日付:1998/7/25
この「五郎の部」に「著者近影」なるページをつけよう、と思い立ったのは1998年のゴールデンウィーク中、私が放浪の旅にでて旅先でコンピュータに向かっているときだった。このホームページには通常個人のページにあるような「プロフィール」のようなコーナーは存在していない。私が何年生まれで、仕事は何をして、、などということよりも気の向くままに書き散らした文章を読んでもらいたかったからだ。そこから私のプロフィールが想像されることもあるだろう。
では何故「近影」だけ作りたいと思ったか?これには例によって例のごとくくだらない理由が付属している。
話は1997年に戻る。このホームページを作り始める前、私はNiftyserveの中のとあるPatioというものに所属していた。このPatioというのはいわば私設会議室のようなものである。Internetで言えばPrivateのNewsgroupかあるいは掲示板といったものだろうか。そのPatioは1998年の3月に管理者の都合によって閉鎖になってしまったが、とてもユニークな人達が集まった楽しい語らい(というか文章のやりとり)の場であったのだ。
さてこうしたPatioとか会議室が盛り上がってくると付き物なのがOFF会というやつである。通信の世界で言葉だけで盛り上がっていないで実際に会って酒でも酌み交わしましょうという機会だ。私にとって最初のこのPatioのOFF会は1997年の7月に行われた。当日私はいろいろと都合があり一人だけ遅れて参加したのである。
それまでもOFF会は何度か行われており、その時の写真なるものもPatio参加者には配布されていたのである。従って私はそのOFF会の参加者の顔を事前にだいたい把握していた。逆にそれまで私の顔はpatio参加者の誰一人として知らなかったのである。彼らが知っていたのは私が書き散らす駄文の山だけだった。
さて私がそのOFF会に登場したときの様子は当時の私のレポートによればこうだった。
-(引用開始)-
時計のところについてふれふれと見回してみれば。談笑をしているあやしげな男女4人組の姿が。
おかしい。写真から行けばこの人が○○○さんのはずだが、派手なシャツではなくて、渋いスーツを着ている。。
と思いながらも「どーもどーも。大坪でございます」とまるで書き込みの冒頭のように挨拶をしてしまったのが私にとっての OFFの始まりでした。
-(引用終了)-
ところが同じ場面を書いた別の女性参加者の記述は以下の通りである。
-(引用開始)-
●五郎さんの話になり・・・・
みんな口々に「今日は五郎さんに会うために来たんだ。」
「体の大きい人だろうねぇ。」
「顔全体に毛むくじゃらの人かもね。」
「書き込みがおもしろい人は意外に普通の人が多いんだよ。」
●五郎さん登場
五郎さん 「どーもはじめまして。五郎です。」
他の4人 「・・・・・・・」
-(引用終了)-
その時私には理由がわからなかったが、確かに私が初めてお目にかかったときに他の方々はしばらくの間ちょっと不可思議なリアクションをみせていた。今から思えば「えっつ?この人?」ってな感じであっただろうか。
ひょっとすると、これはみなさまが私の書き込みだけをみて、とんでもない人物を想像していたのではないだろうか、、という疑念が私の心に生まれた。そしてその疑念は当日の写真がPatio参加者に配布され、OFFに参加しなかったみなさまからの感想がよせられるにつれ「確信」へと変化したのである。そのコメントを引用してみよう。
-(引用開始)-
(女性その1)今回の目玉の大坪さんの写真も見ましたよ。なんだか・・・普通の方で、ビックリしました。もっとこう・・・凄い人が出てくるのかと・・・。仙人のような人を想像していました。
(女性その2)“大坪 五郎”という名前と書き込みの内容、そして住んでいる場所。これらをあわせまして“長髪”“髭”“モミアゲ”の覆われた体の大きい毛むくじゃらの人を想像していたわけです。
そう・・・・アサハラショウコウ氏のような・・・・。
(男性その1)もっとオタクな感じかなーと思ってましたがなかなかどうして見た目は普通の好青年?でした、しかし実態は?
