映画評

五郎の 入り口に戻る
日付:2008/4/1
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950 円-Part10(Part9へ | Part10へ)

パブリック・エネミーズ- Public Enemies (2010/2/15)

伝説の銀行強盗、ジョン・デリンジャー。強盗の最中にも”個人のThe Invention of Lying(2010/2/20)金には興味はないからしまっておきな”といういわゆる義賊である。逮捕されてもあれこれやって脱獄してしまう。FBIは 威信にかけて彼を逮捕しようとする。

ジョニーデップはいつもどおりかっこいい。相手役もなかなかチャーミング。真面目に作っている気はするのだが、ほれほれとみているうちに終わってし まった。それだけでは映画評にならないのだが、そうとしがいいようがないから困る。何が悪いかよくわからないのだ。史実を尊重して作られているので、”ふ ざけるな”という気持ちにはならない。退屈しすぎて早送りすることもない。飛行機の中で見たので、諸事情により5分ほど見逃したが、それが原因とも思えな い。

というわけでなんとも評する言葉がなく、この値段をつけるしかないわけだ。最初は映画館で見るつもりだったが、あれこれの理由により見逃してしまっていた。今から考えればそれは幸運だった。

かいじゅうたちのいるところ- Where the wild things are (2010/1/24)(1000円)

数カ月前予告編をみて

”おわ”

と思った。この絵本もぬいぐるみも家にある。子供に何度も読んでやった。しかしあの短い物語をどうやって映画にするのか。

まつこと数カ月。ようやく日本で公開だ。米国での評判はそこそこ良いらしい。しかし子供をつれていくべき映画か否かはわからない。そこ でまずお父さんがひとりで見ることにする。

結論から言えば、子供-少なくともあの絵本を喜ぶ年齢の子供達-には向いていない。おそらく途中で退屈してしまうだろう。しかし大人が みればちゃんといくつかのシーンが心に残る。

絵本のプロットは(そう長いものでもないが)ちゃんと踏襲している。しかしお母さんが怒るのにはちゃんとわけがあるし、マックスが怒られるようなことをしたわけもちゃんとある。現実の世界は厳しい。誰の心のなかにも”かいじゅう”-Wild Thingsがいる。そして時々あばれだす。冷静になって反省しても、またあばれだす。

それは かいじゅう達にも言えることだ。抽象的かつ空虚な仙人はどこにもいない。あるかいじゅうがひたすら家を 壊している。それは何故か。ひかれ合っているようでありながら、衝突ばかりしてしまうカップル。暗い面ばかり見る女性、彼女の恋人、気弱なかいじゅう。

絵 本どおり子供のマックスはかいじゅうたちの王様になる。しかしそもそも王様とは何か。最後に大人が聞けば”ぎょっ”とするセリフがある。しかしお話は絵本 通 りのエンディングを迎える。違うのは、その背景。

だから暖かい晩御飯を食べているマックスを見る母親の表情から大人は多くのことを感じることになる。例えば自分の子供時代にもこんなこ とがあったのではないか、とか。この映画は大人に向けた絵本だ。


This is it (2009/10/31)

マイケルジャクソンが死んだというニュースを聞いた。前から顔面が崩壊しているとかあれこれ聴いていたから長い命では無かったのだろ う、と思っていた。

しかしそうではなかった。彼は年相応の健康を保っていたのだ。そして3週間後にはコンサートツアーがスタートする筈であった。

も しそのコンサートがDVD化されていれば、この映画の内容は”特典映像”としてでもつけられていたに違いない。彼の肉体的コンディションに問題がなかった ことは明らか。ダンス、歌声とも全く衰えをみせていない。途中バックバンドのコメントがはいる。最初のレコードと全く同じ演奏をすることを求められると。 流れる音楽は聞き慣れたそれそのままだ。

しかしこの映画で私が観ていたのはマイケルではない。バックダンサー、それにコンサートを作り上げ るために尽力した人々の姿だ。映画の冒頭ダンサーのオーディションの様子が映し出される。広い舞台一杯にダンサーが並び踊る。まもなく誰かの声が響く”次 の組”とこれが何組もいるのか。

そこで踊っている人達はオランダから10時間かけて来た人。オーディションがあると聞きそのままオーストラリアから飛行機に飛び乗った人。彼らの目的は一つ。最高のエンターティナーであるマイケル・ジャクソンと舞台に立つ事。容姿、踊りが完璧である事は最低条件、それに華がなければ採用されない。バックダンサーの華はどこにあるのか。画面をいくらみてもよくわからない。

