国が道を誤った時

2022-09-24 20:26

ゲシュタポのユダヤ人移送局長官だったアイヒマンは自らの行いについてこう述べたという。

「連合軍がドイツの都市を空爆して女子供や老人を虐殺したのと同じです。部下は (一般市民虐殺の命令でも) 命令を実行します。もちろん、それを拒んで自殺する自由はありますが。」 (一般市民を虐殺する命令に疑問を感じないか、というイスラエル警察の尋問に) [70]
「戦争中には、たった1つしか責任は問われません。命令に従う責任ということです。もし命令に背けば軍法会議にかけられます。そういう中で命令に従う以外には何もできなかったし、自らの誓いによっても縛られていたのです。」 (イスラエル警察の尋問で)

引用元:アドルフ・アイヒマン - Wikipedia

正直に告白するが、私にはこの言葉にどう反論すればよいのかわからない。アーレントの著作を読んでもだ。(特にエルサレムのアイヒマンp382-384)

何が言いたいかというと

社会生活を送る上で、重要なのは概ね周りの意見に従うこと。もちろん反対意見を述べてもいいのだが、運が良ければ徒労に終わる。多くの場合「反社会的な人間」のレッテルを貼られておしまいである。

いきなり何を言い出したかと言えば

【AFP=時事】ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領が21日、ウクライナ侵攻に投じる兵力を増強するため予備役を「部分的」に動員すると発表したことを受け、ロシア発の航空便に予約が殺到し、週内の便がほぼ満席になっている。

引用元:ロシア発航空便に予約殺到 プーチン氏の動員令受け(AFP=時事) - Yahoo!ニュース

仮に私が何かの間違いで、ロシアに生まれロシア人として生活していたとしよう。その場合自分に何ができるだろうか?私は警察に逮捕され多くの社会的犠牲を強いられる(子供の学費も払えなくなるかもしれない)ことを覚悟の上で反戦デモに参加するか?多分しないだろう。多くのナチス・ドイツ下での市民が言うように「ただ日々を送る」ことしかできないのではないか。

BBCが公開している動画で、ロシアの一般市民にこの戦争について尋ねるというものがあった。そこで要約されていた市民の声も「ただ日々を送る」だったように記憶している。

そこに部分的動員令が発せられた。となると「ただ日々を送る」ことは許されない。ウクライナへの理不尽な戦争に参加しなければ、非国民である。となると「逃げ出す」か。しかし家族がいてはそれも難しいだろう。

会社が不法行為に手を染めた場合には、しかるべき組織に通報するなどの方法が取れるし、いざとなったら転職という手段もある。しかし国家が理不尽な戦争に突き進む時、普通の市民に何ができるというのか。(今のロシアで講義の声を上げている人たちには驚くとともにその勇気に敬意を表する。)

今回プーチンが始めた戦争ほど奇妙なものはない。(私が知る限り)自分たちの領土、あるいは存続に重要な関わりを持っている地域が他国の侵略にあったのではない(プーチンはそう思っているようだが)侵略先に重要な資源がある、というのでもない。なのに彼は戦争を始めた。今まで第2次世界大戦に参戦した日本の態度を「集団的無責任体制による判断の放棄」と考えていた私だが、今回のプーチンの決断はその下を行く。歴史に「もし」はないと言う。しかし「もし」戦前の日本で誰が指導者だったとしても日本は判断を放棄し、無責任な戦争に突入しただろう。

しかし

今回の戦争は「もし」プーチンの精神状態が正常だったならば起こらなかったことを私は確信している。これほど無意味かつ理不尽な戦争が21世紀に起こるとは。唯一プーチンと肩を並べられるのはヒトラーだが、戦前のロシアの状況と、第2次大戦前のドイツの状況を比較すれば、まだヒトラーの方が「理解」しやすいようにさえ思える。それほど今のロシアが戦争を始める理由がわからないのだ。プーチン個人の狂気という説明を除いて。

そして「気狂いに核兵器」という悪夢のような状況が実際に出現している。

などという分析は誰かに任せておこう。今私はロシアの人々に降りかかった理不尽な運命について考えている。同じ状況に置かれた時に自分は何をするのだろうか、と。