(女性その3)実は私も「オタク」を想像していたのです。m(_ _)m モウシワケゴザイマセン。でも予想に反して、普通の好青年ですよね〜。
(女性その4) やっぱ私も写真みないで大坪さんがOFFに参加したとしたら目が点になってるかも。どちらかというとむさい人を想像してました。でもこれがおおかたの予想だったのでは・・・(^^)
-(引用終了)-
このみなさまのリアクションは私をして深く考え込ませることとなった。
なるほど。「書き込みだけ読んでみなさまとんでもない大坪五郎像を想像していた」という仮説は正しかったわけだ。しかし。。。
といろいろ考えているとこれが私にとって非常に珍しい経験であることに気が付いた。現実の世界で人と会う場合はまず最初にお互いの外見をみることになる(合コンなどでは最初に電話で話すこともあるが)そのあといろいろ会話などをしてみて「この人って最初観たときは”普通の人”って印象だったけど、話してみるとこんなに変な人なのね」とか考えるわけだ。(私は変人と呼ばれることが多い、ってのは隠しようのない事実である)
しかし今回は文字の上ではあるが、「会話」が先にあり、そのあとに「ごたいめーん」が来た。そしてその結果みなさまの想像と印象の移り変わりははちょうど逆になったわけである。
私がPatioに書き込んでいることを読んでどうして「むさいオタク」を想像したか?これは私の想像力が及ぶところではない。しかしこの経験に味を占めた私は「文書だけから私の容貌を想像するとどうなるのだろう?」という問題に対して興味を抱くようになったのである。
さて時はながれ、いつしか私はホームページの作成に血道をあげるようになっていた。仕事もないのにである。そして放浪先の旅館で愛するPowerBook2400に向かっているときに「そうだ。このホームページに著者近影を数種類のせて、読んだ人がどの写真を選ぶか見てみたらおもしろいのではないか」という考えが頭に浮かんだのである。
その考えが頭に浮かぶやいなや、私はまじめな文章の執筆をほうりなげて、このコーナーの製作に熱中してしまったのである。ハードディスクをあさってみるといろいろと人の顔がでてくるものだ。その顔をいろいろしてできあがったのが三つの選択肢である。
さてある人に「はたしてこのホームページを全部読んだら正解はわかるのか?」といわれたことがある。答えは"Yes"である。少なくともほぼ正解に近いようなヒントは数カ所に書いてある。もっとも「著者近影」のコーナーは私が当初考えたよりも遙かに人気がないようだし、この文字だらけのサイトをひっくりかえしてまで正解を知りたい、と思う人がいるとも思えないが。
最後に当時Patioのメンバーの反応に驚いた私が書いた「私が変人と呼ばれる理由」という文章を引用しておこう。この文章は当時の私がPatioの内部で使っていた「師匠」と「弟子」という架空の二人の会話という形態をとって記述されている。これを書いた時私はこの「変人と呼ばれる理由」はそれなりに説得力があると思ったが、最近はもっと簡単な理由ではないかと思い始めた。
-(引用開始)-
(Lake Michiganのほとりにたたずむ師匠と弟子。夕暮れ時で湖畔にはBon Fireを囲んでいる家族連れと、水のほとりで遊ぶ家族連れがいる。アジア人の男がふたり無言で水面を見つめている姿は回りから完全に浮いている)
弟子:「ちょっと。師匠。こんなところに連れ出して何をしようってんです。私の唯一の楽しみであるFootballのシーズンも始まって、わたしゃモーテルに帰ってTVを見たいんですが」
師匠:(こういう俗っぽい言葉にはとりあわないフリをするのが、自分を高尚にみせるこつでもあるかのような態度で)
「見たまえ、この水面を。波は寄せてくるように見えるが、実はいつもそこにいる。彼らはただ上下しているだけなのだよ」
弟子:(こいつの底の浅い高尚ぶりはもうたくさんだ。49ersの試合結果はどうなったんだ?といきなり本論にはいる)
「波だかダイアナだか知りませんが、瞑想の結果はどうなったんですか?」
師匠:(じらしの長さが自分の高尚ぶりを証明するかのように更に続ける)
「バックシャンという言葉があったのを覚えているか?私が東京に初めてでた時に”東京の女の人は後ろから見るとみんな美人だ”と思ったことがある。
シャンプーの宣伝で”ふりむーかないでー”というのがあったのを大抵のこのPatioの参加者の方々は覚えているだろう。後ろから見たときになびく長く美しい黒髪。きっと振り向いたら美人に違いない、と理不尽にも思いこむのが人間のサガだ。今から考えればあのCMを撮ったクルーは何度も”うげっげっ”という目にあったに違いない。彼らをうちのめしたのは後ろ姿と前姿のギャップなのだよ」