彼らの一人が言う。初日の楽屋はどんな様子になるのだろう、と。その初日がくる事は無かった。

バンドのメンバー、スクリーンで流される映像を作る人達。それらの努力はすべて永遠に日の目を見ない筈だったのだ。この映画が作られなければ。

コンサートの準備にかけた費用を少しでもとりかえそう、という試みなのかもしれないが、私は”この映画はコンサートの制作に取り組んだ 人達へのせめてへの慰めなのかもしれぬ”と思いながら観た。

私はマイケル・ジャクソンのコンサートに行った事が一度ある。アリーナ席の後ろの方からでは彼の細かい姑息な動きはわからず、ずっとス クリーンを観ていただけ。強い印象を持つ事も無かったが、おそらくあの影にもこうした人達がいたのだろう。


パイレーツ・ロック- THE BOAT THAT ROCKED (2009/10/25)

豪華な出演者の演技は見事。また途中でうるうるした場面があったのも確か。しかし全体としてこれ以上の値段は付けがたい。

ロックが栄えつつあったころ、BBCでは一日45分しかロック、ポップを流さなかった。それゆえ北海に停泊した船から一日24時間ロックを流す”海賊船”は大人気になったのだ。

8人のDJ、何人かの船員にエンジニア、そこに送り込まれた18歳の男。後から考えればそれぞれの性格がそれなりにきちんと描かれてい たのは見事だと思う。基本的には女人禁制の船だが、そこに時々女性が登場し、騒動を巻き起こす。

18歳の”男子校出身だからキスもまだ”の男は、なかなか良い役。男達が彼を慰めるシーンがこの映画の中で一番気に入ったシーンでもある。

その他それなりに楽しく観る事ができるが、思うにそれは芸達者の出演者達にささえられてのことではなかろうか。とはいえアカデミー賞受 賞のホフマンがジャック・ブラックのように見えたのも確か。ブラックではこの映画は成り立たなかっただろうが。

な どと言っているうちそろそろ時間が気になる、と思ったところでクライマックスとエンディングを迎える。それらはあまりにもありきたりで映画的。目障りな海 賊船をなんとかつぶそうとする英国政府。彼らをもっと賢く、滑稽にすればこの映画3倍くらい楽しくなったかもしれん。個々の役者が乗っている全体の筋、そ れがどうにも弱い。

つまるところ”脚本がダメ”ということになろうか。いや、それはあくまでも相対的な話。こんなに面白い史実(衰退はもっ と現実的に起こったようだが)すばらしい役者をそろえてなぜここまでしか面白くないかなあ。使われている音楽は素晴らしいものばかり。この映画で印象的だったのは、ラジオから流れる音楽で踊りまくるいろんな人々。しかし個人的に一番 感動したのは、クライマックスで流れるエルガー作曲、エニグマだったりする。


ワイルド・スピード MAX- FAST & FURIOUS (2009/10/11)

何も期待しないで見に行き、たしかにその通りの映画だったのでこの値段を付ける。

後で調べればシリーズ4作目との事。というわけで、初めて見る私にはよくわからない設定があれこれでてくるがまあ気にしない。恋人を殺 された主人公と、麻薬組織のボスを追いかけるFBIのお兄さんがはからずも共闘することになる。

で もってこの麻薬組織が”全米をカバーし、FBIもお手上げ状態”にしては全然強くないのだ。謎のボスはすんなりでてくるし、その後も話はとんとんと進み、 大団円を迎える。要所要所が銃撃戦ではなく、とってつけたようなカーチェイスになっているのはまあ題名からして当然だろう。

唯一印象的だったのが、主人公に思いをよせる敵方の女性。後で調べればミス・イスラエルとのこと。どことなくエキゾチックで性格的にか わいらしい。

しかし他には何も書く事が無い。時間も1時間40分と短くてよいのだが、あと20分くらい切った方がよかったのでは、と思う。若いカッ プルを何組がみつけたが”とりあえず映画でも”という場面にはちょうどいいのではなかろうか。あまり残虐な場面もないし

ココ・アヴァン・シャネル-COCO AVANT CHANEL (2009/9/27)(1000円)

