夏の終わり-番外:一年後

日付:1999/9/30

五郎の入り口に戻る


下編

うつらうつらとしながら何度か目が覚めた。途中でスチュワーデスがアイスクリームをくばってくれた。彼女はそれを受け取り私に渡してくれた。それをぱくぱくと食べると私はまた寝てしまった。自分でもどうしてこうもよく眠れるのかと思う。

目が覚めると、2度目の食事がくばられようとするところだった。私はぼーっとしていた。食事がくばられると、彼女がなにかちょっと話した。「Riceはおいしい?」とかなんとか言ったのだろうか。私は30すぎてから、あまり洋食というものに興味をもたなくなってきている。選択肢があれば必ず和食を選ぶ。この日の和食というのは「和食」といいながらも得体の知れないシロモノで、ぱさぱさとしたご飯の横と下にエンドウ豆があり、端には巨大な牛肉のかたまりがある。味は確かに悪くないのだが、はたしてこれは一体なんなのだろう?彼女の質問に対して何をこたえたものやら、と思ったが、とりあえず"Fine"とだけ答えた。

それからしばらくは食事をぱきぱきとかたずけた。食べ終わってぼーっとしているとまた彼女が話しかけてきた。

「よく眠れた?」

私は「ぐーすか寝たよ」と答えた。それからまた彼女との会話が始まった。なんでも首の角度がきになるとかで彼女は飛行機の中では寝られないという。それじゃ今日は大変だね、、と言うと彼女は「今日何があるかもしらないのよ」という。

それから彼女は日本のことについていろいろ質問しだした。移動は何ですればいいか。地下鉄か。混む時間はあるか。それはどれくらいひどいか。等々。

私は「WeekDayの朝晩のラッシュは信じられないような状態だ」と言って彼女を脅した。実際日本に長年住んでいるはずの私でさえも朝のラッシュというのは驚異的な光景に見える。あの中でどうやって人間が生き延びていくのかとても不思議だ。彼女はおみやげとして自分が書いた本を山ほど持ってきているという。

「とても重いし、大きな荷物だから心配」と彼女は言った。

私は今日は日曜日だから大丈夫だと思うよ、と答えた。それから彼女が自分がどうやって泊まる場所までたどりつくか心配しだしたので、「誰か迎えに来てくれる?」と聞いた。なんでも日本の学校の人が二人ばかり迎えに来てくれるそうだが。

それから日本の大学生について話が移った。私は「日本の学生はやたらと授業中にしゃべる」というと彼女は驚いたようだった。私だって長年驚き続けている。しゃべっているくらいだったら講義にこなければいいのに、と学生の間は何度考えたことか。少なくとも私が経験した範囲では、Stanford(の一部の講義)では学生はみな静かに聞いている。彼らはその講義をとり、よい点を取ることに関してちゃんとした動機が存在するのだ。それは就職のさいの条件であるかもしれず、卒業するためもかもしれず、あるいは単に自分が学びたいと思っている内容なのかもしれない。いずれにしてもわざわざ講義にきて他の事をしゃべっているなんてのは私のImaginationの外にある事項だ。

それから日本の学生についてあれこれ話をした。もっとも自分が日本の大学生だったのは相当前の話だから、今の学生にあてはまるかどうかはきわめて怪しい物だが。しかしそんな懸念もなんのその、ちょっと心の中に(本当かな)と思いながらこう言った。

「どこの国でもその中に色々な世界がある。米国でもDetroitとLos Angelsは全然違うし、Los Angelsだっていろいろなエリアがある。しかし日本人の学生の多くが米国に対して持っているイメージというのは、Berverly Hills 90210か、刑事コロンボの世界だぞ」といった。

このBeverly Hills 90210というのは日本では「ビバリーヒルズ高校白書」として人気をとっている米国の長寿ドラマであり、Los Angelsの中でも最高に金持ちが住んでいるエリアを舞台にしている。米国では私が知っている限り日本よりも貧富の差が激しく、エリアごとの格差というのは時々信じられないくらい存在する。道一本違うだけで雰囲気ががらりとかわるなんてのはよくあることだ。

しかし人間すべからく(私も含めてだが)自分から離れたものは一くくりにしてしまう傾向がある。男性は「女って奴は」というし、子供は「大人は」というし、たいていの人間は自分より若い人をまとめて「最近の若い者は」と言い、そして日本の学生は見たこともない「米国」にBeverly Hills 90210のイメージを抱く。そうした安易な一般化とレッテル張り、は人間の本能のどこかに巣くっているものなのだろうか。

