日付:2003/6/1
イノベーションのジレンマ
彼らが何をなしとげようとしたのか、について考えるにあたり、彼らも参考にしたと称する「イノベーションのジレンマ」の内容について記述する。
この本ではイノベーションは2種類に分けられるとされている。持続的イノベーションと破壊的イノベーションだ。持続的イノベーションはその製品が対象としている市場で競争力を増すための技術改良である。CPUのクロック数が高まる。ADSLのスピードが高まる(それを可能にしたのが従来と全く異なる技術だったとしても)これらはすべて持続的イノベーションである。
それに対し破壊的イノベーションとは、その時点で主流になっている製品、技術が対象としているものとは別の市場で受け入れられ、ついには主流になっている製品群を市場から駆逐してしまうような技術である。イノベーションにこうした2種類があることにより、現在の市場において顧客の意見に耳を傾け、研究開発に十分な投資をする「優良企業」が新しい技術の波に乗れず衰退することが説明される。かつては20インチあったハードディスクは、現在では3.5インチのものが主流となっている。その製品の世代がわかるごとに勝ち組も交代した。逆に言えばある世代での勝ち企業は「顧客の意見に耳を傾け、研究開発も怠らなかった」にもかかわらず生き残れなかったのである。そうした経緯は以下に示す仮想的な会話で端的に示される。
(持続的イノベーションについて)
p121-123
「どういう人がこれを買うだろうか」
「ワークステーション業界のある分野全体です。毎年、六億ドル以上をドライブに投資している分野です。いままでの製品はそれほど大容量ではなかったので、この市場には手が届きませんでした。この製品なら、この市場に参入できると思います」
「このアイディアを潜在顧客に見せてみたのか」
「はい、先週カリフォルニアに行ってきました。各社ともできるだけ早くプロトタイプがほしいとのことで、設計までの猶予は九ヶ月です」
(後略)
(破壊的イノベーションについて)
「どういう人がこれを買うだろうか」
「わかりませんが、どこかに市場があるはずです。かならず小型で安いものを求める人はいますから。ファックスとかプリンターに使えるんじゃないかとおもいますが」
「このアイディアを潜在顧客に見せてみたのか」
「ええ、先日のトレードショーに行ったとき、アイデアをスケッチして、いまの顧客の一人に見せてみました。興味はあるが、どういうふうに使えばいいかわからないといっていました。」
(後略)後者のような会話では、優良企業のマネージャーは絶対に認可しないだろう。しかしそうした技術がいつしか既存の市場を支配している製品にとって代わるのである。
こうした内容をふまえた上で、Xboxが果たして「破壊的イノベーション」だったか?という点について考えてみる。
前述の文章は二つの可能性について言及している。そのうちの一つ、ゲーム機がPCにとって破壊的な技術になり得る、という点。これは正しいように思われる。-それが現実のものとなる、ならないに関わらずその可能性は存在するし、前述の定義にも合致する。しかしもう一つの可能性、XboxがソニーのPS2に対して破壊的な技術になる、というのは間違っている。少なくとも本書に言及されている限りにおいては、XboxはPS2よりも性能が高く、機能豊富なゲーム機でしかない。またマイクロソフトがターゲットとしているユーザはPS2でソニーがターゲットにしたユーザーと同一だ。
これに対し破壊的技術は以下のような性質を持っている。
「通常破壊的イノベーションは技術的には単純で、既製の部品を使い、アーキテクチャーは従来のものより単純な場合もある。確立された市場の顧客の要望に応えるものではないため、最初は、そのような試乗ではほとんど採用されない。主流からかけ離れた、とるに足りない新しい市場でしか評価されない特徴を備えた別のパッケージなのである。」(P40)
「一般に破壊的イノベーションで成功する企業は、最初、その技術の性質や機能を当然のものととらえ、それらの特性を評価し、受け入れる新しい市場を見つけるか、開拓しようとする。」
