夏の終わり-番外:チゲ鍋会-名古屋遠征その2

日付:1999/2/8

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番外その2:チゲ鍋会-1章

1998年の12月29日。多分私は何もしないで寝ていた。

この年は28日を休暇にすると26日から1月3日までが年末年始の休みになるのである。私はまようことなく休暇を取った。実際最後の日に出勤したところで気が浮ついてろくな仕事ができないのはこれまで10何年かの会社生活で身にしみて知っていたからである。おまけにいま私は故郷を離れて働いている身だ。帰って親孝行の一つでもしたいではないか。

26日に鈍行電車をのりついで名古屋に帰った。鈍行で帰るとdoor-to-doorで約6時間である。私は鈍行電車に乗るのが好きだし、おまけに料金は半額だ。居眠りしたり本を読んだりしてる間に時間はまたたくまに過ぎていった。途中の電車で愉快なことといえば、「列車に一カ所しかない便所の争奪戦」であっただろうか。実際鈍行の接続というのはけっこうよくできていて、6時間の間待ち時間というのは全部あわせても10分もない。ということは駅のおトイレにいく時間がないということでもある。いきおい車両についているトイレを使用するしかなくなる。ところが同じ事を考えている人間が結構いるわけである。まず扉の前に来る。使用中であるのを見つける。扉の前に立っているのもなんだかはずかしいし、と思ってちょっと離れた椅子に座る。するとその瞬間扉があいて中から人が出てくる。おっと思って腰をうかした瞬間に隣の車両から人がでてきて、入れ違いに入ってしまう。

ちょっと浮かしたこしをちょっと所在なげにおろす。内心如何に悔しがっていてもそれを表面にださずにそれからまたしばらくの間待つ。すると不思議なことにまた同じ事が起こる。とうとう見栄も外聞もかなぐりすてて今度は便所の扉の前にはりついている。

なんだか冷静に観察していたように見えるが、実は私もトイレを使いたかったのである。何人目かに順番が来ると、あとは平穏のうちに時間がすぎる。のんびり列車の旅も大変悪くない。

名古屋に帰ってもまだ昼前だ。そしてその休みは基本的に寝てばかりいた。

私は入社2年目から5年目くらいまでの間、実家に帰って休日は「廃人」しているので有名であった。廃人とは、話しかけても反応せず、ねるか飯をたべるかしている状態である。姉の子供達が小さい時は

「ごよぴー(私のことである)あいじんであそんでくれなかった」

と姉にいいつけたりしていたが。それからしばらく廃人は直っていたのだが、この正月休みは久しぶりに完璧な廃人状態となった。理由はわかっている。12月にアンケートに答える方式の精神、身体面の健康チェックがあった。今までこういう類の検査はいくつかやったことがあり、その結果はだいたい"No problem at all"というものだった。ところが今回は違った。

身体的には問題はない。問題は精神面であった。曰く「神経症。心身症。抑鬱症。情緒不安定。内向的。体の不調の原因となっている可能性がありますから注意してください」だそうである。

これだけ見事な項目がならべば廃人になるも納得できる。原因は明白であった。いままでいろいろな仕事をしたが、これほど簡単な仕事でこれほどストレスを感じたことはない。しかし環境の改善を図ろうにも、ある程度の体力がなければいかんともしがたいのである。この正月の間中寝ていたことが体力の快復に役立ったかどうかは定かではない。いずれにしても私は毎日こんこんと眠り続けていた。

 

そうはいってもメールとこのホームページのアクセスチェックだけは欠かさずにやってはいたのである。まだ人とのコミュニケーションが切れるまでにはいたっていなかったのだ。年も押し詰まった29日。私は見慣れないアドレスからメールが来ているのに気が付いた。

