夏の終わり-番外:チゲ鍋会-名古屋遠征その2

日付:1999/2/8

五郎の入り口に戻る


番外その2:チゲ鍋会-2章

 さて新幹線は遅れることもなく名古屋についた。もっともここから先は30分ほどの遅れがでるそうだ。私が10月に関東エリアに来てからというもの、ほとんど何もふらない。記録的なからから天気とか言っていたが、傘が嫌いな私にとってはありがたい環境ではある。しかし米原のあたりではやはりいつものように雪が舞っているようだ。

よれよれと家に帰った。中をしばらく探検したが誰もいない。父はインドに旅行中だし、母はどこかにいっているようだ。しょうがないから一人で床屋に行った。この床屋は考えてみれば高校生のころからずーっと行っている場所である。夫婦とあと一人の男(この夫婦との関係は今ひとつわからない)がやっている。うちの母に言わせると上手に切るときとそうでないときがあるのだそうだが、私にはわからない。

さて頭がさっぱりすると又家に戻る。しょうがないからカップラーメンを食べ始めた。やはり風邪気味のようで寒さがやけに身にしみる。外に何かを食べに行くことなど思いも寄らない。ラーメンを食べ終えたところで母が帰ってきた。

それから私は夕方までこんこんと眠っていた。とにかく昨日の晩は寝ていないし、おまけに風邪気味だ。

むっくりとおきあがると待ち合わせ場所に向かった。場所はさる地下鉄の駅の8番出口の下である。これを伝えてきたミポリンは「とっても寒い場所だから20分も前からそこにまっていると風邪をひきますよ」と書いてきてくれた。私は15分前にそこについたがなるほど確かに寒い。普段でもいやだが、風邪を引いている身としてはとてもこんなところに15分もたっているわけにはいかない。そこから銀行を探してお金をおろそう、と無駄な努力をくりかえしたあげく、時間もちょうどよい頃合いとなった。さて行ってみるか。

しばらく指定の場所でふらふらしていると「よっ」と声がする。声の方を見るとSNDである。「いや。久しぶり」とかなんとか挨拶した。彼も病み上がりのようだが、見たところは私より元気そうだ。

なんのかんのと話をしていると次にきたのはななちゃんだ。とは言っても髪型が変わったので大分雰囲気がかわり、一瞬とまどったのも事実である。彼女が言うにはCOW夫妻は結局今回は欠席とのこと。うーむ残念。後でミポリンに訊いたところによると、COW夫人から我々にメッセージが残されていて「よ・ろ・し・く」だそうである。何だこれは?とミポリンに訊いたが、彼女は「とにかくこう言われた。よ・ろ・し・く」と繰り返した。

さてちょこちょこと話しているとミポリンもやってきた。彼女がいうには宮様は体調不良(風邪?)のため今回は欠席という。私は前回の合コンで一度も宮様としゃべれなかったので、今回機会あればお話をしようと思っていたのだがこれでそれもぱあだ。残りの一人SBYは最初から見捨てていくことになっていたので、来るべき人間はこれで全部である。我々はてけてけと目的の鍋屋に向かいだした。

ミポリンの指示に従ってずいぶんあちこち曲がったと思ったあげくにようやくたどり着いた。鍋屋というよりは海産物の店という感じがする。やたらと水槽にいろいろなものが泳いでいる。3階にのぼると、床の間のある落ちついたスペースに案内された。

今回は席を決めるときに「しきらないんですか?」などとミポリンに聞かれることも無かった。適当に皆が座って決まった座席は以下の通りである。

最初SBYはいなかったから私とナナちゃんは隣り合って座っていた。

さて最初は注文と決まっている。鍋は当初6人で3人前頼めばいい、ということだったが、一人減ったので2.5人分頼むわけにはいかない。結局二人分頼んだ。ナナちゃんはウーロン茶をオーダーしたが他の人間はビールである。その他にもいろいろなものが注文できる。中でもミポリンの言葉によれば「足長タコの躍り食い」とかなんとかいうやつは、実に珍妙であるという。その他適当にあれこれオーダーして注文は決まった。初対面ではないし、お互いわりと気兼ねがない相手なので、ここのところの注文は実にスムーズだ。