もしXboxがPS2に対して破壊的な技術であったとし、Microsoftがその成功をねらおうとすれば、既存の市場-既存ゲーマー-にとってXboxがPS2に対して優位を持ち得ないことを承知の上で、Xboxでなら可能だがPS2にはできないことを「当然」と考える市場を開拓しなければならない。そうした「市場」は本書の中に何度か抽象的な形でふれられている。たとえば以下の下り。
「このゲームで何を言いたいのか?プレイする人たちに対して、どんな意味を持たせたいのか?単なる娯楽作品を作るのとはわけが違います。我々は芸術を作らなければ
なりません。」(第24章:P366)ゲームは既存のゲーマーが好んでいる単なる銃の撃ち合いやカーレースではなく、芸術になるべきだ。そしてそのために必要な表現力をXboxは備えている、とMicrosoftは主張する。
もしこの言葉をMicrosoftが実際にXboxで具現化することができれば、確かにXboxは破壊的技術足り得たかもしれない。既存ゲーマーとは違うユーザーにXboxは受け入れられ、ついにはPS2を駆逐できたかもしれない。では実際に起こったことはどうだったか。
「うっとり聞きほれてしまうような大演説だった。聞いているうちに、Xboxの周りには後光がさしてきた。しかしその光輪も、マイクロソフトがゲームをひとつひとつ紹介するたびに徐々に薄れていった」(第24章:P367)
この日Microsoftがキラーソフトになると確信して紹介したソフトはHALOだった。それは
「度肝を抜くような一人称のシューティングゲーム「ヘイロー」である。ドラムのビートが利いた、胸がどきどきするような音楽が印象的なゲームだ」(第24章:P369)
と書かれている。こうしたゲームは既存ゲーマーには受けるのかもしれないが、百歩譲っても芸術ではない。そしてこの展示会終了後にマイクロソフトに対しては以下のようなコメントが寄せられた。
「しかしマイクロソフトが達成すべき目標と、世間が抱く期待の間にはギャップがあるのだ。人々は見たことがないようなホットなゲームを期待していた。しかし、その期待に応えられたのは任天堂だけだった。THQのCEOブライアン・ファレルがバックに言った「ゲームが一番肝心だという話だったのに、がらくたの山しか見せてもらえなかったな」」(P408)
Xboxが画期的なプラットフォームになる、とマイクロソフトが主張するのであれば、そのプラットフォームの特性を十分に生かしたゲームをまずマイクロソフトが見せるべきだ。任天堂は実際にそれをゲームキューブ上で行ったのだが、マイクロソフトにはできなかった。そして次の著者のコメントはもっともだと思える。
「革命は間をおいて断続的にやってくるのだろう。それはおそらく、ハードコアゲーマーに対して彼らがすでに好んでいる物をさらに与えることで起こるのではない。格闘ゲームをよりみごとなグラフィックスで作っても、新発明とはいえないのだ。(P452)」
本書には、マイクロソフトがあるゲームをキャンセルする経緯が書かれている。その下りは前述した「破壊的イノベーション」に関する会話にぴったり重なる。
「ウーは以前、漫画をベースにしたPC用のカーコンバットゲームをマイクロソフトに拒否されたことがある。あまりにもビデオゲームっぽいという理由だった。その後、彼はマイクロソフトから前払いで300万ドル受け取り、Xbox用のゲームを開発することになった。2000年のクリスマスに、エド・フリーズからウーに電話がかかってきて、今度のゲームも採用できないと丁重に断られてしまう。消費テストの結果、この風変わりなゲームをどうやって売り出せばいいかわからないとマーケティング部門が結論を下したのだ。フリーズ自ら見てみると、ゲームの出来はまあまあだが、ヒットにはなりそうにない。」(P331-332)
つまりマイクロソフトは既存市場に受け入れられる見込みがない、という理由で新しい試み-破壊的イノベーションの可能性-を拒否したわけだ。これは前述の「破壊的イノベーションによって成功を収めようとする企業の姿とは全く異なる。
では彼らは何をしようとしたのか?
