題名:私のMacintosh

2400c-Part2

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日付:1998/2/22


2400c-Part2

さて私はこれから横浜で働くんだ、と思って会社に行った初日にいきなり「職場は品川」と言われた。その時の「へっ」という気分はさておき、とにかく私は関東圏に来たのである。

実を言えば、私は田舎者なので、田舎のほうが好きで人が多いところは好きではない。横浜だったら、まあ東京よりは混んでないからよかろうと思って職を見つければこの始末だ。このことについてはこれ以上この文章ではかかない。とにもかくにも秋葉原に行くのは名古屋からよりも容易になったことだけは確かだ。

さてそれまでインターネットでいろいろと情報を集めてはいたのだが、私は不精者なので、特にPB2400に関しては変更は加えていなかったのである。しかしこの時点でPB2400をとりまく環境は既にいくつか変化をしていたのである。

cometことPB2400/180が出た後に、Migty Catなるコードネームを持つPB2400/240がでるとかでないとかいう噂は長く存在していた。もうでる、という噂と、いやCometがアメリカで全然売れなかったからでないらしい、という噂にさらには「いや、もうIBMでは240を作ってしまっていて、あとはいつ出すかだけの問題だ」とかいう噂から様々なものが飛び交った。おまけに当時PowerPC740/750という第3世代のチップが発表されていて、その性能が「とんでもない」という事は広く知られていたのである。最後の方にでた噂は「Mighty CatはPowerPC740/750を搭載するらしい」というものだったが。

さてこの最後の噂には多少の願望も込められていたに違いない。最初のG3プロセッサ(PowerPC 740/750はいつのまにかこの名前になった)を搭載したパワーブックは既に97年の11月にでていた。しかるにMighty Catがでたのはそれから5ヶ月後の98年の4月である。

さてAppleは同じ時期、「サブノートは別のカテゴリーに属する製品だ」とかなんとか言って、とにかくもう2400のような小さいパワーブックは作らないといった類の発言を繰り返していた。よほどDuoの不振と2400のアメリカでの失敗がこたえたのではなかろうか(とは言っても実際どれくらい売れなかったかは私の知るところではないが)こうなると期待は自然と3rd PartyからのG3プロセッサ搭載のアクセラレーターに集まるのである。

既に98年のMac World EXPOで、Newer Technologyは2400用のG3アクセラレータを開発していることを公言していた。おまけに性能差のグラフまで表示していたのである。それを見ると一声2倍の性能がでるようだ。私は今まで何度かアクセラレータを検討しながら結局は新しい機種に乗り換えてきた人間だ。しかしコンピューターを持ち歩く、ということは大変いいことであるということを体験でしっており、かつAppleが小さいノートパソコンをしばらくリリースしないとすれば(新しいPowerBook G3シリーズは性能は確かに素晴らしいのだろうが、信じられないほど巨大である。あれを持ち歩くのはとても大変だ)アクセラレータによる延命策に頼るしかないかも知れない。

しかしその肝心のアクセラレータはいつまでたっても市場に姿をみせなかったのである。8月頃「そろそろでるでしょう」という噂が流れて、各ショップが予約などをとりはじめたのはいいのだが、そのうちに「どうもいつでるかわからない」ということで、予約をこれ以上取らない、というところまで出始めた。私は大分考えた。2400用のアクセラレータは日本のインタウェアも開発を公言していたが、こちらはもっと不確定でいつまでたっても影も形もでてこない。やはり2400の限られた市場で採算があうかどうかを心配しているのだろうか。。となれば、とにかく手に入る可能性があるうちに手に入れて置いたほうがいいような気がする。

そう考えた私は名古屋の大須の某ショップに「予約をお願いします」と電話をした。返ってきた答えは「いつでるかさっぱりわからないので、予約という形ではお受けできません。ただ入荷が決まったらお知らせすることはできます」だった。この時は確か8月だった。

この「お知らせの電話」がかかってきたのは私が米国旅行に行ってる間だった。もう帰ってきてから留守電で聞いたのだが、もう残りの日数を考えるとのんきにG3化などやっている場合ではない。私は「予約したわけではなくて、お知らせだ」という理屈の元にそのお知らせを無視して荷造りをやって、横浜に来たわけである。

 