私でも知っている(そして買ったことはない)シャネルというブランドの創始者のお話。

孤 児院を出、裁縫の仕事につく。そのかたわら芸能界を目指すが、挫折する。なんとか今の境遇から脱出したい、と飲み屋にきた男のところに転がり込む。この男 とココ(主人公の通称)の関係は面白い。男は”お前は俺のゲイシャだ。俺のためならなんでもやれ”と言い放つが、完全にそれだけではない。女性だが所詮居 候なので、使用人達にも見下 される。彼女は自分が得意な、そしてやりたい事がわからないまま何度もそこから出ようとし、また舞い戻る。それしかないのだ。

そうした過程の中で彼女は徐々に自分のファッションスタイルを主張しだす。私はファッションという言葉から遠く隔たったところにいるの だが、それでも20世紀初頭の

”全身装飾のかたまり”

の女性達の中彼女が歩いている姿はエレガントというかかっこいいと思う。自分の瞳の色にあった黒を基調としたシンプルな姿。

さて、最初に転がり込んだ男のところで別のチャーミングな男性に出会う。彼が彼女の中に何を観たかはとても興味深い。羽ばたこうとして いるが、翼の動かし方がわからず戸惑っている才能を目にする事はそう滅多にあることではない。

こうした彼女の”出口を求めて苦闘している才能と情熱”はスクリーンから痛いほど伝わってくる。お針子をしていたけど、そんな仕事をし たいんじゃない。”嫌悪感に敏感”な彼女にはあるべき姿がぼんやり見えているが、それをどう形にしたらいいのかわからないのだ。

と思っていたらいきなりお話が終わった。Wikipediaで調べてみればココの人生はそれからも波瀾万丈の連続だったようだ。映画3 部作にできるくらいの。そのためバッサリ切るという選択肢もありなのだろうが、いささか驚く。

主演はアメリの人。この映画に関して言えば順調に歳を重ね、それっぽい顔つきになったと思う。最初に彼女を拾う男、そしてかっこいい英国人もそれぞれ役にはまった感じ。終わりの唐突さが気になるが、少なくともシャネルという人について調べてみよう、という気にはさせられた。


サブウェイ123 激突-THE TAKING OF PELHAM 1 2 3 (2009/9/5)

デンゼル・ワシントンである。ジョントラボルタである。以上。

途中までは無駄がなく緊迫した展開が続く。New Yorkの地下鉄がハイジャックされた。全くの偶然で車両運行係が交渉役にされる。さて、人質の運命は。それに犯人達は密閉された地下からどうやって脱出するつもりなのか。

ここまで観て

”をを、これは予想外の高評価か?”

という期待が高まる。しかしそこまでだった。後半がなんだかばたばたしているのだ。

デンゼル・ワシントン演じる”家庭のためにまじめに働いてます(ちょっと悪いこともしちゃったけど)男”が何故最後にそこまでの正義感を見せるのかがよくわ からない。普通の人なら最後は逃げて警察行くでしょ。そこに至る犯人の逃亡方法も”ふーん”という感じだ。New York市内を爆走する警察車両とか、犯人達の結末のつきかたも首をひねるばかり。ちょっととぼけた市長はいいと思ったけどね。

とはいえ

”甲高い早口でしゃべりまくる頭の良い犯罪者”

役を演じさせればトラボルタの右に出る人はいないのではなかろうか。(いや、もともと対象が異様に狭まってますから)またワシントンが 最後に見せる”普通の人”の姿はとてもよいと思うけど。牛乳ぶらさげてお家に帰ろう。

この二人の名演により映画は引き締まったエンディングを迎える。とはいえそこまでに至る理屈に無理があるのであまり感動はしない。


ノウイング-Knowing (2009/7/18)(1000円)

予告編を見る。ニコラス・ケイジである。飛行機が落ちてくる。ということは、きっと能天気な”地球が危機だよん映画”に違いない。

そう思って見始める。50年前、とある小学校でタイムカプセルを埋めることになった。みんなは未来の絵を描いたが、一人だけ数字の羅列を書いておさめた少女がいた。

ここで話はいきなり50年後になる。ケイジ君はMITの教授。最近のMITでは講義に学生がみんなノートPCをもってくるのだな。(時々持ってきていない学生も混じっているのがリアルだが)