そう言うと彼女は「なーにそれ。刑事コロンボはまあいいとしてもBeverly Hills 90210 ? 」と言って笑い転げた。その後「なるほどね。だからあんだけたくさんの日本人が留学に来るわけね」と言った。さもありなん。UCLAはなんといってもそのBeverly Hillsと同じLos Angelsに存在しているのだ。実際Los Angelsを一くくりにするのはかなり無謀なことだと思うのだが。

 

ひとしきり笑った後彼女は自分がつきあっている学生について話してくれた。アジア系やヒスパニック系の移民の子供というのは、親が大変期待を込めて学校に送り込んでいる。だから彼らが選ぶ学科というのは、金になるMBA,Law School、ちょっと下がってEngineeringであり、あまりHistoryなどにはこないのだそうだ。彼女はそのことを大変残念がっていた。さもありなん。移民である両親達がどのような動機付けをもっているかは彼らでなくてはわからない。私にはうっすらと想像できるだけだが、それでも私には彼女が言っている意味が分かる気がした。

 

次に話は日本にもどった。彼女は「日本人は着物を着るの?」と聞いた。私は考えてみれば着物を着たのは成人式の朝に冗談半分で写真をとるためだけに着たことしかない。

そこで私が彼女に話したのは以下のストーリーである。

「日本には1月15日に”成人の日”というのが存在する。これは20才になって社会の一員として認められる日のことだ。女の子の多くはこの日に大抵の場合初めて着物を着る。男は着ない。スーツだ」

そこから数分間私は「成人の日」とは何か?について彼女に説明する苦労を味会わなくてはならなかった。実際あの成人の日というのはなんなのだろう?何をするかと言えば、小学校の体育館に集まり、退屈な話を聞いて、その後旧友と再会できれば三々五々喫茶店にいくくらいのことだ。この「三々五々喫茶店にいく」というのは、どうも米語で言うところの"Party"とは概念がずれている気がする。確か紅白の饅頭がもらえた気もするし、それは私にとって大変うれしいことだったが、それが本来の目的とも思えない。

彼女はその彼女が言うところの"Citizenshipの日”(私の説明を聞いて、彼女はそう解釈した)が1月にあるのは、きっと農家が暇な時期だからだろう、という説をとなえ始めた。私は彼女の理屈に筋が通っていることは認めたが、それが正解かどうかについては態度を保留した。きっとこの日の由来は数百年前までさかのぼるのだが、しかし何故1月15日かは知らないのである。おまけに何年後かには「1月の第2月曜日」かなにかに定義が変更される、といううわさもあることだし。

さて、かくのごとく私が彼女に日本の説明を(冷や汗をかきながら)英語でやっているのは端から見れば変な光景だったかもしれない。外見だけであれば二人とも日本人に見えるからだ。これまで何人かのスチュワーデスが彼女に話しかけたが、日本人のスチュワーデスが最初に話しかけるのは決まって日本語だ。

私は「Stanfordにいたとき、日系の友達が居て、”日本に行くと日本語で話しかけられて困る”となげいていたけど、きっとあなたも日本語で話しかけられるぞ」と脅した。彼女は「それはこまる。私が言えるのは”ワカリマセン”だけよ」と言った。

その”ワカリマセン”はとても上手だったので私はかえって不安になった。もし彼女がNative Speaker of Japaneseでないことをしめしたいのなら”ワッカリッマセーン”とでも発音すべきなのだ。もし相手が彼女は日本語がしゃべれると勘違いしたならば”ワカリマセン”という言葉をどう解釈されるかわかったものではない。私はよっぽど「もうちょっとアメリカ人らしく発音したほうがいいと思うよ。」と言おうかと思ったが、考えてみれば過去に一生懸命日本語を習った彼女にそんなことをいうのは妙な話である。結局だまっていた。

何せ彼女は初めて日本に来るわけだからあれこれ質問が続く。手続きはどうするのか、書類を書く必要はあるのか等々。私はといえば、いつも日本に帰るときは「やれやれ」と思っているからどんな書類が必要かなど覚えていない。それでなくてもいつも日本人として入国しているわけだから手続きも違うだろう。あれこれいったあげく「スチュワーデスに聞いてみたら」と言った。

 