ビールがくると、SBYを見捨ててあっさり「かんぱーい」となった。「鍋を始めますか?それとも後一人まちますか?」と言われたが、私はあっさりと「始めてください」と言った。何と言ってもSBYがいつ来るかは神のみぞ知るところだ。まあ少し残しておけば彼も文句をいわないさ。

それから鍋が煮えるまでの間私たちは何をしゃべっていたのだろう。。最初の会話は結構スローテンポで始まった。何かについてナナちゃんがミポリンにしゃべるときに敬語を使って話しているので「あれ?あなたたちってあまりお互い知らないの?」と聞くと、2次会で少し話はしたものの、前回のコンパがほとんど初対面だったとのことである。うーむ。考えてみれば彼女たちがCOW夫人のどういう友達か、というのは断片的には聞いたが、あまり聞いていなかった気がする。

次に私は正面を向いて、まずそれまで疑問に思っていたことをミポリンに聞いてみた。COWが彼女について語るとき必ず「階段落ちの銀ちゃん」と形容する。これはおそらく蒲田行進曲という映画の役柄をさしているのだろうが、何故あなたはCOW夫人にこのように呼ばれるの?

すると彼女は大変答えにくそうに言い出した。なんでも10年ほど前に階段を上から下ではないが、3段ほど落ちたことがあると。それから彼女は「階段落ちの銀ちゃん」と呼ばれるようになったのそうな。ちなみについ最近も10年ぶりに(と少なくとも彼女は主張していたが)路上ではでにこけたのだそうである。彼女の記述を信じれば、たたたたと走っているときに何かの拍子でずっこけ、胸でアスファルトの上をずずっと滑ってとまったのだそうである。いってーと思っている彼女に「変なおじさん」が「だいじょうぶ?」とかなんとか声をかけたのだそうで。

私はアスファルトのような摩擦係数の大きい物の上ですべるなどというのはよほどの事だと思って聞き直したのだが彼女の返答は変わらなかった。彼女は制服を着ていたらしいのだが、別にやぶけもしなかったのは不幸中の幸いであったようだ。

そうこうしている間に、頼んだものが次々とやってきた。ホタテのバター焼きは普通たべるホタテとは違い、はごたえがあって実においしかった。メニューの中に「天はまち」という文字があったので、これは「天然はまち」だろうかあるいは「はまち天ぷら」だろうかと大分論議になったのだが、前者が正しいことが店の方の証言でわかった。きた刺身をたべるとなるほど天然ものというだけあって、身がしまっていて大変おいしい。しかしなんといっても圧巻は「足長タコの踊り食い」である。

皿の上に細いタコの足がにょろにょろしている。吸盤をとれば、ちょうどミミズのような感じである(さすがに当日「ミミズのようだ」とは言わなかったが)動かないように見える足であってもはしでつつくと、うにょうにょ動き出す。おまけにはしでとろうと思うと、吸盤で更にくっついて取れない奴、足同士吸盤でくっついているやつ、いろいろである。

下手に口にいれると口の中に吸盤ですいつく、と聞いた物だから、なるべくかみかみ、として食べてしまうようにした。考えてみればちゃんとかまないうちに飲み込むと食道のあたりにすいつかれることにもなっていたかもしれない。味は確かにたこの味だ。それ以上でもそれ以下でもない。しかし確かにこのたこは話のネタになるだろう。

さてそうこう物をつっついたり、話をしている間に、鍋が煮える時間となった。では食べようか、と言ったときに「ところでSBYはどこにいるんだ」という話しになった。ミポリンの携帯を使ってSNDが電話をすると、彼はすぐにつかまった。SNDが「何?車か?」と聞いた瞬間、ミポリンはかけだしていってこの店に駐車場があるかどうかを聞きに行った。しかし実はSBYは車で来ているのではなかったらしく、私はすぐミポリンをとめに走った。

さて話を聞くとどうもSBYは近くまで来ているらしい。ここで携帯はミポリンに渡り、彼女は「迎えに行く」と言い残して再び目にもとまらぬすばやさで階段を駆け下りていった。

あまりの行動のすばやさに残った3人はしばらくあっけにとられていた。しかしまもなく2点の問題に気が付いたのである。今日はとても寒い。しかしミポリンはコートをおいたまま走り去っていた。また彼女はSBYの電話番号もおいたままである。もし再度SBYに電話をつなぎたいときはどうするのだろう。