おっと、忘れていたというわけで教授が息子の小学校に行く。タイムカプセル開封の儀が執り行われるのだ。なんだこの数字の羅列は、というわけで教授が解析を始める。

こ のシーンにはComputer Nerdの端くれとして突っ込まずにいられない。映画ではホワイトボードに数列を書いた後解析を始めるのだが、MITの教授ならまずコンピュータに数列を入力するだろう。一旦デジタルに変換すれば解析し放題。なんなら、日付と緯度経度をGoogle Mapにプロットするプログラムだってあっというまに作れる筈だ。

なぜそんなことを考えるかと言えば、そこまであまり隙がなく重苦しい雰囲 気で話が進むからだ。数列が表しているのは大規模な死亡事故のおこる日付と緯度経度。そうとわかればケイジ君が大活躍し事故を回避、とはならない。(そう なってくれればもっと気楽に見られるものを)数列の最後にはEEと書いてある。他の人すべてが犠牲になる、と。それはどういう意味か。それがわかるところ は唐突と思うが終末に向かって映画は神妙に歩を進める。ケイジ君はにこりともしない。ヒロイン役は美しいがどことなく幸が薄そうな容貌。彼女が途中から暴走しだすのだが、おいつめられた人間とはそうしたものかもしれん。

映画としての出来はミストに 及ぶべくもない。しかしケイジと息子の別れでぐっとくる。ええい、息子を持つ父親にこんな映像を見せるとは卑怯ではないか。こんな映画に1080円の値段 をつけろというのか。

しかし映画の神様は私に味方した。どうもCGの予算があまったらしい。その後冗漫かつ派手なCG満載のシーンが続く。そこで感動は薄れ、私はこころ穏やかにこの値段を付けることができるわけだ。いや、そんなに感動を忌避するわけではないのだが。

ちなみにベートーベン交響曲第7番第2楽章が2カ所で使われている。この映画だとただの悲しげな音楽になってしまう。第一楽章、第四楽章がはいる余地はこの映画にはないからね。それらを盛り込めたらあるいは傑作と成り得たかもしれないが。


愛を読む人-The reader(2009/7/11)(1000円)

1958年のドイツ、ベルリン。15歳の少年はふとしたきっかけから30代の女性と知り合いになる。”やりたい盛りの15歳”であるか らして、女性の部屋にいりびたりになるわけだ。しかし

”○○する前に、本を読んで”

といわれちゃんと従う辺りが偉いぞ。しかし女性はある日こつ然と姿を消す。

ここまでで映画はほぼ半分。ああ、甘ったるい年上女性と少年の話であったかと思えばそうではない。何故1958年か、何故ベルリンかが いきなり観客に突きつけられる。彼女は元SSの看守。そして生き残ったユダヤ人が執筆した本がきっかっけで裁判にかけられる。

彼 女には二つ秘密があった。一つ目の秘密-自分の過去に彼女は決然と立ち向かう。臆する事なく、堂々と意見をのべる。しかし二つ目の秘密には戸惑い、弱みを 見せる。この演技がすばらしい。自信と誇りに満ちた姿との対比が見事。ケイト・ウィンスレットのアカデミー賞受賞も納得である。(60代の彼女は ちょっと奇麗すぎると思うが)

ここまでは文句なく1080円以上の映画であった。しかしそこから映画の芯がよくわからなくなる。それはあたかも

”文庫本のせるつもりで作った本棚に百科事典のせたら落ちちゃいました”

と いった感じ。ユダヤ人の声に配慮すれば、ウィンスレットが出所後小さな幸せを得ることはあり得ないのだろう。あるいは、生き残ったユダヤ人の娘が、今や New Yorkでものすごく豪勢な暮らしをしていることに何が暗示があったのか。この女性と元少年の会話にはいらいらさせられる。そして最後のシーンもどこか浮いているようだ。

裁判を傍聴する学生のゼミで、ある男が意見を述べる。しかしその立ち位置が理解できない。”見て見ぬ振りをした当時のドイツ人全員責任 がある”といいたいのか”看守の女は死刑だ”といいたいのかわからないのだ。

同じようにこの映画自体の芯も見えない。個別の愛を描きたかったのか、少年の人生を描きたかったのか、そもそも人間の生というものは、 と言いたかったのか、そのどちらにもついていないように思うのだ。