内容を読んでみれば前回のコンパの出席者からなんとリターンマッチのご要望である。以前私が横浜に来た後にCOWと会う機会があった。その時「あの合コンでリターンマッチの要望とかでてないの?」と聞いた。彼の答えは「要望はあるんだけど、SNDが忙しくてつかまらない」ということであった。さもありなん。あの男はまた忙しく働いているのだなあ、と感慨に耽っていたのである。

それから2ヶ月あまりたって、いきなりのメールだ。どうやって私のアドレスを知ったのだろう、、などと神経症にかかった頭で考えても考えはうまくまとまらない。とにもかくにも私は「いいですねえ。やりましょうやりましょう。」と返事をした。それからの正月休みはひたすらねて過ごした。1月2日には姉の一族が来たが、このときは完全な廃人状態で、子供と遊ぶことなど思いもよらなかった。

 

COWにメールを出してSBYのメールアドレスを聞いたのは年明けだ。彼の返事をまってさっそくSNDとSBYに打診のメールを出した。SNDからは「1月は千客万来ですけど、2月になれば大丈夫」と返事がきたし、SBYからは「ところで合コンの場所は横浜?名古屋なら都合をつけます」とかいう返事が来た。

それから日程を決めるために何度かメールのやりとりがあった。最終的に2月の6日に決まったのはいいのだが、この交渉の間、私は数年ぶりに風邪で会社を休むことになった。入社当時は必ず年にいっぺんは風邪で会社を休んだものだが、ここしばらくは(おそらく頭が馬鹿になったことも幸いして)鼻水をたらすことはあっても休みはしなかったのである。しかし今年のインフルエンザは強力であり(毎年こう言われている気もするが)私の体調は10年ぶりと言ってもいいくらい悪かった。

風邪で食欲がなくなったのはひさしぶりである。ところが物には思わぬ作用があるもので、正月休みに食っちゃ寝の生活をしていたせいで右肩上がりのカーブを示していた体重グラフは一気に2kgほど落ち込んだ。やれ、これは思わぬ副作用だわい、しめしめ、と思ってふっと鏡を覗いて驚いた。私はそれまで体重計にのることはあっても鏡を見ることはなかったのだが、鏡に映ったのは「病気やつれ」と顔に書いてあるような風貌だ。まあ誰も私の顔なんかまじまじと見ないだろうから特に問題はないというものの。。。昔の戦記を読むと「一週間何も食べなかったので、風貌がかわってしまっていた」という記述にでくわすことがある。私は数日食べずに寝ていただけだが、確かに頬骨がこけて、目がぎょろぎょろしている。(元が小さいから大したことはないが)体重が減るのはうれしいことだが、どうせやせるならやはり健康的にやせないとだめなようだ。

 

さてそうこうしている間に、私はまた見たことのないメールアドレスからメールをもらうことになった。相手は前回の合コンの別の参加者だった。

実際最近の電子メールの普及はすばらしい。平成4年に私がStanfordから帰ってきたときには「電子メールがいかにべんりなものであるか」を会社に説明するのにずいぶん無駄な努力をついやしたものだ。(何故無駄かといえば、○○重工は下からの意見に絶対耳をかさないからである。逆に世の中で電子メールが話題になればさっそく「電子メール導入に関するアンケート」をまわして、その結果はどうであれ「社員の意見をくんだかたちで、このようなシステムの導入を図ります」とあらかじめ印刷してあった報告書を提出する。このようにいかにも「我々は社員の言葉に耳を傾けていますよ」というポーズをとるような会社だ)

ところが6年たつと電子メールは実に便利なコミュニケーションの手段としてうちの姉でも使うようになった。世の中すごい変化である。最近は合コンで知り合う女の子でもだいたいメールをアドレスを持っている。私のように合コンの席上で相手に電話番号を聞くことに、いい知れない畏敬の念を抱いている人間でも、電子メールのアドレスなら気楽に聞けるかも知れない。