弟子:(愛する49ersの試合の結果が気になって上の空)
「でもって結果はなんなんです。成る程、”師匠の顔は誰も振り返ってほしくない”というのが結論ですか。なるほど変人ですね。さあ。帰ってTVを見ましょう」
師匠:(こいつはいつもは弟子ながらあっぱれというくらい、見事な足のひっぱり方をするのに、今日は支離滅裂だ。寵辱は狂えるが如し、とはよく言ったもんだな。と思いながら)
「心配しなくてもよい。49ersは各下というか万年最下位、野球で言えば阪神であるところのTampa Bayにいきなり負けた。おまけにオフェンスの要のQBとWRはいきなり負傷退場だ」
弟子:(口を半開きにして片手を出したまま硬直する)
師匠:(やっと静かになった、と静かに語り始める)
「顔をみせずに、書き込みだけで大坪五郎像を想像してもらうというのは、今までに経験がなかったことだ。そしてその結果は予想を超えたものだった。 大半の人が私をむさいオタクだと想像したということだ。
そして写真を公開したときに普通だったら「何この変な顔をした人」というところが、「何、普通の人じゃない」という反応が返ってきた。
この反応は何を意味するのだろう?そこで私は何故自分が変人と呼ばれるか、そしてその理由をだれも説明してくれないか、という長年の疑問に一つの解が与えられたのを感じたのだよ」
弟子:(完全に上の空で)
「49ersがTampa bayに負け、、、おまけにQBとWRが負傷。。。」
師匠:(かまわず続ける)
「私はある日デニーズに行った。メニューを見ていると後ろから"Are you ready to order ? " と太い声で聞かれた。なるほどウェイター(つまり男)がついてくれるわけね、と思って振り返るといたのは女性(少なくとも女性に見せようとしている人間)だった。
声を聞かなければ、多少ごついところを除けばなかなかの美人だったかもしれない。しかし目をつぶってその人間の声を聞けばあからさまに男。目を開けば女の様に見えるというのはあからさまに変に感じたものだよ。心の中で何度も「こいつは男だろうか、女だろうか?」と問いかけながら、その人間にオーダーなどしたものだ。君はこれが何を意味するか判るか?」
弟子:(ふてくされて)「49ersは今年は希望がもてないということでしょう?」
師匠:(ふっ、と息をつく。こう言うときに師匠の「人の話を聞かない」という性質がものを言って、一人で会話を続ける)
「ニクソンがケネディの肖像に向かって、”人は君を見るときに希望を見る。人は私を見るときにありのままの自分を見るんだ”と言ったのは、映画 NIXONの中の一場面だ。
人は私を見るときに外観と(つまり普通の凡庸な男)しゃべる内容(むさいオタク)のギャップを見るのだよ。私が後ろから話しかけるときは人は「ああ。オタクがしゃべってる」と思う、そして振り返れば想像したほどは異常でない普通の男が立っている。なのに横を向いてしゃべりに耳を傾ければ、心の中に浮かぶのはやはり麻原ショウコウの姿だ。
言葉と外観のギャップが人を不安な気持ちにする、というのが先ほどのエピソードの主旨だ。私の外見は、それだけでとりたてて言うほど変わっている訳ではない。話す内容にしても、凡庸な内容だ。しかしそれ自体では「普通」の範疇に収まる異なった要素が一人の人間の中に重なると、そこにギャップが生まれる。そして人は私と話すときに言い様のしれない「変」な感じを受けるのだろう。それが私が生まれてこの方「変人」と言われ続けた理由なのだよ」
「このような理由で生じる「変人」ぶりだから、誰も「何が変か」とは指摘してくれないわけだ。何かわからないが言い様のない変な感じ、それが人が私から受ける印象なのだ。」
(と一息にまくしたてて、口をつぐむ。湖面を黙って見つめている姿は、一見言いたかった事を言ってはればれした姿のようだが、実は弟子から何の反応もないことに動揺をしているのを必死で隠している姿かもしれない。そう。彼は明らかに動揺している。)
弟子:(彼は彼の問題で忙しいようだ。水際に座り込んで石を投げている。暗闇に石がすいこまれ、ぽちゃん、と音がする。。が、やがて妙に晴れ晴れとした顔で立ち上がる)
「師匠。私はいまこそ阪神タイガースファンの気持ちが分かったような気がします。シーズン開始早々にシーズンが終わってしまうという悲哀を。
師匠が変人と呼ばれるのは幼いころからのことで、これはおそらく師匠が亡くなるまで変わることはないでしょう。師匠が変人と呼ばれることが不変であることと同じくらい、49ersは強いチームであるということは不変だと思っていた私はとらわれた心の持ち主だった訳です。