い や、そのどちらにもつかないのが人生というものであり、、とは思うのだが見終わった後”うーむ”という言葉が口からでる。とはいえ原題のThe Readerはこの映画にふさわしい。邦題に惹かれ見に行き、アウシュビッツの光景を見せられ”何だこれ”となった女性は多いのだろうな。


ミルク-Milk(2009/4/19)

映画の冒頭からショーン・ペンの見事な演技が炸裂する。いや、この人は本当にどんな役でも演じる。すごいなー、と思っていたら映画が終わった。

彼が演じたミルクが殺されたのは1978年だから私が高校に入った年。つまり(私にとっては)そう昔ではないわけだ。ゲイというだけで 問答無用で解雇される危険性もあった時代。そうした中にありながら自らゲイである事を公言し、公職につくべく選挙に挑む。

あるいはまじめに丁寧に、映画的なフィクションを交えずにミルクの後半生-8年だが-を描いたということなのかもしれない。40歳にし て”何もしていない”とつぶやき、San Fransiscoにパートナーと移り住む。何度落選してもめげずに戦い続けるその 姿。当選しても、全国規模でゲイの教師を追放しようという法案との戦いが待っている。その勝利の瞬間に、、観ているほうがあまり感動しないのはなぜだ?

この映画で描かれる恋愛関係は、”相手と同意できれば手当たり次第”といった趣だ。お互い同意しているのだから第3者がどうのこうのいうべきではないが、最後まで距離感が残る。同じく男性同士の愛情を描いたブ ロークバックマウンテンでは最初感じた違和感が消え、最後には”これは人間の物語だ”と思えた。この映画ではそれがない。

殺された原因も、結局ゲイの権利云々とは関係ないではないか。殺人犯もなんだか普通の人で、特に追いつめられているようにもみえないし。。というわけでこれ 以上の値段をつける気にならないのであった。単に私が映画的な味付けに慣れてしまい、自然食を食べても味を感じないということかもしれないが。


ザ・バンク 堕ちた巨像 -The International(2009/4/5)

世界をまたにかける巨大銀行。彼らがやることは、金の流れをコントロールし利益をあげること。そのためだったら過激派の支援から人殺しまでなんでもやります。

まじめに作っているなあという印象を持つ。主役は

”難しい顔して難局を乗り切る”

役をやらせれば昨今No1のクライブ・オーゥエン。はまり役と思うが、私にとってはシューテム・アップの印象が強く、できればニンジン もって大暴れしてくれないかと思う。裏を返せばこの映画を見ていても、手に汗握ったりわくわくはしないということでもある。相手役はナオミ・ワッツ。 ちょっと老けたがなかなかチャーミング。

といった面子でまじめにまじめに話が進んでいく。しかしそれも途中まで。グッゲンハイム美術館で銃撃戦なんか始めては台無しである。

こういう”実態の見えない巨大非合法組織”の映画を観るたび思うのだが、”実態の見えない組織”であるならば人がたくさんいるところで 派手な銃撃戦などやってはいけないのではなかろうか。せめて

”をを、現実に起こったあの事件の裏はこうだったか”

と思わせてくれなくては。

エンディングは”悪の親玉が死んだら世の中がよくなりました”ではなく、その点は好ましい。法の網の目をくぐり抜ける人間は後を絶たな いが、それでもなぜ司法組織というものが存在するのか考えさせてくれる。

かくのとおり良いところ、悪いところいりまじった作品なのでこの値段にするわけだ。


マンマ・ミーア -Mamma Mia(2009/2/1)

大ヒットしたミュージカルの映画化。女性3人が怪しげ、かつ大げさな衣装で踊っている宣伝の写真は確かに見た事がある。

ギリシャのある島でホテルを営んでいるのがメリルストリープ。その娘が結婚するのだが、父親が誰だかわからない。母の日記を見つけて候 補となる3人を呼び寄せ、あれやこれやの大騒ぎがおこる。

いつものことながらミュージカルの映画化は難しい物だと思う。例によって頭の中で”これは舞台だとどのような演出なのだろうか”と想像 しながら時間をつぶす。私はABBAのヒット曲が流れれば涙する世代の筈なのだが。

主人公の娘がどうにもチャーミングではない。やたらと目がでかいのだが、ただそれだけである。母と娘がそれぞれ3人組でキャーキャー言 うところは、日本人の男性である私にはとてもついていけない。

