本を書くこと
2023-06-05 07:03
先日親戚の集まりがあった。そこで「五郎ちゃん本書いてるんだって?」と聞かれた。誰かがamazonで私の名前を検索したのだろうか。
私は「左様です。いや、今はとにかく書けば誰でもタダで電子出版できるんですよ」と言った。相手は大して興味を示さなかったようだが。
「何冊くらい書いてるの?」と問われ咄嗟に返答ができず「5冊ですか」と答えた。あとでちゃんと数えたら7冊あった。いつの間に。
「最新刊」は「最悪バーガーの食べ方」です、とまでは言わなかった。
この本を出したのは5月の3日。さて誰か読んでくれるだろうか、とamazonの画面を見つめる。他の本はぽつぽつ読んでくれる人がいるのだが、待てど暮らせど誰も「最悪バーガーの食べ方」は読んでくれない。
そうだよね。やっぱり宣伝しないといけないよね、というわけでTwitterでつぶやき、noteでエントリーを書く。Twitterのつぶやきに知り合いから「いいね」はついたが相変わらず誰も読んでくれない。
こういうことは今に始まった話ではない。日本語で書かれた書籍が1日に何冊amazon kindleで発表されているかしれないが、有名作家ならいざ知らずどこの誰かわからない人間の本は誰の目にも触れない。
じゃあ今それなりに読んでもらっている本がなぜ目に止まるのかは、、よくわからない。まあ「そういうものだ」ということなのだろう。
しかしなあ、あの本ずいぶんあれこれ調べ、あれこれ考えて書いたのになあ。本の中で書いた画期的な「人間はなぜいやな感情を反芻するのか」「なぜマインドフルネスには効果があるのか」に関する説明(凡庸な妄想です)も誰の目にも触れないまま消えていくのか。
などと考えていたのだが
ある日その日の売り上げが変な値になっていることに気が付く。ほとんどの場合本が売れても1日一冊だからその日の売り上げをみれば「ああ、この本がうれたな」と推察することができる。ところがその日の売り上げは今までみたことがない数値だった。
はて?と思い詳細をみると誰かが「最悪バーガーの食べ方」を買ってくれたことを知る。しかも(比較的)高価なペーパーバック版だ。
やれうれしや。これで誰の目にも触れないまま消えることはなくなった。とはいえ何かの勢いで本を買っただけで中身を2−3ページ読み捨てられるかもしれないなあ。
などと思っていたら
その数日後、誰かがページ数から判断するにほぼ全部読んでくれたことを知る。少なくともあの本を読み通すくらい面白いと思ってくれた人が一人はいたのか。
私は貧乏だから、もちろんバンバン売れた方がいいのだが、それでも書いたことを誰かに読んでもらえたというのはうれしい。思えばいい時代になった。20年前だったらこんなことは不可能だった。どんなに力作を書いたところで誰にも聞いてもらえないか、知り合いに配るくらいが望みうる最大の成果だった。
それが一円も払わず(私の時間はどうせ大量に無駄に消費されているのだ)誰かに読んでもらえるとは。
ちなみに
そこから数日たったがそれ以降の売り上げは0である。つまり誰も読まない。しかし私としては誰かに読んでもらえただけで満足。さて、次の本を考えよう。