この問いに立ち返った私は本書を2度読み返し、そしてインターネットを検索してそれに対して発売前、それに発売当初マイクロソフトが「PS2に対する優位」についてどのように述べていたかを調べてみた。その結果見つかったのは以下の3点。XboxはPS2に比べて2倍(公称値)の描画性能を持つ。Xboxはネットワークインタフェースを標準で持っている。Xboxはハードディスクを持っているからより大量のデータ保存が可能。それらは
「アーティストに、すばらしい仕事ができるプラットフォームを作ってやり、存分に腕をふるってもらう」(第9章:P151)
ための努力だったかもしれない。しかしそれらは「PS2よりちょっと機能が優れたゲーム機を作る」ことでしかない。端的に言えば彼らがどのようにしてゲーム機市場に参入し、ソニー、それに任天堂をうち負かそうとしたのかよくわからないのである。彼らは「PS2改」を作ることですでに膨大なインストールベースを持っていたPS2に勝つ(マイクロソフト大浦氏の名言によれば、すでにTVの脇に存在しているPS2を「すてちゃって」Xboxを購入する)ことができるとどうして考えたのだろう?
ここで論点は再び「彼らがどのように事業を進めたか」というプロセスに戻ってくる。Xboxが何度も何度も「合理的な説明」をすることを求められたことを思い返そう。何度か繰り返された審判のうち、最後に近いところで、このような驚くべき会話が記録されている。
「12月21日(1999年)Xboxチームのメンバーはふたたび最高幹部と顔を合わせた。(中略)
マイクロソフトはスケジュール的に日本勢を出し抜くことはできないが、おそらく2000年秋には発売できるだろう。ゲイツとバルマーは2000年秋にXboxを出すとすればどんなマシンになるのか、とたずねた。Xboxチームの答えはソニーのPS2と十分に張り合えるマシンが作れるというものだった。(中略)ゲイツは2000年秋の発売は見送ったほうがいいと考えた。「我々は類似品を作るつもりは無い。もしゲーム機になんらかの基準が存在していれば、この製品で多分勝てるだろう。だが、そんなものはないのだから、この製品では、誰にでも十分に違いが分かるとはいえまい。Xboxとほかのゲーム機の違いがはっきり見えるようにしてくれ」
(中略)
Xboxチームは2001年秋にはもっといいものを出せるだろうと答えた。(中略)PS2の三倍優れたグラフィックス機能が実現できる。(中略)しかし、これにはリスクも伴う。ソニーがすでに強固な地位を気づいているかもしれないということだ。(中略)Xboxが出る前に、PS2は2000万台売れるかもしれない。心配じゃないのかと聞かれて、トンプソンは答えた。「そんなことは全然気にならない」(中略)
しかしながらXboxチームは大きな心配の種を抱えていた。ハードウェアを完成させるのに、もっと時間がかかるかもしれないということだ。おまけに、ゲームについての計画もまだできていなかった。(中略)バルマーが口をはさんだ。Xboxの承認にあたって、いったいこちらに何をしろと要求しているのか。チームの者は本当にわかっているのか?」なぜこれが驚くべき会話かと言えば、プロジェクトが相当進んだこの段階において、PS2と比較してどのようなアドバンテージを持つ製品を世に出すか、という基本的な事項が決まっていなかったことを示しているからだ。性能が同等でもとにかく早く出すのか、あるいは圧倒的な性能差をもたせ、それを生かすことのできるゲームと同時に発売するのか。こうした戦略が最初にあるべきで、そこから製品開発がなされるべきだと私などは考えるのだが。
こうした「各ステップでの過剰な合理性」と「基本的な戦略の完全な欠如」は実生活で、あるいは歴史書の中に何度か見いだすことができる。そうした現象について考えることはいろいろあるが、ここではふれない。一つだけいえることは、こうした事象は妥当性よりも合理性を重んじる「優秀な管理者」が多数存在し、かつ先を見通しリソースをその意志にそって振り向けることができるリーダーがいない組織で起こりやすいということだ。(たとえば戦前の日本には秀才官僚(含む軍人)はたくさんいたが、リーダーがいなかった)そしてこの性質は本書に描かれているマイクロソフトの姿そのものである。