49ersが負ける以上、師匠も「変人ではない」と呼ばれることも有るかもしれません。しかし大事なことは評価や価値というものはすべからく相対的なものであり、何事も流転し変化し続けるということです。変化し続け、絶対的なよりどころもない世の中の流れに逆らって泳げば疲れはてて人生はすぐに終わってしまいます。私は流れに逆らわず心のありかを一定にしないで、この身をありのままの姿で養いたいと思います」
「さあ。帰りましょう。」
(弟子は妙にはれやかな表情で師匠に呼びかける。師匠は「君もなかなか心ができてきたな」と上辺の余裕を見せるだけのゆとりもない。自分がこういう悟りを得たようなセリフを吐けばこいつ(弟子)はかならずつっこむ。それなのに何故私はこいつの「悟りを得たようなセリフ」につっこむことができない?という疑問が彼を不安な気持ちに陥れている。ひょっとしてこいつは本当に私を越えてしまったのだろうかと。。。。
師匠は不幸にして弟子のセリフのほとんどが、倫理社会の教科書の「諸子百家:荘子」の章からの引用であることを知らない。)
-(引用終了)-
著者近影のなかでどれが本当の姿かを発見した人が、文章を読んだだけの時よりも奇異な感じをうけるか。あるいは文章だけでも十分に奇異か、あるいはなんてことない凡庸な文章と近影か。人が受ける印象はさまざまかもしれない。
しかし、もしあなたが「ああ。こんなに暇だと何か犯罪的な事を考えてしまいそうだ」というほど時間があれば、そうした感想を私に送ってくれると、それがどんなものであれ私はとても嬉しい気分になることだけは間違いない。
合コンなどでは最初に電話で話すこともあるが:顔をみないうちに合コンの打ち合わせを電話でして、合コンの当日に初めてお互いの顔を見た例がHappyDays11章に載っている。本文に戻る
私は変人と呼ばれることが多い:(トピック一覧)こう言った人に「ではどこが変わっているの?」と聞くと回答が返ってこないのはいつものことだが。本文に戻る
架空の二人の会話:何故こんな妙な書き方をしていたかは話が面倒だし、おもしろくもないので特に書かない。考えてみればこの部分はこの五郎の部でのほとんど唯一の「フィクション」の文章かもしれない。本文に戻る
Lake Michiganのほとりにたたずむ:ここの風景記述は私が1997年に米国に幽閉(トピック一覧)されていたときにドライブに行って実際にみた風景である。もっとも実際には「アジア人の男一人」であったが。本文に戻る
Football:ここで言っている"Football"は日本で言うところの「アメリカンフットボール」もしくは「アメラグ」である。私が中学の時にならったのはFootball = Soccerであったのだが、米国ではFootball=American Footballのようだ。本文に戻る
49ers:私が愛するNFL(National Football League)のSan Fransiscoに本拠地を持つチーム。1997年のシーズンはNFCの決勝でGreen Bayに惜しくも破れた。その強さは比類なく、だいたい毎年上位3チームから落ちることがない。本文に戻る
ダイアナ:この文章が書き込まれたのは1997年9月13日である。英国の元princess,ダイアナが死んでから間もないころだった。本文に戻る
寵辱は狂えるが如し:老子(参考文献一覧)の中の言葉のつもりだが、「寵辱(ちょうじょく)に驚くが若くし」となっている場合もある。(指摘ありがとう・とうてつ さん)「老子」中央公論社 小川環樹訳注では「寵辱(ちょうじょく)には驚(くる)えるが若(ごと)し」となっている。現代語訳は「寵愛と屈辱は人を狂ったようにさせるものだ」本文に戻る
Tampa Bay:49ersと同じくNFLのチーム。もしTampa Bayのファンの方が読んでいたらごめんなさい。でも1997年のTampa Bayの爆発的な活躍が意外だったのは私だけは無いはずだ。ちなみにこの日49ersは試合に負けただけではなくQBのSteve Youngは恒例の脳震盪をおこしたし、WRのJerry Riceは大けがをしてシーズンの残りをほとんど棒にふってしまった。同じ部分の阪神タイガースに関してはおそらく誰も異論は無いと思う。本文に戻る
NIXON:(参考文献一覧)私が敬愛するアンソニーホプキンス主演の映画。この場面は映画の終わり近くニクソンが辞任を決意したところででてくる。本文に戻る
諸子百家-荘子:(参考文献一覧へ)ここでは「倫理社会の教科書」なんて書いているが、荘子、内篇の「斉物論篇」の内容である。「全ての物はひとしく(斉しく)その差異は相対的なものであることをわきまえた者だけが、自己の本文を遂げて自己の生を楽しむことができる」という内容。本文に戻る