メーカー社員の血と汗の努力はなぜゴミ箱行きになったのか?「アート」がなかったからです。ユーザの声からは決して届かない、現状をいくら分析しても見つからないところに描かれたiPhoneという「アート」。「携帯電話-情報機器とはこうあるべきだ」という意思に敗れたのです。「ユーザの声を聞く」という大義名分を振りかざし「自分の意思を持たない臆病さ」から目を逸らしていたからです。

そして日本の大企業ではびっくりするほどこの「個人の意思」を持たない人が多い。誤解しないでください。特に大企業に採用されるような若い人は「自己ピーアール」は大得意。しかしそれは「個人の意思」ではなく「正解が存在する問いに高得点を挙げる」ための行為。

ではどうしたら個人の意思を持ち、それを磨き上げることができるか。そのためには問題に相対していないとき何をするべきか。こうした問いに対して私なりの答えを出したつもりです。ぜひご一読いただき、感想、ご意見をいただければ幸いです。