さて9月30日。引っ越しが終わっていろいろと部屋の片づけなどをやっていた。すると(これまたどこで読んだ情報か忘れたのだが)IBMがG3アクセラレータの販売をやるという情報が手に入った。その時点までNewerのG3アクセラレータは結構な品薄状態になっていたから、ここでIBMが販売するというのはありがたい情報だ。ネット上には「2400はもともとIBMの製品だから、やっぱりIBMもアクセラレータを計画してたんですね」などという観測もながれたが、本当のところは、NewerがIBMにアクセラレータの製造を委託していた、ということの方が本当のようだ。私はこの日あちこちに電話をして、横浜にある日本NCRで購入と取り付けの手続きを手配した。金額は約16万円である。余談であるが、これから約5ヶ月後のMacWorldEXPOにおいて、このアクセラレータは66,666円で売られていた。当時「新しいiMacがでたとたんに前のiMacの値段が下がった悲劇」などがかまびすしく世間で言われていたが、この値崩れに比べればそんなものはゴミのようなものである。

神ならぬ身の私は当時そんなに値が下がるなどと言うことは知る余地もない。とにかくこれがG3化する最後のチャンスかもしれない、と思って何も考えずに申し込んだのだ。

 

さて私が2400を持って地図を頼りに横浜のNCRに行ったのは10月4日だった。名古屋のNCRは倉庫の様なところだったが、ここは見晴らしが大変よろしい。(1階にあるのだが)応対してくれる人の親切な態度と手際の良さはここもかわらない。私は彼がアクセラレータを取り付ける間、後ろにあった20th Anniversary Macintoshをいじってあそんでいた。この20th AnniversaryMacintoshとは、「数量限定。完売後は型を破棄するからもう絶対これ以上作りません」という能書きで市場に登場したのだが、いつまでたっても売られている。(実はこれを書いているのは1999年2月なのだが、未だにG3アクセラレータをつけて売られている)ちょこちょこいじってみると巨大なスピーカーがついていて音がすばらしいことは解る。しかしいかんせん値段が高すぎる。しかしこのキーボードは売ってほしいな、、などとたわけたことを考えている間に作業は終わった。

起動してみると、何故かわからないのだが、Startupスクリーンの出方が変わっている。今までは私がしこんでいる忌野の画面が出て、そのままアイコンパレードが始まったのだが、何故か忌野の絵が消えてアイコンパレードが始まるようになってしまった。。まあいいや。と思ってその日は持ち帰った。

さて家に帰ってさっそく使ってみる。さて2倍のスピードというのはどういうもんだろう、、と思ってあれこれ試してくるとなんとなく早くなっていると言われればそういう気がするが、あまり実感はわかない。これが16万円の成果か?しかしその性能向上の効果は、私がJavaで書いて使っている「大坪家の書庫ヒット数ランキング集計プログラム」を使ってみて解った。実のとところ私が使っているアプリケーションは603e@180MHzで十分とも思えるほど早く動いていてくれてこれ以上スピードをます必要があまり見られなかったのである。唯一の例外がこの集計プログラムで、ただでさえ遅いと言われているJavaで結構な集計をやるものだから、亀のようなスピードで動く(おまけに私はプログラムを書くときはだいたいの場合動作スピードを気にしない)ところが750@240MHzにした途端とんでもないスピードで動くようになったのである(週に一回のホームページの更新にしか使わないから、あまりそのスピードを実感する機会がなかったのが残念だが)

 

さてcpuの性能向上が一段落すると、次にしたくなったのが、HDの増設である。増設といても外付けでつけられるわけではないから、交換である。Duoから乗り換えた直後は「ああ。なんて1GBというのは広いんだ」と思ったものだが、もう残りが大変心許なくなってきている。おまけにあれこれの情報を見てみると、4GBと1GBではハードディスクの性能も大分違うようだ。4GBに交換すれすれば、今回のアクセラレータの効果ももっとはっきり解るかも知れない。

さてこの交換を依頼するショップは決まっていた。秋葉原にあるアミュレットというところである。実のところ私が2400に関して得ている情報のかなりの部分はこのアミュレットが主催しているメーリングリストから来ているのだ。某Macintosh雑誌によれば、この店では、その日のうちにHDを交換してくれるという。おまけに頼めば外したHDからのデータ移し替えまでやってくれるということだ。それに加えて、外したHDをPCカード経由で外付けハードディスクにする機器も発売しているそうだ。ということはここに頼めば大抵の問題は解決する上にデータの移し替えもできそうである。

