題名:流されて

五郎の入り口に戻る

日付:2002/3/1


乗船

2月5日の火曜日、私は机の前であれこれ考えていた。今週末は3連休だ。何をしよう。正月というか昨年末から仕事の関係でやたらと休日出勤やらなにやらしていたからこの3日は何があっても休むぞ。しかもただ眠り続けるだけではなく何かをするのだ、などと意気込みだけはあるのだが、さて何をしたものやら。

季節柄あたりまえと言えばあたりまえなのだが大変寒い。であるから、なんだか雪深いところに行ってみたい気もする。もっと若いころならスキーとかいうことを考えたのだろうが、この年になるとそんなことは考えもしない。窓の外にふる雪を視ながらだらだらとしたい、などと考えるわけだ。

それとともに私の「夜行列車好き」という習性も何かと頭をもたげてくる。では一発夜行列車で北の方になどと考える。ところが具体的に青森とか函館とかいう文字を視ると駅から旅館までの間の凍えるような寒さがリアルに想像され、一気に意欲がうせる。さっきまでご機嫌に思えた

「雪をみながら部屋のなかでのんびり」

構想もどこへやら。では南のほうはといえば、去年の夏鹿児島まで特効記念館と、カツカレーを探訪しにいったばかりだ。あの旅行は楽しかったが数ヶ月しかたたないうちにまた行きたくなるというわけではない。ではどうしたらよいか。

ここでいきなり思考が飛ぶ。私はいつも京浜急行という電車に乗って通勤している。その改札口に時々でている「金谷航路欠航」とかいう札がぽっと頭に浮かんだ。そうだ。船旅はどうであろう。

そう考えるとあれこれ調べだす。この金谷航路とかいうのは東京湾を横断してはいおしまいらしい。となると私の目的からするとちょっと短すぎる。もっと遠くに行きたいのだ。では東京都の島はどうだろう。いつも駅に「大島」とか大きく書かれたツアーのポスターが貼ってあるではないか。

インターネットであれこれ調べてみると大島は日帰りも可能なようである。しかしせっかく3連休なのだから日帰りではもったいない。ではもっと遠くはと思うと新島、敷根島とかいう文字が目に入る。思えば新島に仕事で行ったのは私が22とか23のころであったか。若かったなあなどという感慨に浸っている場合ではない。悪くはないがもう少し遠くはと思いみてみると三宅島がある。しかし航路の時間表はなぜかブランクのまま。考えてみれば全島避難が続いているのであった。さらに南はと視ると八丈島という文字が目に入る。八丈島と言えば、よくは知らないが罪人が流されていったところではないか。それに島も大きそうだ。大きいと何がいいのだか自分でもわからないが、とにかくここにしてみよう。

そう思うとあれこれ調べ出す。東海汽船とかいうのがでているようで、東京を夜にでて翌朝つくようだ。よしこれに乗ればなんとかなるだろう。それだけの目星をつけて翌日会社が終わった後さっそくJTBに行ってみる。

相手をしてくれたのはお姉さんだが、あきらかに八丈島のことについては何も知らないようだった。私がインターネットで知り得なかったことを聞くと相手も一生懸命ファイルを視たり電話をかけたりしている。なんでも二等、特二等、一等、特一等、特等とかグレードがあるらしいのだが、それが何を意味するのかわからない。最初個室があれば、などと思い聞いてたら、どうやら個室とは特等のことで2等船室の3倍の料金がかかるそうだった。加えて一つ等級があがると値段が三〇〇〇円ずつ増えていく。では特一等は何かと言えば、簡単な寝具がつくくらいでどちらにしても雑魚寝だという。それでは二倍も三倍も金を払う意味はなさそうだ。私は雑魚寝の二等にした。

宿の手配もしてもらってその日はおしまい。帰ってまたインターネットであれこれ検索する。すると東海汽船のサイトに、船室のグレードから写真からついていることがわかった。いつも旅行代理店にいくとあやしげな端末をぽこぽこたたいているが、そのうちWebが閲覧できる端末も併せて使うようになるかもしれん、などと妙な感慨にふけっているうちに別の懸念が頭をもたげてきた。この島の中で移動はどうすればいいのだ。バスは一応存在しているようだが、あまり本数が多そうではない。となるとレンタカーか。そう思いレンタカー屋をあれこれ探し出す。何の根拠もなくそのうちの一軒に電話をし、予約をした。あとは出発するばかりである。

 

パソコンディスプレイの電源を落とすと人目を避けるようにして出口に向かう。不幸がふってこないうちに逃げなくてはならない。しかし今日に限って言えば多少残業したところで問題はないのだ。船が出発するのは一〇時半。通常の就寝時間の一時間後である。それまで何かをして時間をつぶさなくてはならないから映画でも見ようとは思っていたのである。お正月映画も一段落し、いろいろ新作が公開されている。あれもれこれも観てみたいとなればこの時間を有効活用しない手はない。