こうした企業においては「PS2改を作る」というのはとても合理的に説明できる目標とされたことだろう。PS2にはハードディスクもネット対応も標準ではついていない。XBoxにはある。一秒あたり描画可能なポリゴン数は2倍だ。これもわかりやすい。定量化もできるしグラフにだってかける。(無能な管理者ほど定量化という言葉を金科玉条のように振り回す)優秀な管理者が持続的イノベーションに執着するのももっともだ。
しかし本当にそれで勝てるのか?という戦略は本書のどこを読んでもでてこない。小役人的有能マネージャは不思議な事にこうした根本的な問題を避けて日々を送ることができるのである。そして新しいプロジェクトに高額の「戦略税」をかけ、関係者を疲労させその意欲をそぐ。今のマイクロソフトであれば次から次へと優秀な人間が押し寄せてくるだろうから、どんなに脱落者がいてもかまわない、といえるのかもしれないが。
本書に描かれているXbox開発の物語は著者の以下の言葉で要約されると思う。
「このプロジェクトについて悲しむべきは、ソニーにおいつこうとして皆が疲れ果ててしまったと言うことだ。まるで、目標を達成するにはそれしか道がないかのように」(P458)
目標はなにか。それを達成するためには何をすべき、かという基本的な問題をおざなりにし、とにかくソニーに追いつけ。ソニーと同じような事をしろ、と人々を駆り立てる。そして誰もが疲れ果て脱落していく。
マイクロソフトは既存のハードを改良し、ソフトについては高邁な理想を述べるだけでその答えをなにも出さなかった。(この状況は今も変わっていない)「マイクロソフトは何一つ自分たちで新しく生み出していない」という批判を何度か聞いた事があるような気がする。本書を読んだ後ではこの会社からは今後も新しい物は生まれないのだろうなと思いたくなってくる。
本書には関係した人たちの以下のようなコメントが載せられている。確かに彼らの努力は流した汗の量からすれば偉大なものだったかもしれない。しかしそれはこのコメントのうつろな響きをうち消すには十分ではない。
「「なんだかんだ言っても、Xboxはすばらしいよ」後日、ある日本食レストランでバッカスら数人の友人たちと酒をくみかわしながら、ブラックリーが言った。「おれたちは、何かとてつもなくすごいことに参加できたんだな」」(P459)
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以下は本書を読んで気がついたいくつかの点。
「会合のたびに、彼は仲間の書いた提案書をわかりやすいように書き直させた。それを読む重役やマネージャーがすぐに理解できて、彼らの承認を得やすくするためだ」(第7章:P119)
いつも「おまえが作る資料はわかりづらい」と文句を言われる私としては胸にしみる言葉だ。●●が一度見てわかるように作らなくちゃね。
「ヘイズは黙ったままで、周りを観察することに専念した。それぞれの出席者がどんな立場かを見極めたかったからだ。誰かの発言がなされたとき、各人のボディランゲージを読んでその本心を探り、会議が終わった後でみんなに伝えることになっていた。」(9章:ビューティコンテストP142)
確かにお偉いさん達のボディーランゲージを探ることも重要だなあと思う今日この頃。言いたいことがあればはっきり言えばよいのに、とも思うがそうしたロジックが通らないのもこの世の常という物か。
「ぼくらの相手は、トヨタカローラに乗っているフォーミュラーワンのレーサーたちで、彼らにフェラーリを見せたわけだからね」
日本でXboxを担当していた大浦常務の言葉。彼はこの他にも数々の名言を残している。不思議な事だが、たとえばこの台詞を本書にでてくるブラックリーが言ったとしてもそれほど気にはならない。日本人の大浦氏が言ったと聞くと途端に反感がわき起こってくる。なぜか、ということについて考え出すと長くなるので省略。
「二人はこう説得した。最初はソニーと任天堂から市場を奪うための答えを全部持っているわけではない。しかし最後には、ゲームメーカーのみなさんもこのシステムのパワーを理解して、Xbox用のゲームを作ることに喜びを感じることになるだろう」
この言葉に信仰と熱意はあるが説得力はない。