ここのホームページを見てみると、「当日の朝に電話して予約してください。」とのことである。ようするに当日以前からの予約はできないということだ。私は当日の朝に電話をした。すると帰ってきた答えは「2時頃に来てくれますか」ということだった。さて私は適当に時間をつぶした後に秋葉原にいくことになったのである。10月10日体育の日だった。

インターネットでまたもや情報を探し、アミュレットの場所を確認していたので店はすぐに見つかった。時間ちょっと前についてしまったが、まあいいや、ということではいって話をすると、簡単に話は通じた。ただし交換が混んでいるので3時間ほど時間をつぶしてからきてくれ、ということらしい。私は「はあ。そうでっか」と行って店をでたが何をしよう?

実際この3時間というのは実につぶしがたい時間である。5時間であればどこか別の場所に行って映画でも観ようかと思う。しかし3時間ではそれはやりにくい(エロ映画なら別だが、昨今エロ映画館を探すのはとても難しいのだ)しょうがないからふらふらと秋葉原見学をすることにした。思えばこうやってゆっくりと秋葉原を歩くのは初めてかも知れない。特にパーソナルコンピューターが普及してからはこんな経験はなかった。やたらとおそろいの服をきてビラを配っているおねえちゃんたちに気が付く。彼女たちはいくらもらっているのだろう。そして彼女たちに給料を払うほど効果があるものなのだろうか。

などと無常観に浸っている間に時間はあっというまにすぎた。(不思議なことだが本当である)私はアミュレットに戻った。

すると先ほどと同じおにいさんがやや疲れた感じで応対してくれた。どうぞ、確認してください、というので電源をいれたらいきなり立ち上がりの途中に止まってくれた。なんだこれは?と思いながら見なかった振りをしてリセットをしたが結果は同じである。私は店員さんに「こんなんですけど」と言った。

彼はいろいろやってみたが結果は同じである。しまいには実際に交換を担当したおじさんがでてきた。彼がいうには交換直後はちゃんと動いたそうだが。立ち上げ時にシフトキーを押して全ての機能拡張をオフにしたら、ちゃんと立ち上がった。ということはなんらかの機能拡張の悪さかも知れない。しかしこれを検証するプロセスは大変面倒だ。おまけに私はディスク関係の機能拡張はまったくいれていなかったから、目星をつけて絞り込んでいくこともできない。

彼はしばしの間考えているようだった。その彼の疲れた横顔をみていたら「そちらの責任だからなんとかしてください」とはとても言えなかった。一日の終わりというのはいつもいつもとても疲れているものだ。理論的に言えば理は私の方にあるが、疲れた人間に「死ぬまで故障探求をやれ」とは言いづらい。

私は「機能拡張だとわかれば、まあ自分で適当に探しますわ。ただしそれでもアウトだったらなおしてくださいね」と言ってコンピュータをひきとって長い家路についた。

さてこのドタバタは実は私にとっては実に意味のあるものだった。「ほらたちあがらないでしょ」と言う度に私はスタートアップの画面を店員さんに見せる。そして彼らが異口同音に言うのが「液晶がくらいですねー」であった。最初にうけつけてくれた店員さんが言うには「実は内にも一人こういうふうに暗い液晶の奴がいるんですが、いそがしくてなおしにいけないんですよね」ということである。

思い返してみれば、買った直後からこの液晶はちょっと「緑がかっている」という印象をずっと持っていたのである。白ってこんなに緑色だったっけ?というところだ。そう思ってNiftyとかを見てみると「この液晶はちょっと青みがかかって見えます」という情報があった。ふーん。青がかってか。まあ人によってはこの緑が青に見えるんだろうな、と思って平和にくらしていたのである。

そこにこの「暗いですねー」の大合唱だ。私はさっそく翌日横浜のNCRに再び持ち込むこととした。帰ってさっそく機能拡張の試行錯誤でもやるか、と思って電源を投入すれば彼は何事もなかったように立ち上がってくれた。未だにあのときの立ち上がらなかったのは何故かわからない。とにかく外付けのHDをPCカードスロットに差し込むと、ファイルコピーにいそしむことにした。とはいっても単にドラッグアンドドロップで全てのファイルを移せるから話はとても簡単であるが。さてファイルコピーが終わってあれこれやってみると、実に快適だ。Quadra700の時にも経験したことであるがコンピューターの早さはCPUだけで計ることはできない。ディスクもとても重要だ。Norton Utilityのベンチマークで計ってみると、ディスクの性能は約2倍に向上している。この前のG3化もこのディスク交換とペアでようやく意味を持ってきた、という感じだ。私はその日満足して眠りについた。さて、明日はディスプレイの交換だ。

