題名:Java Diary-47章

五郎の入り口に戻る

日付:2004/5/5

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GLBrowser-Part8(Ver X)

11月最後の週になるとあれこれデモ用の準備を始める。説明を適当にでっちあげ、プリントアウトする。

「ああ、なんだかあれに似てますね」

と言われたときの為に、知る限りの類似システム画面をプリントアウトし違い(と本人が考えている物)を説明できるようにする。(しかし結果からみればこの「知る限りの類似システム」は的はずれだったのだが)その説明をはりつけるための画鋲をそろえ、インターネット接続ができなかった場合にそなえ携帯電話経由で接続できるようにアダプタなど購入する。デモ案内には10−20mのイーサネットケーブルを自分で用意すること、とあるので会社にある一番長いケーブルを借りる。それだけで足りるかどうか不安なので家にある一番長いケーブルも持って行く。などとあれやこれややっていくと荷物は結構ふくれあがる。しかしまだ一人で運べる範囲だ、というわけで自分で担いでいくことにする。

「何!荷物がついていないって!」

とか当日青くなるのはいやである。

デモプログラムのほうはすっかりデータ収集もできて、デモの90分くらいは間が持たせられるはずである。

そうこうしているうちにデモプログラムが発表になる。題名一覧を観れば確かに私の名前が。しかしそれと並んでいる名前を観ていると血の気が引いていくのがわかる。これが5年前だったら新しいブラウザの提案、というのは新しかったのかもしれない。しかし今やインタフェースにおける感心は狭いディスプレイを飛び出したところにあるのだ。感性、五感、実世界指向という言葉が活発に語られているとき、「新しいブラウザでーす」なんてのはあまりに時代錯誤ではなかろうか。他のデモのタイトルを観ているとそうした事実に今更のように気づかされる。

自分でPowerbookの画面に向かい、あるいは社内で見せている時には「結構いいかも」と思っていた。しかしこうして外の空気に触れてみるとその幻影がいきなり色あせてしまうのがわかる。どうしようどうしよう。見た人みんなに鼻で笑われたらどうしよう。とはいっても今更なんともならないし。そうだよなあ。みんな一生懸命研究した成果をデモしにくるんだよなあ。俺みたいに通勤電車の中、ひざの上でちょろちょろ作ったプログラムをみせるなんてのは不遜の極みということかもしれん。デモプログラムのページを閉じると極力観ないようにする。

一日月曜日はそんなことばかり考える。二日になるともっていくべき荷物をあれこれ袋に詰める。いきなりシステムがぶっとんだ時のことも考え、プログラム一式もCD-ROMに記録していく。最悪の最悪の場合も考え携帯電話と接続ケーブルももっていく。Ethernetのハブに長い長い毛ブル。結構な荷物になる。荷造りをしている間不安だけが頭をよぎる。これ持って行って鼻で笑われたらやだな。いやまあひどければ誰も曖昧な笑みを浮かべておしまいにしてくれるよ。くだらないものをわざわざ罵倒しようと言う物好きはいない。いやいるかもなあ。

いつまで考えていてもしょうがない。とりあえず今できることはここまでだ。私は「それでは皆さんさようなら。またいつか会いましょう」(私が退社するときのいつもの挨拶だ)といい会社を出る。

明日からお父さんいましぇんからねえ。きっと君はお父さんの顔を忘れるでしょう。などといいながら子供の相手をする。晩ご飯を食べ終わりお風呂にもはいった。あと24時間後たてばデモも終わり宴会の時間か。能登半島のどこかで

「ばーろー」

とか言ってやけ酒あおってるかもしれんなあ。情けないお父しゃんでごめんなあ。とはいってもそう口に出すわけではない。などとうだうだしていてもしょうがないから寝る。

翌朝いつもと同じ時間-5時50分-に家を出る。新横浜から新幹線にのるとくってっとねる。乗り換えたりしながらほとんど寝ているうち金沢に着く。羽咋が目的の駅だが、そこに行く電車の車内は雰囲気がどこか異様だ。なぜならWISSの参加者ばかりだから。指定席に座ってふと隣を観ればヘッドマウントディスプレイをつけた人が。