しかし仕事の後というのは何かと疲れており、また気が滅入っている時間でもある。そうした気分は映画の選択にも微妙な影響を与える。何を観ようとしても

「これはさらに気分が滅入るのではないか」

とか

「なんだか疲れそう」

とか考えだし、別の映画館に足を向けたりする。三カ所ほどの映画館をぐるぐるしたあげく、ある映画を観ることにした。映画が始まるまでは「なんだかなあ。観ると疲れそうだなあ」などと何の根拠もなく考えていたのだが終わってみたら何のことはない。感動も涙もなにもなくでたのはあくびだけだった。まあしかしこれで心残りは一つかたずいたことになるし、時間もちょうどよい具合。というわけで電車にのり竹芝桟橋に向かう。

その昔新島に行ったときはどうやって行ったか全く覚えていない。ぎりぎりの時間まで名古屋で残業をして(それまでも休日出勤と残業のオンパレードだったが)新幹線にとびのり、一緒に行く人間とともにだいぶあるいてこの桟橋についたことだけは覚えている。しかしいつしかここもずいぶんときれいになったようだ。ちゃんと比較できるほど昔の光景を覚えているわけではないのだが、こんなにかっこいい建物がたくさんなかったことだけはたしかだ。それに「ゆりかもめ」なる新交通システムもなかったし。

そう思い乗船手続きをするとおぼしき建物に入ってみるとすごい人である。何の根拠もなく

「まあ冬に島に行く人なんてあんまりいないべ」

と思っていたのだがとんでもハップンである。何人か台に向かってなにやら書いているから用紙があるのかな、と探してみたが見つからない。しかたないから乗船手続きの窓口にいってチケットをだしたら紙をくれた。いわゆる乗船名簿というものらしく、船が沈没したらこれを使いニュースで「行方不明者のリストです」といって放送するのだろう。それも記入してしまうとしばらく暇である。

そこらへんにこしかけてあたりを見回す。そのうち大島行きの船がでると言うと人がぞろぞろ動く。大きな板を持っている人はサーファーとかなんとかそういう類の人たちだろう。なんだか細長いケースをもった人たちもたくさんいる。あのケースはなんだろう。形状だけから言えば中に銃でもはいっていそうだが、しばらく考えた末にあれは釣り竿ではなかろうか、という結論に達した。そう思うとそのケースを持っている人はクーラーボックスも一緒に持っている気がする。

大島行きの船がでてしまうと待合室はすいてくる。私はふらふら歩いているうちにあることを思いだした。明日は八丈島泊まり。ということは、私の数少ないモットーである

「毎日更新」

を絶やさないようにするためには、なんらかの方法でインターネットにアクセスする必要がある。しかし使っているプロバイダのアクセス用電話番号がわからない。会社でいくらでも調べる時間はあったのにそうした大事な事をすっかり忘れているのが私の私たるゆえんである。パソコンの中に残っていた情報を元にアクセスを試みるがうまくいかない。しょうがないから実家にいるときに設定しておいた「名古屋のアクセスポイント」に接続してみると見事につながる。しかしテレフォンカードの度数は気持ちよく減ってくれる。東京のアクセスポイントを調べたところで(そう。八丈島は東京都なのだ。そして八丈島だけで使えるアクセスポイントなどはやはり存在していない)接続が切れてしまった。まあこれだけ知ってればなんとかなるか。

などとやっているうちに私が乗る船の名前がかかれた看板ができ、人が並び出す。最近全席指定になったそうだから別に急ぐ必要もないのだろうが人がぞろぞろ並ぶ。その列が動き出したところで私も腰を上げた。

船の手前でさっき記載した乗船名簿を集めている。その中に「チケット番号」という欄があり、JTBでもらったチケットに記載されている三種類の「チケット番号らしきもの」とのどれが正解なのだろうと迷った末に適当な番号を書いた。「これちがってますぜ」とか言われたらやだなあとか思っていたがそんなことは何も観ないでチケットは集められる。「ちゆ。女性。一二才」とか書いておいても問題はなさそうだが、もし船が沈没したとしたら、一部のコミュニティに皮相な笑いを巻き起こすだろう。

舷側にはなにやら丸い物がぶらさがっている。これは爆雷ではなく救命ボートのはずだ。二等船室は一番船底とのことだが、まさか一等船室との間に鉄格子があるなんてことはないだろうな、というのは映画タイタニックの記憶が残っているから。などと考えているうちに列はすすみそのまま何も考えずに進んでいくと私の割り当て「席」についた。六二五番である。