その点に気が付いた私は(私は)コートをつかんで下に駆け下りた。店をでるところまで、彼女の名前を呼びながら追ったが、彼女はもうはるか遠くの方に走っていってしまっている。あれあれとおもい冷静になって考えれば最近の携帯はたいていリダイアル機能がついているだろう。従って彼女が途中で別の電話番号に電話をしようとしないかぎり(あるいはしても大丈夫かもしれないが)SBYに再度つなぐのは問題なくできるはずだ。そう思いつくと私はふたたたびよれよれと3階まで上がった。

さて鍋はちょうど煮えてよい具合である。私はさっそく食べようかと思ったが、あとの二人は「SBYをまとうよ」と全くまっとうなことを言っている。とはいっても結局まったのか待たなかったのかは忘れてしまった。いずれにしてもSBYはそれからあまり時をおかずに登場したのである。

彼は「いやー。また遅れてしまいました」とか言って私とななちゃんの間に座った。彼はさかんに「いや、あと一本電車に乗り遅れなければ、待ち合わせの時間につけたんですけどね」と言っていた。それから再度乾杯のやりなおし。これでこころおきなく鍋がつつけるというものである。

さて今回はチゲ鍋である。もっとも私はこの「チゲ」なる言葉が何を意味するのか知らない。いずれにしてもなんだか赤い色の辛い鍋である。そしてこの店にくる途中にミポリンがSNDにインタビューして発覚した事実というのが、「SNDは辛いものが苦手だ」という事実なのであった。もっともそんなに辛くなければ大丈夫なのだそうだが。対するにSBYはカレーやでも「5倍の辛さ」などに悠々チャレンジするそうである。メニューにのっていない「20倍?」の辛さにもチャレンジしたそうだ。「どうだった」と聞かれると彼は「辛かった」と答えた。

さてちまちまと鍋をつつくと、最初はあまり辛い気がしない。しかしあとでじわっと効いてくる辛さである。しかし幸いなことに心配していたSNDに食えないほどのからさではないようだ。それからてれてれと箸と会話は進んでいった。

まずミポリンがやたら口元を気にしながら話すのに気が付いた。なんでも歯の矯正をやっているのだそうである。口元をよくよくみると確かにワイヤーがはまっている。私はこの矯正には大変痛い思い出がある。小学校のころにやったのだが、最初の2-3日は歯が痛くて物が食べられなかった。ところが人間なれというのは怖ろしい物で、おそらくそれから1-2年後にワイヤーをはずしたときは、「あら。私の歯はどこに行ってしまったのかしら」と思ったものである。最初は拒絶反応を示した口の中の金具に、体の方はすっかりなれて、「これが歯のことやね」と思いこんでいたらしい。

その話をミポリンにすると、彼女は「あたしはそれほど痛くはなかった。でも違和感がある」ということだった。彼女の話では上は50歳まで矯正をすることが可能だという。ただ未だに彼女より年上の患者さんを見たことがないのだそうだ。50歳から矯正をするという人がこのよにいるのだろうか。仮に70まで生きるとしてもはたして残りの人生で投資が回収できる物だろうか。私は私でミポリンの口元をみていて、「彼女の彼氏は、彼女にキスするときどのような心持ちであろう」と考えていた。

さてこれからしばらくたってのことであるが私が「昭和60年入社(私、COW,SNDはこれにあたる)は変わり者が多い」と発言した。最もSNDは「いやー、普通の人間の集まりだと思っているんだけどな」と言った。

それに対してSBYは「いや、60年入社はとてもよくしゃべる。(ちなみに彼は昭和61年入社である)。こちらが10言えば12くらいかえってくる」盛んに力説していた。彼が少し静かになったころを見計らって私はこう言った。

「おい。この宴会の様子を最初から今までビデオテープに録画していたとして、そのテープを見返してみれば今日一番しゃべっているのはおまえだぞ」

SBYを除く全ての首がその時縦に振られた。彼は「えっつそうですか?」などと言っていたが、彼も真実と多数決の前には勝てない。何が言いたいかというと、彼は今日大変快調にしゃべっていたということなのだ。最初ちょっとスロースタートだった我々の会話は彼の登場とともに大変活気づいた物となった。