さてそうこうしているうちに、飛行機は日本上空に入ってきた。彼女は通路側の席だから、地上の様子はあまり見えない。空を見て「Los Angelsをでたときのような天気ね」と言った。私の席からは地上がよく見える。そこに見えるのは米国では見たことがない(カリフォルニア米などという言葉があるからにはきっとどこかで生育しているのだろうが)水田である。私は「地面にあるのはちょっと違うと思うよ」と答えた。

 そしてあと飛行が数分となったときに彼女は聞いた。「何かアドバイスは?あなたは日本と米国の両方の文化を知っているわけだから」と言った。

私はその言葉を聞いてなるほど、と思いしばらく考え込んだ。そしてこう答えた。

「日本人は米国人の習慣、考え方により慣れ親しんでいるから、あまり心配はいらないと思うよ。Just be yourself」

最後のBe yourselfは果たしてこういう場面で使っていい言い回しだったかどうか自信がないし、おまけに自分がいつこんな言い回しを覚えたかも定かではない。しかし彼女には私がいわんとするところは通じたようだった。

それから飛行機が高度を下げ、着陸し、そして滑走路を移動していく間、私達はぺらぺらとしゃべっていた。彼女は「今回いろいろ事前の打ち合わせをメールでやったわ。日本から来るメールって表現はすごく丁寧だけど、どこか曖昧で言いたいことが今ひとつわからないのよね。。」と言った。

私は彼女の言葉に深くうなずかざるを得なかった。何故かと言えばそれは他人ごとではなかったからだ。この一年私は元お役所で働き、そのお役所文化-これこそがクラシックな日本の文化である-に悩まされていたからである。彼らは個人の間に壁をつくるのがとても好きだ。そしてその壁の上に愛想のいい顔をくくりつけておき、その壁の内側では密かに相手を罵倒する。かの有名な「ホンネとタテマエ」というやつだ。言いたいことがあれば面と向かって言えばいいと思うのだが、彼らは不思議なくらいにそれをしない。

そうした美しいホンネだけが飛び交う世界だから、発せられる言葉はなんのことやらさっぱりわからない。しかしそのわけのわからない、結論の不明確な言葉が彼らにとってはとても居心地がいいらしい。結論を曖昧にし、判断を先のばしし、責任を曖昧にして彼らはいつまでも無意味な論議を続ける。そのときの彼らはとても楽しそうだ。

私は彼女に言った。「彼らは自分が考えていることをなかなか口にはしない。だから相手のそぶりや、言っていることの微妙な言い回しから言いたいことを察するしかない」

彼女は言った「あなたでもそうなの?まるでESP(テレパシー)が必要みたいね」

私は答えた"Ya, If you wanna say something, just say it!"我々はけたけたと笑った。こうした事は実はどの文化でもちゃんと存在している物で、別に日本の専売特許として世界に誇れるようなものではない。単にその程度がちょっと違うだけだ。どちらが正しいとか間違っているとか言う話でもない。ちょうど「時計の進み、遅れ」のように。自分の時計は常に正しいのだ。しかしそれが私にとって違和感があるものであることも間違いない。

私は彼女が今までどのようなやりとりを日本側としてきたか、そしてこれからすることになるのかについて少し思いをはせた。そしてさっきの彼女の質問「何かアドバイスは?」に対して、「辛抱強く。respect other cultureというのはどういうことか考えて」とでも答えればよかったかな、と思い始めていた。-結局口にだす時間がなかったが。

 

飛行機はターミナルに到着したようだ。シートベルト着用のサインが消えて、みなが立ち上がり荷物を下ろし始めた。彼女は自分でちゃんと荷物を下ろした。私はその様子を見ていたが、手はださなかった。彼女はとても自然にそれをしていたから。

そこからは長い長い通路である。彼女は途中で「ねえ。税関とおりこしちゃったんじゃないかな?」と心配そうに聞いた。なんでも今まで他の国に行ったときはいつもすぐに税関とか入国審査につきあったのだそうである。私は「まだみんなこんなにぞろぞろ歩いているから、大丈夫じゃない。。ほらサインがでてるでしょ」と言った。

まもなく入国審査だ。ここで彼女とは一旦わかれる。私は日本人だし、彼女は米国人だ。一人になるとBaggage Claimに降りていく。私の同僚が待っていてくれた。彼女は荷物をあずけていなかったので、もう税関をくぐればおしまいだ。私は「ではまた明日」と言って彼女と別れた。

