オカルトにどう接するか

2021-04-21 07:12

歳を重ねると人間は賢明になる、と信じるほど私は老化に楽観をしていない。実際高校の同期が集まると側からみればじいさん、婆さんの集まりだろうが、中で飛び交う会話は高校生のそれだ。

とはいうものの、幸運なことに

「簡単に否定してしまうのは賢明でない場合もある」

と考え始めたのは最近ではないかと思う。高校生の頃は「あ、これはうけつけない」でおしまいにしていた。しかし最近必ずしもそれは賢明ではなく、損をしていることにも気がついた。

今朝ある記事を読んだ。前から不思議になっていた「手首に数珠をつけているおじさん」に関するもの。あれは宗教的な何かと思っていたがそればかりではないようだ。一人目のインタビュー

また、数珠をつけていると“パワーストーン好きな女性と会話が弾む”という副産物も得られたため、彼はその後もさまざまな数珠を身につけるようになる。

引用元:(2ページ目)なぜ中高年男性は"数珠ブレスレット"を巻くのか「周囲に止める人がいない」「モテたくて…」 | 文春オンライン

こういうのを読むと「まあ自分の金でやるんだったらいいんじゃないですかねえ」(冷たい視線)になる。しかしここで読むのをやめなかったのは正解だった。次の人はこういうことを言っている。

「仕事で行き詰まったり、何かを決めたりするときに『これがうまくいってもいかなくても全部“石”のせい。後悔しない決断をしよう』と思うようになりました。何があっても全部石に責任を取ってもらってます(笑)。ただ、そう考えると気がラクになるので、自分にとってはプラスの存在なのかもしれません」

引用元:(3ページ目)なぜ中高年男性は"数珠ブレスレット"を巻くのか「周囲に止める人がいない」「モテたくて…」 | 文春オンライン

これはいい考え方だと思う。人間判断に感情が関わりすぎるとフリーズしてしまう。そしてそれは多くの場合いいことではない。

しかし「これは全部石のせい」と思えば他人事。逆に冷静に却下的な判断ができる可能性がある。なるほど。これはいい考え方だ。

毎朝15分のマインドフルネス瞑想を続けている。目的は一つで、自分の感情とうまく付き合う方法を探すこと。私はビビリなので、すぐ思考がフリーズする。怖がってもいいのだが、その感情と少しはうまく付き合えるかと毎朝15分座っている。

なのだが、この「石のせいにする」というのもいい方法だ。頭の隅に止めておこう。石を買うお金はないし、つける気は毛頭ないけれど。