と いうか全般的に暑苦しく、無駄な詳細が見えてしまっている気がする。舞台から遠い客席から、かつ現実とは異なるセットで見せていればそれほど気にならない のかも しれないが。。父親候補の3人には私でも知っている有名どころをずらっとそろえた。今の時代だからみんな音程とテンポ正しく歌いまくる。(なんとでも修正 できるからね)しかし感動を呼ぶ歌を期待するのは望み過ぎ。特にクライマックスの歌で退屈してしまうのはいかにももったいない。

かよう に今ひとつな映画なのだが、一カ所だけ鳥肌が立った。代表曲Dancing Queenが流れる場面だ。いや、その場面自体がどうのこうのと言うのではない。私は初めて歌詞をまともに聞き、その意味について考えたのだ。もっと言え ばそれに意味がないことについて思いを巡らせたのだ。何の理屈もなく、Dancing Queenとして踊る。確かにそれは17歳の特権かもしれない。

そこに個人的に感動はした。しかしDancing Queenがなければ(この映画でそれはあり得ない事だが)この映画の評価はもうワンランク下る。


ワールド・オブ・ライズ -Body of Lies(2008/12/27)

中東で暗躍するCIAのエージェントがディカプリオ。後方から指示をだしている良きパパ兼上役がラッセル・クロウである。でもってテロ リストの親分を捕まえるべくあれこれする訳だ。

脚本が悪いのか、演技が悪いのかわからないが、ディカプリオ役が話の要でありながらなんともならないキャラクターに見える。自分で仕掛けた”わな”を、意味 もなく途中で放り出そうとする。(結局この”わな”はなんだったのだろう)現地で会った女の子に突然入れ込み、敵に格好の弱点を作り出す。もし彼の行動に 何か深い考えがあるとしても、それはディカプリオの演技からは伝わってこない。いいかげんこの男の

”難しい顔をするときには眉間にしわをよせる”

という演技も見飽きた。

対してラッセル・クロウは好演。子供のサッカーにつきあいながら携帯電話で血なまぐさい指示を出す男を見事に演じている。しかしこの上 役も口が偉そうな割には、行動が間抜けである。

でもって結局場をさらったのは、ヨルダンの秘密なんちゃらの親玉なのだが、彼がもっと存在感を持っていたらなあ。渋い二枚目なのだが、 この映画を救ってくれ、というのは望み過ぎか。

と、ストーリーは今ひとつなのだがダレル場面もないし最後まで飽きずに観る事ができたのも確か。リドリースコットの腕によるものだろう か。というわけでこの値段にするわけだ。


デスレース -Death Race(2008/11/30)(1000円)

B級映画だろうと思って見に行った。そしてそのすがすがしいまでのB級っぷりにご機嫌になって映画館を後にした。

この映画の設定では米国の経済が崩壊するのは2012年なのだそうな。現実はもっと厳しいかもしれないが、それは問題ではない。いずれ にせよ刑務所は民間企業の経営となり、受刑者が競う「デスレース」のペイ・パー・ビューを売る事で収益を上げるわけだ。

た くさんの人に買ってもらうためにはスターが必要。というわけで元優れたドライバーである主人公は、死んだスターになりすましレースに出場させられる。い や、ちょっとまて。誰が主人公に殺人の濡れ衣をかぶせたのだ、、といった事情が判明しようと主人公は走るしかない。建前としては「5回優勝すれば晴れて出 所」なのだが、視聴率のためにスターを必要としている刑務所側がそう簡単に釈放してくれるわけもない。さてどうしましょう。

Yahoo映画 でこの映画のキャストを観ると、写真が載っていない人ばかり。私が唯一認識できたのは、ジェイソン・ボーンシリーズで切れる女の人をやっていたジョーン・ アレンだけ。(この映画ではとーっても悪い所長を好演している)しかし別に有名スターを出演させる必要もなかろう。ドライバーの隣に座るナビゲーターは (視聴者へアピールする都合上)みんな長い髪の毛を振り回す-そしてさして特徴のない-美人ばかり。銃弾が景気よく飛び交い、どっかんどっかん爆発がおこ り車がひっくり返る。

もちろんお話にちょっと無理はあるのだが、B級と覚悟していけば許せる範囲でもある。登場人物達にそれなりの筋が通っ ているのが良い。誰も地球を救おうとか、米国をもとの輝かしい姿に、とかそんな身の丈に合わないことは言い出さない。一番印象に残ったのは、主人公が娘の 写真を見ながら「母親似だ」というシーンか。確かにあの表情を観れば、この男が妻殺しだとは(観客の)誰も思うまい。