さて翌11日は朝一番にNCRに持ち込んで、まず早口に症状を説明した。すると相手は「4GBに換装した?じゃあそれで消費電力が大きくなって暗くなったんでしょう」とかなんとか言ってなかなか話を最後まで聞いてくれない。私はとにかく見てくれ、と言って2400をスリープ状態から目覚めさせた。

正直言ってこの時点で「なんだ。なんでもないじゃないですか」と言われたらどうしよう、と思ったのである。明るい、暗いなんてのはしかるべき機材でも使って計らなければ主観的なもんだ。しかしそれまであーだこーだ言っていた相手はその画面を一目見たときから黙って2400の分解を始めた。

原因はよく知らないが液晶の交換となった。この時からかもしれないが、NCRにいくたびにApple Careの加入を勧められた。もっともこの時相手をしてくれた人は正直な人で「CPUを変えて、HDを交換してあれこれいじりすぎているから、Apple Careにはいってもしょうがないかもね」などと言ってあまり熱心にすすめはしなかった。私もその時は「まあいいや」と思って加入を見送った。

さて交換が終わってみるとこれは見違えるような明るさである。相手から「よくこれで我慢してましたね」と何度か言われた。人間思いこみというのは怖ろしいものであるし、「世の中こんなもんだ」と思えば大抵のことが我慢できる、ということかもしれない。とかく「最初の印象」というのは大事だ。仮に私の液晶が最初は明るくて途中から暗くなったとしたらきっと私は直るまでの間とてもフラストレーションを感じながら使用することになっただろう。しかし最初から暗ければ「ふーん。ちょっと暗いけどまあこんなもんでしょ」と思っておしまいである。

 

さて私はまたもやご機嫌で店を後にした。さてこのすぐ後に私はまたMacintosh関係で横浜に来ることになる。OS8.5の発売が翌週に行われたのであった。このOS8.5は「○万円で帰る新しいMacintosh」といった結構なコピーと一緒に発売された。私は本来こうしたOSのアップデートには腰が重い質なのだが、この時はどういうわけかすぐにアップデートしよう、という気になった。横浜に行ってあるMacintoshのショップに行くとちゃんと売っている。なんでも元気な人達は夜中の発売開始にあわせてカウントダウンなどしたそうだが、ご苦労なことだ。何事もお祭り騒ぎというのはいいものだが、睡眠時間を何よりも愛している私はそんなものを買うために夜中にでかけるようなことはしない。

さてさっそく持って帰ってインストールだ。。。と思ってまず従来あったシステムに上書きをした。いままで何度Systemのアップデートをしたか覚えていないが、これで問題が起こったことがないのである。しかし今回は違った。インストールが終了してその後再起動ができなかったのである。げげげっと思って機能拡張を全部外して立ち上げると「キャッシュに問題があります。お買いあげの、、」とかなんとかいう怖ろしいメッセージが出てくる。うげげげと思って、とにかく新しいシステムを別にインストールした。

すると今度はちゃんと立ち上がる。この状態で機能拡張やらコントロールパネルを一つずつ移していく。これは結構時間がかかるし、いやな作業だ。後で例のメーリングリストを見てみると、こうした類のエラーを体験した話がいくつも上がっていた。最も問題だったのは今までフリーソフトだったInterent configというコントロールパネルと同等の機能を持つ「インターネット」というコントロールパネルが加わったことにあるようだ。素直に「internet configを外してください」とかなんとかメッセージを出してくれればいいものをなぜか黙ってお亡くなりになるのである。さて先ほどの「キャッシュに問題を発見しました」というのは、アクセラレータに付属していた機能拡張まで外してしまったことからおこる問題のようで、機能拡張を戻したらウソのように消えた。またこれでNCRに持って行かねばならんかと思っていたが、その必要もないようだ。さて、一安心と思って使い始めたら今度はアプリケーションの起動で問題が生じた。YooEditというフリーのテキストエディタを私は愛用しているのであるが、これが立ち上がってくれない。これまたメーリングリストの情報を見ると一つ前のバージョンに戻せばいいらしい。そうして立ち上がったら今度はこれまた愛用しているClaris Worksが他のタイプのファイルを読み込めない、という問題に直面した。これまた何故かわからないが、とにかく動いているからいいや、、と思ったらまたもやメーリングリストに解決策がでていた。「その問題でしたら、初期設定の"XTND Translator List"を削除してクラリスワークスを起動すれば解決すると思います。」ということだ。ありがたやありがたや。この書き込みによると「これはシステムを再インストールする度には必ずでる問題だった」と言うのだが、今までこういう目にあったことがない。。。まあとにかく直ったからいいか。