そして話題がSBYのものにかたよるのは当然である。まず何の話が元だったか忘れたが、SBYが家を買った話しになった。(前回も書いたが、SBYとSNDは両方とも家持ちである)なんでもSBYは全く家を買う気は無かったのだが、まず家にかかってきた不動産屋の「モデルルームを見ませんか」という言葉にさそわれてふらふらと行った。そしてモデルルームで対応してくれた人の上役まででてきて説得されあっさりと購入したのだそうである。

私は彼のそうした話を聞いて口をぽかんと開けていた。実はつい先日私の家にも「モデルルームを見に来ませんか」という電話がかかってきたばかりなのである。「興味ありません」と言っても「今金利は底値ですよ(ちなみにSBYもこういわれて購入したが、それからまだ金利は1%下がったそうだ)」とか「見ていただくだけでも」とかいつまで立っても話はとまらない。今の会社に就職してからこの業界は「無意味な演説大好き人間」がうようよしている場所であることを知った。もっとも職場の人間関係を損なうわけにはいかないから、まあそうした演説は適度にかわすことにしている。適度に首をたてにふって耳をふさいで訊いているふりがとても上手になった。

とはいってもセールスマン相手にそうした礼儀を守る必要はない。実際彼は私の貴重な睡眠時間をうばいながら自分の口上を述べ立てているのである。私は何もいわずに電話を切った。そして「ああ。このような売り込みにひっかかる相手がはたしているのだろうか」と思わず考え込んだものである。

ところがその「売り込みにひっかかる相手」が今まさに隣に座っているではないか。(別に相手は悪徳業者ではないと言え)「渡る世間は鬼ばかり」というが、彼がこの年まで特に問題もおこさず生きていたという事実は、結構世間は捨てた物ではない、ということを示しているのかも知れない。

さて話はどうしてだか覚えていないが、「SBYが東京に始めて出てきたときにエロ映画を観ていたら、ベレー帽をかぶったおじさんに太股を触られた」という話しになった。この話しになれば私は黙っているわけにはいかない。得意の「ギリシャでエロ映画をみていたら、ホモの爺に太股さわられた」という話からはじまり、「郡山でエロ映画を見終わって、ふと場内を振り返ってみたら、観客席ではホモのラブシーンが数カップル上映されていた」という話を経て「何故私がエロ映画を愛するか」ということまでとうとうと述べだしたのである。

さて私としてはこのホームページに載せる文章の品位を高く保ちたいと思っている。従って痴漢の話しについてはあまり書かない。しかし「何故私がエロ映画を愛するか」という事に関しては品位を落とさずにかけるので、ちょっと書いてみたい。

ちなみに私はアダルトビデオはあまり好きではない。妙な女の子のインタビューなど何の興味もない。しかしエロ映画となるとこれは話は別だ。私とて男であり、おまけにホモではないから、女の子が裸ででてくればそれはとてもうれしい。しかしエロ映画を愛する理由は他のところにある。

それはエロ映画には時としてとても趣味に走った映画がある、という事実なのである。実際私が郡山でみた映画の筋、というはあらかたこうであった。

自分たちの映画を作る、という夢にもえた3人組がいた。その資金を調達するために3人は強盗をやる。そして金はうまくかくして、一人だけが捕まった。何年かがすぎ、その捕まった一人が出所してきた。彼は獄中で映画の脚本を仕上げていたのだ。ところが彼が昔の仲間に会ったところ残りの二人は現実に目覚め、自分たちの映画を作る夢などをすてていた。所詮個人ががんばってもあたる映画はできない、という事を知ってしまったというのだ。。そして逆に自分たちの過去を知っているその男を殺そうとたくらむ。しかし彼は奇跡的に生き延び。。というあらすじだ。どっかで訊いたような話でしょ。

一応エロ映画であるから、Hなシーンもつけたし程度にでてくる。しかしそれは本当につけたしだ。映画の最後は画面が白黒になり、出演者のテロップが流れる、というこりようである。これはまさに映画に凝った青年が作った自主製作映画の世界だ。実際この映画にかぎらず時として「これは映画オタクが作った実験映画ではなかろうか」と思えるような映画にであうこともある。かと思うと「何故このようなわけのわからない脚本が(幼稚園児が作ったような、という意味である)かけるのだろうか」という映画にでくわすこともある。かくのとおりエロ映画というのはまことに見ていて飽きない。妙な内輪受けの世界に走っているアダルトビデオなどそのおもしろさにおいて足下に及ぶ物ではない。

