2011/3/11-3/12
五郎の 入り口に戻る
日付:2011/3/31
後になって、同じ学会参加者の発言を読んだところ、およそ以下のような状況であったことがわかった。
・同じ学会に参加していた人は、津波の危険をさけるため隣接していた「国際交流館」3階に避難した。
・そこでカンパン、水が支給された。
・そのままそこで夜を明かして翌日りんかい線で帰宅した人もいるし、夜のうちに徒歩で新木場に戻った人、バスで門前仲町に戻った人もいた。
(参考:[インタラクション2011]地震発生後 の#i2011)
このような情報から、一人で行動するのではなく学会参加者と共に行動していた方が賢明であったことがわかる。もし津波が来ていたら、駅前広場で遭遇していた筈である。その場合間違いなく避難できなかっただろう。
仮に一人で行動していたとしても、徒歩でお台場を抜け出すことは可能であった。新木場までおよそ一時間半で歩く事ができたとのこと。それならばバスを待っている間に移動できた事になる。また翌朝私がやったように、レインボーブリッジを徒歩で渡ることも可能だった。
あるいは「どうにかして午後8時頃まで待つ事ができたとしたら」という条件つきだがバスに乗ることもできたようだ。
こうした状況を鑑み、反省するとすれば
・一人で行動した事により、情報から切り離されてしまった。学会の実行委員会が機能しており、情報収集、共有を行っていたのだからそこから離れるべきではなかった。
・仮に一人で行動したとして、一番必要だったと思われるのは「ネットなしで利用できる地図」である。それがあれば、レインボーブリッジあるいは新木場まで徒歩で移動するという判断ができた筈だ。おそらく明るいうちに新木場に到達することができただろう。
一点だけ私のいきあたりばったりの行動に分があるとすれば、国際交流館の床より、ホテル宴会場前の床の方が寝心地がよさそうだった、ということであろうか。
注釈