くるくる回る荷物のなかから自分の荷物をとりあげると、私はしばらくあたりを見まわした。彼女は何度も「あたしの荷物は大きいし、おまけに本がはいっているから重いの」と心配していた。なんでもこうした折りには自分が書いた本を訪問先の数だけおみやげとして持っていくのが習慣だそうである。皮肉なことで、たくさん本を書いていればいるほど、その旅行は苦痛になる仕組みだ。本がたくさんつまったスーツケースを持ち上げるなんてのはだれにとっても大変な仕事だ。

きょろきょろとすると彼女が居るのに気がついた。私は彼女のところに行き「荷物はまだ?」と聞いた。

待つこと数分。彼女が「あれよ」と言った。見ると確かに大きな黒い鞄が流れてくる。私はそれをよっこらせとターンテーブルから持ち上げようとした。その瞬間気がついた。これは確かに重い。彼女はいったいこれをどうやって自宅から空港まで運んだのだろう。

彼女は「この鞄につける車輪ってのは偉大な発明よね」とかいいながら荷物をかかえて歩き出した。あとのこるゲートは税関だけである。私は「にこにこしてパスポートだせば大丈夫だよ」と言った。

自動ドアをくぐるとお出迎えの人が並んでいる。私は彼女に「出迎えの人は何か目印を持ってる?」と聞いた。彼女は「わかんないけど、ちょっと見回してみましょう」と言った。そこからうろうろし始めたのだが、さすがにそのスーツケースのとり回しは大変そうだった。私は「それ運ぶよ」と言い、彼女は"Thank you "といった。

横に広く並んでいる出迎えの人たちの前を歩いていく。時々色々な国の人の名前を書いたプレートや紙を持った人が立っている。なるほど、確かにこうした場合相手の見つけるのには便利かもしれない。相手がちゃんとこうやって名前をもっていてくれればいいのだが、、、そう思ったときに二人連れの女性がこちらを向いて声をあげた。どうやら彼女たちが出迎えの人らしい。手には彼女の写真のプリントアウトをもっている。あれはUCLAのホームページからとったものだろう。

私は彼女たちの挨拶が落ち着くのを待って「初めまして。たまたま隣に座った大坪ともうします。彼女といろいろお話させていただいて大変たのしかったです」と挨拶をした。

さっするに彼女たちは車で来ているようだった。となれば彼女が心配していた「電車の乗り継ぎ、ラッシュ」もとりあえずは避けられるわけだ。出迎えのうち一人はさっそく大きなスーツケースを彼女の手からひったくって(これは私の主観的な表現だ)運ぼうとした。もちろん彼女は「いいわよ、自分で運ぶ」と言ったのだが。

その光景をみながら、彼女がこの先どんな経験をするかを考えた。私が知る限り、客人の荷物を出迎える立場の人間が持つ、というのは日本の文化において非常に重要なことのようである。もっとも望ましいのは、

「荷物をおもちします」

「いやいや、そんなことをしていただかなくても」

「いやいや、おもちします」

「いやいや」

と数分の間、「いやいや」を繰り返し、荷物をお互い引っ張り合った後に「では」といって出迎えの人間に荷物を渡すことのようだ。

私は生まれも育ちも日本であり、かつ日本の文化を大変愛しているのだが、どうもこれにはなじめない。自分で持ちたければ持つ。助けが必要ならば頼む。相手が助けがほしそうにしていれば助力を申し出るが、相手が不要といえば、ひきさがる。素直に言いたいことを言えばいいと思うのだが、どうもこれはあまり好ましからざる思想のようだ。

さて、私が彼女と数時間話しただけで推察したところによると、彼女はたぶん自分でできることは自分でしたい人のようである。しかし日本の文化では相手が出来る出来ないにかかわらず助力をすることが時には親切の証となる。相手が自分で鞄を運べるとしても、その鞄は出迎えた人間が運ばなければならない。酒だって大抵の場合は自分でつぐことができるのだが、とにかく相手につがなくてはならない。おまけにその順番まで気をくばらなくてはならない。私は個人的に自分の酒は自分で飲みたいだけつぐ「手酌システム」が大好きなのだが。

彼女はこれからそうしたCultual Differenceにいくつも直面することであろう。しかしそれは彼女が乗り越えて理解をしなくてはならない事柄だ。そして私にとっても。

私は"Enjoy stay in Japan "と言ってにっこりと笑って手をあげた。私は電車で帰るので彼女たちとはそこで別れた。

 