かくして映画は1時間45分でテンポよくフィナーレを迎える。陳腐なハッピーエンドと言えば言えるのだが、今の私にとって少し元気づけ られるエンディングであった事も確かだ。

トロピック・サンダー/史上最低の作戦 - Tropic Thunder(2008/11/23)

豪華(?)な出演者を集め、ベトナム戦争ものの映画を作る事になった。しかし役者の我が侭に振り回され撮影はさっぱり進まない。こ れは、もう「ブレアウチッチ」方式しかない(映画の中でそういう表現は使われていないが)というわけで役者は東南アジアのジャングルに放り出される。そこ に麻薬組織が迫る。

ベン・スティーラー、ジャック・ブラックはコメディ映画の人たちだが、ロバートダウニーJRだけは普通の映画に出る人でもある。主役は 一応ベン・スティーラーなのだろうが、演技力に応じて出番の多さが決まっているような気がする。ジャック・ブラックは麻薬中毒できーきーわめいているだ け。それが正解だろう。いきなり朗々と歌い始めるなんてこともない。

ロバートダウニーJRは「黒人のふりをした白人役者」という役柄。自分がNativeではなせる方言を誰かが真似していると異常にイラ イラするが、一行の中にいる本物の黒人にとっては、この「偽黒人」は気に障る存在だろう。そのイライラさは十分に画面から伝わってくるがそれ以上どうとい うこともない。

いかにもアメリカ的なおばか映画なのだろうが、そののりに今ひとつついていけないのも確かではある。トムクルーズに変な踊りをさせてみ たり、ハリウッド内輪受けの要素も沢山あるのだろうが(考えてみれば、ダウニーJRではなく、ジャック・ブラックが中毒患者なのもその一つか)私にはよく わからない。とはいえ退屈はしなかったのでこの値段になるわけだ。

あとアメリカのお下品映画特有の「グロ」い要素もてんこもりであるから、そういうのが苦手な人にはお進めしない。何度か米国映画で目 にするが、普段のお上品さと、こうした下品さが一つの国の中で両立するってのは、、まあ人間はそうしたものか。

アイアンマン - Iron Man(2008/9/27)(1000円)

基本的に米国映画によくある「ヒーロー物」であり「どっかん一発ハッピーエンド」ではある。とはいえ2008年夏に「スピードレーサー」を軽く吹き飛ばしたの だから、ただそれだけの映画でもない。

軍需企業の総帥、ロバートダウニーJr.がアフガンの「無国籍ゲリラ」に捕らえられる。お前の会社の兵器を作れと言われるが、作り上げ たのはパワードスーツだった。なんとか帰国した彼を待っていたのは、、、、

最初設定を聞き「軍需企業の総帥がスーパーヒーローになる?そんんなんで映画になるのか」と思った。しかし例えばゲリラを「イスラム原 理主義者」ではなく、無国籍にするとかそこらへんをうまくかわしている。

ま たロバートダウニーJr.がなかなか興味深い演技を見せる。最初は「しわの多い顔だなあ」と思ったが、そのうちなかなかハンサムで奥深い顔と思え てくる。時々「はっ」とさせられる子供のような表情をする。観ていて飽きる事がない。

彼を支える「地味な秘書」は結構いいなあ、誰だろうと思っていたらグウィネス・パルトロウだった。地味に徹した服装が妙にマッチしてい る。結局ダウニーとはキスすらし ないところもなかなかよろしい。

などと良い点を挙げていくと、やはり筋の薄さが残念になってくる。元がヒーロー物だからあまり期待していないとはいえ。特に後半。決着 のつきかたも「どっかん」でおしまいか、と少し残念になる。それだけ登場人物の演技が面白かったということなのだが。

エンドロールが始まるところで「エンドク レジットの後にもシーンがあります」と字幕がでる。確かにエンドロール観ながら余韻に浸るような映画でもない。さて何がでてくるかと思えば堂々た る「続編の宣言」だった。よくある「ちょっとだけ続編に未練を見せてみました」どころの話ではない。これで続編作らなければ詐欺だが、さて自作はMore Better になるだろうか。出演者の演技力に見合った脚本にしてほしいものだが。

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注釈