さて彼女のメールの冒頭には「ホームページなかなか本音が書けず、さぞかしご苦労されたことでしょうね。」と書いてあった。私はいつも文章は本音で書いている。書いて人に見せられない文章であれば、「秘密」のはんこをおして、自分のコンピュータのハードディスクの奥底にしまうだけの話なのだが、どうもこの話は世間であまり信じてもらえないようだ。

さて彼女のメールの本題は「COW夫妻も同席できれば楽しいと思います。大坪さんからもCOWに働きかけを」というものであった。なるほど。これは思いつかなかったが素晴らしい提案だ。私はさっそくCOWにメールを打った。最もこのメールに対してどう反応するかは彼と彼女が相談して決めることであり、その結果は私には予測が付かない。The more the marrierで出席してくれるかも知れないし、「おじゃましちゃわるいから」と遠慮されるかもしれない。

いずれにせよ、これは打診してみる価値のある話だ。私はさっそくCOWにメールをうち出席依頼をした。

さて今回の場所の選定は女性に全面的にまかせていた。前回の合コンでは「大坪という合コンの鬼がいる」という妙な噂に載せられて私が場所の予約からなにからやったが、今回は自分が遠隔地にいることをいいことに、投げていたのである。所詮もと小牧Boyの私なんぞよりも彼女たちのほうが遙かに飲食店に関してはくわしいのだ。相手がご推薦してきたのは鍋屋だった。鍋の種類を何にするか?という何度かのメールの後、その店の名物であるところの「チゲ鍋」を頼むことにした。

さてこの鍋屋の場所は名古屋の中心街であり、私がいつも合コンで飲み屋を予約する栄とはちょっとずれたところにある。従って「待ち合わせ場所と時間もご推奨いただけるとまことにうれしいのですが」と依頼していたのである。こう書くとなんでもかんでも頼んでいるようだが実際そうだからしょうがない。さてようやく待ちに待ったその返事が来たのである。私はさっそく男性2名に場所と時間をつげるメールを書いた。しかしそのメールを発信できたのはその日のずいぶん遅くなってからであった。火曜日は恒例のmeaningless, marathon meetingの日なのである。その間中私はひたすら「偉大な金日成主席のおかげで平和に幸福に暮らしています」と唱えているのだが。

さて今までSNDとSBYからはずいぶんとクイックなレスポンスが返ってきた。彼らが業務でとても多忙であることを考えたとき、これはとてもとてもありがたいことであることに気が付く。だから今回も水曜日にはレスポンスがくるかな?と思ってみたが、何も返ってこない。

木曜日の朝になった。私はいつも出社前と帰宅後にメールをチェックする。朝は自動的に5時50分になるとコンピュータがスリープ状態から目覚め、Niftyserveの巡回を始める。私はその物音で目をさまし、階段を降りて着替えを始める。何度しめてもこのネクタイというやつはなれることができない。この布きれを首にぶら下げることが社会的に重要である、などと決めたやつはどこのどいつだ?などとこの世を呪いながら何度かの失敗の後になんとか適当な長さにネクタイをしめることに成功する。階段を上ってみるとMacintoshは巡回を終わって「さあ読んでください」とばかりに巡回内容の一覧をだしてくる。

とは言ってもここでいきなり読んだりはしない。愛機PB2400の蓋をぱたんと閉めて鞄につっこむ。この季節ではこの時間はまだ外は真っ暗だ。その中を「さむいよー。さむいよー」といいながら駅まで歩く。弘明寺の商店街をつっきっていくのだが、早い弁当屋は朝の6時から開いている。人がたくさん急ぎ足であるいていればそれは私も走ったほうがいい、というサインだ。私が使っている鈍行は10分に一本くる。もし乗り過ごせば寒いホームで10分間たちすくまねばならない。

ホームにてけてけとおりていくと、適度に人がいる。空はようやく明るくなり始めている。まもなく来た品川行きの鈍行列車に乗り込む。「勤務先は品川」と言われてあごがはずれるような思いをしてからというもの、私はこの「通勤」なるものに対してしばらくの間試行錯誤を繰り返すことになった。