 

さて私がこんなことを力説しているとナナちゃんが助け船をだしてくれた。(内心何考えてのこの男、と思っていたかも知れないが)

なんでもShall we danceで有名になった某監督は以前うれなかった時分にエロ映画の監督をしていたことがあるのだそうである。そして彼はエロ映画であるにもかかわらずまるで小津監督のようなタッチで各シーンを撮っていったらしい。実際今は有名な俳優であっても、昔はエロ映画にでていた人もいるようだ。逆に私はエロ映画の登場人物で、年輩の人などを見ると、こういう人はどういう人生を歩んできて、そしてこれからどういう人生を歩んでいくのだろう、などと考えてしまうこともある。歌の題名ではないが「人生いろいろ」これから何年か何十年か続く生活のなかでどれだけ違う世界のことを知ることができるだろうか。その前に自分の人生を立て直すことが当面の目標だ、という気もするが。

次には各自の年齢についていくつかの神経をすりへらすようなやりとりがあった。その結果、ミポリンのすっとんきょうな叫び声と共に判明したのが「ミポリンと我々はおよそ一つしか違わない」という事実であった。なぜ彼女は驚愕したか?COWは我々の同期である。そして奥様はCOWと同じ年である。奥様はミポリンよりも3つ上なので、「ああ。COWの同期の人達であるこの合コンの参加者は私よりも3つ上に違いない」と思いこんでいたらしいのである。

ところがぎっちょんCOWは確かに我々の同期ではあるが、年は一つ上だ。次にミポリンは4月生まれであるが私とSNDはいずれも早生まれだ。従って学年は二つ違うかも知れないが、実質的な年齢差はほぼ1年なのである。しかしながらミポリンは自分の年齢+3に我々の年齢を格上げして想像していたらしい。

そこから「男の人って若い女の子が好き?」という話題がしばらく語られた。この難問に答えたのはSNDである。彼は「年よりも相手の性格に依存する」と答えた。私は「若い女の子は天下無敵。畏れという物を知らない」と言った。そこから「畏れを感じだしたのは何歳か」という話題がしばらく語られたが、詳細については省略する。

このように穏やかな会話は極端に盛り上がる出なく、とぎれる出なく続いていった。鍋はすっかりからとなり、きしめんも全部たいらげ(このきしめんに関しては、「腰がある」というミポリンのお墨付きだったのだが、まさしくその通りだった)お茶がでても、まだ誰も席を立つ気配がない。

このタイミングであったか、他の機会だったか覚えていないのだが、誰かが「今日のことをホームページに書くの?」と訊いた。私は「いや。もう今日に至るまでの経緯は書いてあるんだ」と答えた。するとミポリンは「えー!ホームページに書くの?」と異議を唱えだした。

彼女が何故ホームページへの掲載を拒んだか?まず彼女が言うには「あたしのこと書くんでしょ。あたしの名前(もちろんホームページ上での名前のことだが)がでちゃう」

このホームページには私の名前を除いて本名は書いていない。ということは彼女は「ミポリン」という名前に文句を付けているとしか思えないが、私が「あなた、ミポリンという名前のどこが不服なの」と訊くと彼女は、、、何と答えたか覚えていない。

次に彼女が言ったのは「だって今日は合コンじゃないじゃない。」であった。では今日はなんなんだ?と尋ねると「チゲ鍋会」だそうである。私には合コンのリターンマッチとチゲ鍋会のどこに境界線があるのか定かには解らない。しかしとにかく彼女はこの文章をホームページに掲載することをいやがっているようだ。だから私は彼女の意志を尊重することにした。

合コンは9時にお開きになった。5人の男女はそれぞれの方向の地下鉄に乗り込みさようならをした。今日はとても寒い。みんな地下鉄の駅をでてから、自宅まではきっとかなりつらい歩きになるだろう。それは私にとっても同様だ。風邪をひいているだけではない。まだ春の訪れは気配すらない。

 


注釈

何故私がエロ映画を愛するか:(トピック一覧)もっともこの信条は大変世間でうけが悪い。本文に戻る