それから私は一人で電車にのった。これから千葉にある空港から東京都を横断し、横浜まで長い長い帰り道である。

私はここしばらく経験したことがないほど、何かほっとした気分になっているのに気がついた。彼女との会話は楽しかった。

たとえば彼女と映画の事を話した。彼女は学生とコミュニケーションを図るために映画を欠かさずチェックしているのだそうである。なんといってもLos Angelsは映画の都Hollywoodがあるところだ。彼女と私の映画に関する評価は奇妙なくらい一致していた。Star Wars - Episode Iについては「Special Effectはすごい。でもStoryはいまいち」で意見は一致したし、Austin Powers - The spy who shagged meに話が移ったときは、"That is totally stupid. I love it"と言って二人で大笑いした。私はこのアメリカ流ばかばかしさの権化ともいうべき映画が大変気に入っていたのである。

実は数日前、カリフォルニア支店の人間と昼食を取ったときにこのAustin Powersの話題を持ち出したのである。しかし10人ばかりいたなかでこの映画を観たのは私ともう一人だけだった。当然のことながら全然話はあわなかった。

私は自分が意図したわけではないが、どこかアメリカ生活の中でアメリカ文化の影響を受けたようである。しかし私は同時に米国駐在を拒否し、そのために会社を辞めた人間でもある。「和をもって尊しとなす」の日本の文化を愛しているし、「戦い」を基調とする米国に長い間住みたいなどと一度も思ったことはない。なのにこの数日間私はClassicな日本企業の文化に悩まされ、米国人との数時間の会話がとても楽しく感じた。

私の頭の中に浮かんだのはまた荘子からの一節である。

「それに、君は、あの寿陵の町の若者が趙の邯鄲まで出かけていって、そこの歩き方を学んだと言う話を聞いたことはないかね。彼はその国のやりかたを会得できないうちに、そのものと歩き方も忘れてしまったので、四つんばいで帰るほかなかったという。」

 

それから数日間不思議なくらいご機嫌にすごした。こうしたテンポがあう会話ができたことは本当にひさしぶりだったのである。しかしそれも長くは続かなかった。日本にもどって4日目。ある講演会にお招きした講師先生のアテンドをした。本当のアテンドは私のBossであり、私は文字通り「鞄持ち」をした。彼は私よりも体格がよく、それまでに二件ミーティングをこなしてきたが、それでも私よりは元気そうに見えた。もちろん物理的に彼が鞄を運ぶのに何も問題はない。しかしClassicな日本文化ではGuestには絶対鞄を運ばせてはならない。講師先生とBossが展示会の会場を歩いている間、私は3歩下がって鞄を抱えて黙って歩いていた。

講師先生がTaxiに乗ってお帰りになると、Bossは私の方を見もせずに懇親会-宴会-の会場に向かい始めた。鞄持ちをするのは当然の仕事。それに声などかける必要はさらさらない。これがClassicな日本企業で働くということ。私も邯鄲の歩みをかいま見ることさえなければこうした日本文化に触れても平然と「先生ありがとうございました」と頭がさげられたのだろうか。

 

それからは彼女と話して少しの間味わえた自由な楽しい気分もどこへやら、もとの生活に戻った。元いた場所の歩き方を忘れ、別の場所の歩き方もマスターできず、四つんばいではいまわる生活に。


注釈

非常に重要なこと:私がこの事実に気がついたのは、私と弟が米国に居たときに、両親が旅行に来たときかもしれない。ヨセミテへのツアーから帰ってきた両親を出迎えに行った私に、父は当然のように「ほい」と言って自分がもっている荷物を差し出したのである。私はショックを感じ、しばらくの間不機嫌だった。その荷物はそれほど重い物でもないし、父はそれを運ぶのになんの不自由も感じているように見えない。では何故私が当然のように運ばなければならない?しかしその後注意深く観察した結果からすると、私はやはりあそこで自分から進んで荷物を持つべきだったようだ。本文に戻る

 

このAustin Powersの話題:(参考文献参照)何故この映画を話題にしたかと言えば、Starbuccs Coffeというコーヒーのチェーン店(最近は日本でも繁殖しているが)に話題が及んだからである。映画の中では悪役がこのStarbuccs Coffeのボス、ということになっている。本文に戻る

 

アメリカ文化の影響:この前の週にカナダのベンチャー企業の人間と話していたとき、最後にいきなり相手にこういわれた。

「どれくらい米国にいたんだ?」(私が米国にいたことがあることは話していなかったのだが)

「3年くらい。何故わかる?」

「そうだと思った。いや別に英語のアクセントのせいじゃないんだけど、なんか雰囲気がね」本文に戻る

荘子からの一節:外篇、秋水篇の中の有名な挿話。本文に戻る