それまで私は会社というところに異常に早く行き、とても早く帰る人だった。最後にまともに仕事をしていたころは、朝の6時半に出社し、夜の6時くらいに帰っていただろうか。ところが私がおろかにもとびこんだ業界は妙に「遅寝遅起き」が幅をきかせているところだ。朝の6時に出社して夕方6時にかえるよりも、朝の10時に出社して夜の10時に帰るほうが「真面目に働いている」と評価されるような場所だ。Do in Rome as Romans do.と言うではないか。私は最初会社に9時半くらいに着くように時間を選んで急行+特急電車で通勤することを試みた。しかしこれは二日と持たなかった。

この「ラッシュ時の混雑」というのはよく言われることだが、本当に殺人的である。本当に人が死なないのが不思議なくらいだ。私はまだ比較的頭が上にでるからいいのだが、背の低い人などは回りの背中に囲まれ窒息とはいかないまでも失神ぐらいしないのだろうか。何故こんな責め苦にあってまで私は通勤せねばならないのか。田舎での車通勤か、あるいは異常に早くすいた電車にのって座ることを生き甲斐にしていた人間にはこの混雑は刺激が強すぎた。

さてそこから何度か違うパターンを試したあげくたどりついたのが「特急を使えば40分でいけるところ1時間15分かけて鈍行で通う」ことであった。確かに時間を食う。しかし鈍行でいえば途中の駅でまず間違いなく座れるのである。そして座れさえすれば、居眠りしようが本を読もうが、コンピュータを使おうが自分の時間がやってくる。実際つとめを始めてからというもの自分の時間はとても少なくなってきていた。ここで朝の1時間というのはとても貴重なのだ。座るとコンピュータを取り出し、先ほどのNiftyserve巡回結果をまず初めに読む。それからインターネットの巡回結果を読んだり、このホームページを更新したり、やることはいろいろある。時間を忘れてキーをたたいているうちに終点品川につく、という寸法だ。この通勤パターンがなかったら、このホームページはとっくの昔に更新停止になっていたかもしれない。

さてこの日も私は座るとさっそくコンピュータを目覚めさせた。メールをチェックしてみると、返事を待っているCOW,SND,SBYどこからもメールはとどいていないようだ。そこから居眠りしたりコンピュータのキーをたたいているうちに私は妙な強迫観念にとらわれ始めた。何故彼らから返事がこないんだ?

インターネットメールはとても便利なものではあるが、一つだけ使い始めた誰もが気が付く明瞭は欠点がある。それは相手が読んだかどうか確かめるすべがないということだ。私がメールを送ったのは3人とも彼らの会社のアドレスだった。ひょっとして彼らの会社のシステム部門が検閲を始めた、などということはないだろうか。それでなくても時々「私用のメールを送るな」という通達が回っているようでもあるのだ。失業中は「猫柳商事、海外部品2課 大坪」なる肩書きをつけてメールを送ったこともある。最近はそんなこともしなくなり「大坪だよーん」とメールを送っていたが、、、、

さてこの妄想が広がり始めるともう止める手段はない。今日は木曜日であり、明日は金曜日。彼らは土日は出勤しなければメールを読むことができないのだ。今日帰宅してから確認のメールをうったところで彼らが本当に読んだかどうかを確認することができるだろうか。

さて会社についた時私はすっかり「実は誰にも伝わっていないのではないか」という強迫観念の固まりと化していた。こうした合コンの案内などにはメールは実に卓抜な効果を発揮する。しかし考えてみれば直接相手と話したわけではないから、どうしても不確実性が残る、などということにいまさらのように気が付いた。私は今の会社では、会社から私用メールをうったことはないのだが、事ここに至ってはやむ終えない。帰宅するまで待って一日を無駄にするわけにはいかないかもしれない。会社で私は「はーい。案内のメールはちゃんとついたかなー。確認のため返事くださーい」というメールを両名に送った。