さて最後は今回の目玉であるSherlockである。私はATOKユーザーだから、システムをインストールすると必ずシステム標準のFEPであることえり関係のファイルは外す。しかし例のメーリングリストによると、このSherlockは入力された検索文の構文解析に一部のファイルを使っているらしいのである。なるほど。。と思ってまたいくつかのファイルを戻したり、、とにかく今回のアップデートには従来になかった手間がかかった。

 

さて私は横浜で働く、という当初のもくろみとは別に、毎朝品川まで通うと事になってしまった。この業界では「関内勤務」といって雇っておいて、品川に初日から飛ばすなんてのはあたりまえのことらしい。その後もとかく「この業界」の常識には驚かされることになったが、一つだけいいことがあった。朝の通勤電車のなかで、必ずこの2400を使ってあれこれするようになったことである。家にいれば寝てしまうだろうが、電車のなかではなかなか眠れないし、他にすることもないから結構ホームページの執筆が進むのである。働き始めるときは「これで忙しくなるとホームページの更新はほとんどできなくなるのではないか」と思ったのだが、これはうれしい誤算だった。しかしそれとともに今まで気にしていなかった問題が表面化してきた。

PB2400のクリックボタンは通称髭ボタンと言われている。けっこうこった形をしているのである。私は正直言ってこんなに凝った形をする必要があるかと思っていたが、とにかく髭なのである。このボタンはやたらと故障することで大変悪名高かった。例のメーリングリストには故障の報告がたくさん流れているのである。それまで2400をほとんど家において使っていた私はそうした問題に直面することもなかった。外付けのトラックパッドを使っていたからだ(ちなみにこのトラックパッドも途中で調子がわるくなり、横浜の某ショップに一個980円で売っていた小型のトラックパッドに交換してからは大変好調である)

ところが列車の中で2400本来のキーボードとトラックパッドを使用するようになってからだんだんと髭ボタンのききが悪くなってきた。なるほど、メーリングリストにでていた話とはこれだったか、、などと感動している暇はない。とにかく髭ボタンが動いてくれないことには何かと不便なのである。11月の14日であったがこの日私は午前中秋葉原に、午後は横浜に行くことになる。

何故秋葉原に行くのか?G3に換装してからというもの、CPU回りが熱くなることが大変きになってきたからである。これにも諸説あって、何度まであがれば問題か、というのは結構例のメーリングリストでも論議されていたのであるが、とにかく温度があがるというのは心臓にあまりよくない経験だ。さてアミュレットのホームページを見てみると、ファンがついた置き台のようなものがあるらしい。これを使うと10度は温度が下がると言う。私は早速予約をした。アミュレットから「では入荷したらお知らせします」というメールが来たっきりそのあと何も行って来ない。例のメーリングリストでは購入した人からの感想がアップされてしばらくになるというのに。しょうがないから電話をしてみれば「ああ。はいってます。」ということだ。ぶつぶつ言いながら私はそれを取りに行った。

その足で横浜のNCRに行った。症状を説明するとさっそく交換してくれた。思うにこの故障は大変頻繁におこることなのではなかろうか。さてそれからしばらくの間好調に動いていた髭ぼたんだが、1月になって再び調子が悪くなった。もはやこうなるとこれは個体の問題ではなくてもともとの設計の問題だ、という気がする。各故障の修理には「3ヶ月以内に同じ場所が故障した場合は無償修理」と書いてあるが、この髭ボタンは3ヶ月もたなかった。再度交換である。これから今まで使わなかったトラックパッド上でのクリックを使うことにしよう。とにかくこの髭はあまり頑丈ではないようだ。頭に来てボタンをばしばしたたいているのはあまり楽しい作業ではない。

さてこうしてなんとかPB2400と仲良く暮らしている間に、毎年恒例となったMacWorld EXPOが近づいてきた。

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注釈