「ども」

と挨拶をする。この一年で言葉を交わせるようになったのだ。「大坪さん。デモされるんですよね」と言われる。びびった私は「いや、小ネタをちろっと」と答える。萎縮しているのである。

そこから始まった出来事を全部書いているといつまで立っても終わらないから大幅に省略する。今年は「へぇー」ボタンが登場し、発表者の説明に絶妙のタイミングで「へぇー」がはいると場内に爆笑が起こる。いったん休憩になったところで、デモ会場に案内される。広い宴会場のような場所に机がおかれ、説明用の紙をはりつける板が用意されている。ここまでくればもうなんのかんの言っている暇はない。まだ時間はあると思うのだがしょこしょこ準備を始める。同じく準備を始めた人たちの様子を見れば、私のようにA4の紙にちょろっと説明文書を印刷してきた人はおらず、B紙(これは名古屋の方言。関東では模造紙という)にきっちりと説明を印刷してきた人ばかりのように思える。またノートパソコン2台並べて悦にいっているのも私だけ。他の人が持ってきた機材の量は圧倒的だ。ああ、そうだよなあ。やっぱり世の中は実世界指向だよなあ。パソコン画面に閉じこもっているのは時代おくれか。。などとくだらない事を考えている暇があればとにかく手を動かす。紙をぺたぺたはり、LANのケーブルを設置すると(これが届かないというのはここ数日私を悩ませていた悪夢だったのだが、楽に届いた。)インターネット接続を確認する。ちゃんとつながっているようだ。これでここ数日私にとりついていた悪夢は3割方消滅した。しかし机の上に行儀良く並べられた2台のPowerBookはとても小さい。巨大な段ボールからわらわら取り出されるあの機器の山は、、などと考えている暇があれば準備だ。といってもそんなに出す物はないからあっというまに終わる。ソフトも動いているようだ。これで「いきなり現地で再インストール」も必要なさそう。悪夢も一割減。暇になったから会場の床をはっているケーブルにテープをはるのを手伝う。

それも終わり暇になると会場に戻る。まだ発表が続いているがこれが終わればデモの一分間紹介がある。何をしゃべったものか、というのは3日くらい前からあれこれ考えている。なんせ一分におさめねばならぬからぺらぺらとしゃべらなくてはならない。電車の中密かに練習してみるが視線を宙に浮かし、口をもぐもぐしている中年男性の姿は周りの乗客に形容しがたい恐怖を与えたのではあるまいか。

間もなく発表は終わり、デモ紹介タイムとなる。順番にならび一人ずつしゃべる。私は

「○○(私の所属名)の大坪と申します。本日は検索エンジンのインタフェースを作って参りました。。」とぺらぺらしゃべる。最後にボケをかましたところで会場に笑いが起こる。それでこちらはほっとする。紹介が一通り終わるとデモ会場に戻る。15インチの方をメインに使いAutoでノードがゆらゆら動く姿を見せておき、ぺらぺら説明すればいいだろう。そんな目算の元デモをスタートさせたり「まだ早いから」とストップさせたりする。周りでは皆デモの準備に忙しい、私だけかと思っていた「説明用のポスターはA4の切り貼り」という人も他にいることがわかり少しほっとする。

観客というか人がはいってきた気もするが、私のところには誰も来ない。これは呼び込みでもしなきゃならんかな、と思っていると学生さんが一人立ち止まって看板を観ている。

「ご説明しましょうか?」

といってぺらぺらしゃべる。すると相手は心のそこからかあるいは説明されたのでやむおえずか

「確かにこういうWebの使い方もあるかもしれませんね」

と言う。貴重な意見だからと私はそれを書き留める。その女性がいなくなるとまた少し暇になる。ふときがつけば男性が紙をながめている。おなじく「ご説明しましょうか?」というと相手は少し口ごもる。英語でいいですか?と言われるからSureと答える。

そこから久々の英語での会話が続く。問題は相手もこちらも英語が上手でないことだ。相手の断片的な言葉から意図を推測し、でたらめな英語をなげつける。相手はまたよくわからない事を言う。こんな調子でコミュニケーションが進むわけがない。お互い不思議な言語でぎゃーぎゃー言っている間に人があつまりだした。これは別に英語でのわめき合いに興味を引かれた人が集まったわけではない。