 数時間後にメールをチェックするとSBYから「いやー返事がおくれちゃってごめんなさい」といった感じのメールが入った。これで彼らが働いている工場が検閲を開始したのではないことがわかってほっと一安心である。今回の合コンは私の都合によって土曜日開催としたのだが、なんと彼は土曜日も出勤でおくれて登場するという。ああなんと良き○○重工社員は勤勉に働くことか。前回は5時過ぎの会議につかまり、今回は休日出勤に捕まるとは。

さてもう一人のSNDのほうはどうしたのだろう、、、と思っていた。午後になって再度メールをチェックしてみればSNDからメッセージだ。なんとかれは火曜日から二日間会社を休んで、今日も午後から出社。そして始めて私が送った案内をみたらしい。

うーむ風邪か。と彼のメールを読んで思っている間に、私自身も風邪の危険性にさらされていることに気が付いた。なんとなく頭が痛いし、なんとなく咳が出る。一年に一度会社を休むくらいの風邪をひくだけだから、もう今年はひかない、などと妙なジンクスにすがっていたわたしだが、ちょっと自信がなくなってきた。しかし今更合コンの日程を動かすことはできないし、3対3の合コンで一人がかけるわけにもいかない。

さて翌日は適当に会社を逃げ出して、中華料理をたらふく食べたあげくに早めに寝た。自分が風邪なんだかそうでないんだか今一つわからないが、とりあえず睡眠をたくさんとるにこしたことはないだろう。おやすみなさい。。

 

次にきがついたのは何故かふとんにくるまっているのに異常な悪寒に襲われている自分の姿だった。時計をみるとまだ12時だ。しかしこの悪寒はなんなのだろう?

まもなくだんだんと頭がはっきりしてきた。とにかく寒い。客観的に見ると羽毛布団を2枚かぶって、隙間もなく外気から遮断しているつもりなのだが、ふるえが止まらない。しまった。やはり風邪を引いていたのか。悪寒が走るのは発熱の前兆である、とどこかの子供漫画科学シリーズで学んだ気がする。となれば明日は高熱か。うむ合コンの翌日はバンドの練習だがまたパスせねばならんか。。

などと考えている間にトイレに行きたくなった。しかしあまりに寒くてとても布団を出る気がしない。しかし少し知らんぷりをしてみたがトイレにいきたい願望は強まるばかりである。がたがたふるえながらトイレに行って、帰り道は駆け足で階段をかけのぼり布団に潜り込んだ。体は冷えてしまい、ふるえは前よりひどくなっている。

体がふるえるのは、少しでも熱を発生させて暖をとろうとするからだ。。こんだけふるえてると結構カロリーを消費してダイエットになるのではなかろうか、などと妙な事を考えているうちに1時間、2時間と時間は過ぎていった。なのにふるえは止まらない。いいかげんふるえるのにも飽きてきた。体のふしぶしも痛み出したし。いったいいつになったらこのふるえは止まるんだ。

などと考えている間に寝てしまったようだ。翌朝めざめたがあの悪寒はウソのようにどこかに行ってしまっている。ところが今度はねつくことができない。悪寒とふるえはさったので楽にはなったのだが、あまりにもふるえが強烈すぎたようだ。夜中におきて激しい運動をしたようなもので、逆立ちしても何をしても眠気が来ない。ところが時差ボケのときのように出発時間が近づくと眠くなってきた。さあ起きよう。幸運にも今日行動不能になることは避けられたようだ。始発電車で新横浜駅に着くと、新幹線に乗り込んだ。今日は長い一日になるかもしれない。

 

(この話には続きがあり、サイトにアップもしてあるが、合コンの席上参加者の一人からホームページに記載することに関する反対意見がでたので、ここからリンクはしない。ただ「穏やかに楽しく鍋をつつきました」とだけは言っておこう。)

 


注釈

前回のコンパ:このコンパについての詳細は「夏の終わり」本編3章を参照のこと。本文に戻る