題 名:Java Diary-92章

五 郎の 入り口に戻る

日付:2006/3/31

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Goromi-Music Part3

9 月の26日、私はお茶の水女子大に向かう。私にとって大学というところは

「男がやたらとたく さんいる場所」

だ。 なのにここは定義によって女性がたくさんいるというではないか。ああ、恐ろしい。ほれ、生協のあたりにあんなに女性が、と気がつくと

「きゃー」

と いって走り出したくなる。

な どという恐怖と戦い、指定された部屋に行く。最初にあれこれの相談があり、さっそく査読結果のご相談になる。全部の論文に対する評価点一覧表がサーバーに おかれる。それを観ればこの後自分になにがくるかわかりそうなものだが、怖くてみる事ができない。私は業務の都合上午前でおさらばなので、私ともう一人が 担当した論文から最初にやりましょう、ということになる。こうした相談のしくみはよくできていて、自分が関係した論文になるとその人は退席するようになっ ている。確かにそれはわかるのだが、戻ってきてあたりの雰囲気が同情に包まれていたりしたらいやだろうなあ。

と いうわけでお話は粛々と進む。何事もそうだが「誰もがいいと思う論文」と「誰もが今イチと思う論文」は簡単に決まる。問題はその中間に位置している論文 だ。

と いったところで私はおさらば。翌日会社に行くが査読会議に関するメールは来ていない。あれこれの情報からして昨日は相当遅くまで会議が行われたらしい。と いうことは翌日か。またどきどきしながら会社に来ねばならぬのか。そ のまた翌日会社に行く。メールをチェックして行くと査読会議の議事録が来ている。結果もかかれているのだが、そこにあるのは論文の番号だけだ。確か俺のは 何番だから、と観て行くと採録のところ にない事を知る。あーあ、落ちたか。しょうがない。そう思って次に書いてある「不採録だけどポスターもしくはデモ推奨」の番号を観て行く。

後 から考えたのだが私は結構な幸運に恵まれていたのだと思う。ここに探していた番号があれば

「そ うか。デモ推奨か」

と 思ったのだが、やはり番号がない。ということは文句無しに落選ということか。ああ、やっぱり世の中は厳しいな、と世の中をはかなみ、窓から身を投げなくて よかった。私にしては珍しく

「一 度自分の論文番号を調べてみよう」

と 思ったのである。

メールを掘り返し自分の番号を調べる。論文受付のメールに書いてある番号を観るとそれはさっきまで私が調べていた番号ではない。う げげげげ、と叫び、再度リストを観ると採録の欄にちゃんとあった。やれやれこれで一安心である。

さて、普段であればここから「怖くて査読コメントを読めない」自分との戦いが始まるのだが、さすがに私も年をとり図太くなったらし い。その日の午後にはコメントを読んでいた。

これは全くの推測で書くのだが、おそらく例の査読会議で私の論文はボーダーライン上にあったのではなかろうか。平均点はかろうじて 3を超えているが、「3」をつけてくれた人たちのコメントはこんな感じだった。

「新規性がない」

「Goromiはもう見飽きた」

「そもそも音楽聞くときに画面なんか観ない」

こうしたコメントを読んでいると

「みんな2をつけたかったんだろうなあ」

という気がする。なまじ書いた人間(私のことだ)の顔が目に浮かぶだけに2をつけにくかったのだろうな。


という感慨やら妄想に浸っていたのもつかのま。ここから起こる事は毎年パターン化されている。「ああ、本当に発表しなければならないのだ」という恐怖との 戦いだ。というかそもそももっとちゃんと動くようにしなければならない。

そ れまでデバッグやら、ビデオ撮影の度にiTunesのデータを読み込めるCVSに変形し、それを読み込み、ということをやってきた。しかし本番でそんなこ とをやろうなら、きっと恐ろしいことが起こるに違いない。ちゃんとiTunesのXMLを直接読まなくちゃだめよね、ということで再びネット上の情報をあ れこれ調べ始める。

すると求めていたコードがどこかのページに掲載されていることを知る。さっそくコピーしてあれこれいじると簡単に動き始める。 ううむ、あれだけ苦労したのはなんだったのだ。というかこの読み方がわかっていたなら放置してあるSmartCalendar-Xだってもうちょっと簡単 にできたのではなかろうか。などと今更考えてもしょうがない。

それが終わると、あれこれ直し始める。検索要求を投げ、帰ってきた結果を表示するところは最初のGoromiから使っているからず いぶん長い事作っているのだが、未だに満足の行くようには動かない。そこの部分をごっそりと変更する。

ま た他の考えも頭に残っている。採択通知が来た後、一瞬だが「OS X Leopard専用のiTunesビジュアライザ」にしようかと考えた。やはりiTunesはすばらしいし、それと別にアプリケーションを立ち上げ るというのは面倒だ。であればiTunesのビジュアライザにすればすべては解決。どちらにしても音楽の演奏はiTunesに任せるのだからその一部でい いではないか。

と いうわけでしばらくプログラムを眺めたのだが、本業やらなにやらあるし、、というわけで結局WISSは元のままで行こうと決める。そんなことをしているう ち11月になる。そろそろプレゼンの準備しなくちゃ。というわけで例によって例のごとくプレゼン用のデータを集めたり、Keynoteをいじくったり。出 だしの言葉だけは簡単に決まった。

「歌は世につれ。世は歌につれ」

という某司会者の決まり台詞である。音楽はたんなる波形の集合ではない。それは社会的な存在であり、世の中のいろいろな情報と結び ついている。そのことを表したのがこの言葉であり、そのことを示すのがこのプログラムなのです、とかなんとか。

などと作って行くのだが、最後がどうにもしまらない。まあ作った物も最後がしまらなかったからしょうがないか。とはいっても自分で 納得していない物を「こんな良い結果がでました」と強弁する神経は私にないので素直に

「制作者がっかり」

の絵を入れる。

そ うこうしているうちに12月になる。例によって最寄りのバス停への行き帰りに一人ぶつぶつと練習する。周りに人がいないな、と思い声をだしているといきな り人が現れ慌てて黙る。考えてみれば暗闇の中なにやらぶつぶつつぶやきながら歩いている中年男は危険きわまりない存在に見えるであろう。

などとやっているうちWISS初日を迎える。正確にいえばその前日から話は始まっていたのだが。

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注釈