それからデモが終わるまで私はほとんど休まず質問の答えたり説明をしたりしていた。最初はちょんちょん触っているだけだった人たちも椅子に座って自分であれこれ操作しだす。結局山ほどたくわえてきた自動運転用のデータはほとんど使う機会がなかった。この場所に来ている人の中には何人かその方面での有名人がいる。その人達が

「これはおもしろい」

といいながら現れる言葉をつんつんクリックして使っている。それが私にはとてもうれしいことだ。最初に何をいれればいいのか、みんな迷うようだが

「最近(デモが始まってからという意味だが)のトレンドは自分の名前からスタートすることです」

などと適当な事を言う。以前に少し話した事がある人が来ても運が悪いとその人に挨拶をすることもできない。このソフトを作るきっかけになった研究会を主催した人。それにmemoliumの作者がふたりつれそってやってくる。彼らが何か口を開く前に

「いや、ここにお二人の名前を書いておくべきでした。元はといえばあの研究会での質問からヒントをえたのですから」

と言う。研究会を主催した人は

「これ使わせてもらえませんかね」

という。私はもちろんOKです、という。加えてMac Onlyですがよろしいですか?と聞くと相手は

「なーんだ。一気に使う気がうせた」

と言う。

そのほかにも「なんとかこれをJavaにしてWindowsでも使えるようにしてもらえませんかね」という要望はずいぶん聞いた。ああ、やはりMacintoshはマイナーなプラットフォームなのね。しくしく。などと泣いている暇もない。ある大学の先生が「これはおもしろい」といってずいぶん使っている。

「これを仕事でやられているわけですか?」

と聞くので「いや、うちの会社ではこういうのは仕事と思ってもらえないんですよ。ですから通勤電車の中で開発してます」と答える。(以下会社への愚痴が37万8千576行続くが省略)「デザイン関係の方ですか?」と二人ほどに聞かれる。いや、一応エンジニアの端くれだと思っているのですがと答える。図画工作とか美術の成績は全く不振を極めていた私がこんなことを言ってもらえるとは。(一週間後このことを私は得意げに母に報告することになる)

「もうデモは終わりです」と声が響くがまだ人はやってくる。そのうちふと人がいなくなった。あれ、おしまいかなと思うとまだ他のブースには人がいる。そのうちある人がやってきて

「いくつか似たシステムがあるけど、違いはどこだろう」

と言う。いや、実はあまり考えてないんですよと本音を吐くが相手は静かに考え続ける。言葉が円形に広がっていくけど、一次元のリストで出したのと何が違うのだろう?実は作っている最中にそれは気になっていた。おれは言葉の配置アルゴリズムなんか作っているけど、別にリストに配置すれば同じ事じゃないかと。そのうち相手が「関係ない枝にある二つの言葉でand 検索ができると意味があるかもしれない」私はなるほど、と思う。例を言いその機能実現を検討すると言葉にだしたかどうかは覚えていないが決心する。

また人通りが途絶えたあと、少し前にずいぶん熱心に使ってくれた学生さんが来た。「これからこのプログラムはどうされるつもりですか?」と聞かれたので、デモの間いろいろもらったSuggestionについて記憶の限り(紙に書き留めておく暇はなかったのだ)しゃべる。Javaにのせること。写真を起点とした検索もできるようにすること。二つの言葉を結合した検索が可能なようにすること。そして公開すること。すると相手はこう言ってくれた。

「初めてインターネットに触ったときに感じた面白さ、興味深さを思い出させてくれた」

このあと晩ご飯。中国からきた留学生の女性と日本語と英語をまじえ楽しく会話させてもらった。その後は遅くまで続く宴会である。しかし私は一人風呂にはいった後部屋に戻って眠った。初めて、本当に初めて自分のアイディア、考え、そして作り上げた物を上司や客先にではなく世の中(ずいぶん狭いが)に問うことができたのだ。過去数時間に起こったことは本当だったのだろうか。誰かがそっと肩をたたき

「そうだよ。全部嘘なんだよ。」

という前に今日はもう寝てしまおう。嘘だったとしてもとりあえず明日の朝までは教えないでほしい。こうして文字にすると頭がいかれているとしか思えないがその日は本当にそう思っていた。

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注釈