見ると絨毯のようなものがしきつめられた広いエリアに畳一畳弱の大きさがテープでマークされている。これが席であり、ちゃんと625という番号がついている。船内アナウンスでは「出航後に移動していただいても結構です」などと行っているが確かにあいているエリアも多い。私の隣には男性がおり、その隣にはさらに男性がいて、このままだと男三人顔を突っつき会わせて眠る、という大変うれしくない状況に陥ってしまうのだが、まあ移動すればよかろう。あたりを見回すと妙齢の女性ふたり組とかいうもの結構いる。彼女たちも一緒にごろ寝である。寝台列車の二段ベッドなどはこれに比べればはるかに

「プライベートな空間を演出する」

仕組みに思える。○○重工の独身寮でさえ個室が標準となったこのご時世にこうした雑魚寝構造がそのままなのには何か理由があるのかもしれないが私には解らない。

そのうち船は出航したらしい。船内アナウンスがそう告げるから解るだけで別にゆれたり振動がはげしくなったりするわけではない。そのうち別のエリアに移動した。今度も一番通路側。高さ30cmほどの壁際である。その昔

「ゴキブリは壁に体の一部がふれていると安心する。だからいつも狭いところにいるんだ」

と聞いたが読んだかしたことがある。それが本当かどうか知らないが私はきっとゴキブリの血を引いているに違いなく、とにかく壁際が好きなのである。

一枚一〇〇円で毛布を借りるが周りを観るとみな二枚借りて、下に一枚引き、上に一枚かぶっている。をを。あれはいいしくみだ。一枚だと寝にくいかなあ、こんな雑魚寝状態でちゃんと眠れるかなあ、どっかで赤ん坊の泣き声がする。うるさいなあ、などと考えているうちに寝入ってしまった。

夜中に二度ほど目が覚めたが、三度目に目が覚めたときに起きあがった。財布をつかむとごそごそと歩き出す。時計を観ると午前七時前。目的地は決まっている。昨日の晩みつけておいた

「二四時間営業スナックコーナー」

に行ってカレーを食べるのだ。そう。基本はカレー。

海は静かに見えるのだがかなりうねりがある。スナックコーナーに行くと何人かがぼんやり座っている。空の半分は曇り半分はほのかに赤くなっている。しかし今は風景に見とれるよりカレーなのだ。自動販売機に金を放り込み冷凍された皿を取り出す。レンジにいれればはいできあがり。さっそく食べてみるとまあまあおいしい。昨今のこうした冷凍食品の進歩は実に偉大だ。実家で私に冷凍食品を出すとき必ず母は必ずこのことを強調するが、実際おいしいのだから問題はない。

さて、カレーを食べている間も船は時々ぐーっともちあがったりぐいっと落ちたりする。そのうち妙な脅迫観念が生まれてきた。私は船酔いというものをすっかり忘れていたのだが、こんなものをぱくぱく食べて大丈夫なのだろうか。気持ちが悪くなったりはしないのだろうか。他には「今川焼き」の販売機もあり、思わず硬貨をつっこみそうになるのだが、ぐっとこらえる。

その昔読んだ「どくとるマンボウ航海記」の一節が頭によみがえる。とにかく酔ったときは寝てしまうしかないのだ。部屋、というか雑魚寝エリアに戻り毛布をかぶる。その間も船は順調に揺れてくれる。暗い船室の中自分が酔うのではないかと考え続ける。そういえばあの本には船に酔いやすいエジプトの役人の話がでてきたなあ。しかしその男であってさえ、凪の時は甲板にでて写真などとっていたとのこと。果たしてこの状態は凪なのだろうか。さっき外にでて観たとき別に波とか見えなかったもんな。じゃあきっと凪だ。そうに違いない。しかし揺れるな。

そんなことを考えていたらまた寝入ってしまったようだ。思うのだが船の揺れというやつは私にとって睡眠を促進する作用があるのではなかろうか。その昔新島に行ったときは、仕事疲れもあったのだろうが、とにかく船室に入った途端「ぱたっ」と寝て、そのまま船が到着するまで寝続けた、という記憶しかない。昨日この雑魚寝部屋を観たときは「こんなので眠れるのだろうか。眠れないと翌日にも差し支えるなあ」と思った物だがそんな心配はどこへやら。ふと気がつくと「もうすぐ八丈島に到着です」とかアナウンスがながれている。昨日の晩泣いていた赤ん坊はまた泣いている。そのうち人が動き始めた。荷物をもって下船である。

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注釈

 ある映画:「プリティ・プリンセス」-原題the princess diariesである。本文に戻る